メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

悲しいことばっかり

2013-05-25 15:38:36 | 日記
  
ベランダの人工芝で毎晩バリバリと熱心に爪とぎをしていたのはこのコだった
そいえば、こないだ玄関脇のコンクリ(元花壇)に寝てて、慌てて飛び出していったのもこのコだ

その他のトピックス。

●ついに「あさイチ」プレミアムトークにクドカン出演
 
いつもの子どもの頃からの紹介ってよりは、「あまちゃん」の脚本についてや、
映画『中学生円山』、グル魂も1シーン、何度も職質されるエピソードなどなど。

 
朝ドラを書き始めてから背中が痛くて、揉みほぐしグッズが手放せないこと、
学生の時に白塗り&半裸で学祭に出て大ウケした時の興奮がいまだに超えられないとか。
ちゃんと最後のファックス紹介の時間までいて、いやあ、期待通り面白かったあ!
ツイッタには「あまちゃん」の東京でのシーンに部長も出演するなんて噂もあり


猫中毒

神保町のお散歩の際も、たくさんのアドカードやら、チラシをもらいまくってきて、
いろいろ気になったものもたくさんあったからご紹介。
「猫背の人の祖先は猫」て変Tに笑った


昭和スタア列伝―上原謙、佐野周二、佐分利信 "松竹三羽烏" 華麗なる映画人生
次回の神保町シアターも素晴らしい企画。佐分利信さんも渋くて、漁って観ていた頃があったなあ


木下惠介生誕100年祭@新文芸坐(6/1(土)~10(月))
神保町シアターのほかにも、昭和の邦画をかけてくれてるところも色々あるんだって分かって嬉しいかぎりv


アンコール特集@東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール

生誕110年 映画監督 清水宏@東京国立近代美術館フィルムセンター 大ホール


サイレント映画事始め@桜美林四谷シネマ(8月24日14時~)
なんと!『キートンの探偵学入門』がキーボード伴奏付きで上映される
ウディ・アレンも『カイロの紫のバラ』でオマージュを捧げていることでも有名。


夏目漱石の美術世界展@東京芸術大学
2013年5月14日(火)~7月7日(日)
午前10時 - 午後5時 (入館は午後4時30分まで)
休館日: 毎週月曜日


こども文庫プロジェクト

ぶどう大好きな大地くん(SAKEROCK)がつぶやいてた「小岩井純水ぶどう」を買ってみたv
美味しいし、パッケージのクマさんも可愛い
このクマさんの絵本を制作して、全国の子どもたちに届ける活動をしているそうな


RCサクセション40年前ライブ音源化したアルバムが5月3日にリリース
バンバンの福島さんがつぶやいてて気になったから聴いてみた。じぃーんとした。



悲しいことばっかり
悲しいことばっかりだから 笑い飛ばしてたんだ
悲しいことばっかりだから 忘れたかったのさ
それなのに いつだって誤解されてばかり
そんなのひどいよ
悲しいことばっかりだから もう笑えない

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『学習漫画 世界の伝記 マザー・テレサ』(集英社)

2013-05-25 14:59:06 | マンガ&アニメ
『学習漫画 世界の伝記 マザー・テレサ』(集英社)
監修:沖守弘 漫画:高瀬直子

『シュバイツァー』など、世界の偉人を知るのにとても読みやすいのがこの「学習漫画 世界の伝記」シリーズ。
小学館などでも似たようなシリーズがあって、大人が読んでも面白くて、勉強になる。
名前はよく聞くのに意外とその活動、人柄は知らないもの。
最近、いろいろリンクしているマザーのことをもっと知りたくなって借りてみた。

【内容抜粋メモ】
1910年。アグネス・ゴンジャ(のちのテレサ)は、スコピエに生まれた。
アグネスが9歳の時に、建築家の優しい父が死去。政治活動の事件に巻き込まれた他殺とも言われる
「人は神さまから与えられたお勤めを果たすために生まれてきたのよ」母は熱心なカトリック信者だった。
その影響を受けたアグネスは、毎日のように教会に通い、聖フランシスコの逸話を聞いて「修道女・宣教師」になる決心をする。

聖フランシスコ
富裕層に生まれながら、財産を捨てて修道者となり、「貧しい人、病気に苦しむ人の中にこそ神がおられる」と説いた。

しかし、修道女は一生結婚せず、家族と一生会えないことも意味していた。
神父からインドには貧しい人、病気に苦しむ人がたくさんいることを聞いて、
アイルランドにある「ロレット修道会」が修道女をインドに送っているから、そこに行きたいと宣言。

ロレット修道会で「志願生」となったアグネス。英語などの授業を受けるほか、
食事中はひと言も話してはいけないなどの厳しい規律がある。
1928年。宣教地をインドに決めて出航、1年後カルカッタの「ロレット修道会」に着くが、
ダージリンは高級避暑地にあり、そこではヒンズー語、ベンガル語を覚えた。
ここで「テレサ」という修道名をもらう。修道名は、自分が尊敬する聖女の名前を名乗れ、俗名を捨てる。

シスター・テレサ
人の嫌がる目立たない仕事を出来るだけ楽しく喜んでしようと誓って生きたフランスの修道女。

1931年。テレサは20歳で「初誓願」(修道女になるための最初の誓いの儀式)を迎える。
1.清貧(自分のものは持たない)
2.貞潔(心も体も清らかである)
3.従順(目上の者に素直に従う)

カルカッタ
蒸し暑い気候で世界一過ごしにくい町と言われる。
人口1000万人。そのうちスラム人口は100万人、路上生活者は40万人。

テレサは、ロレット修道院附属の「聖マリア女学校」で地理・歴史を教える。
女学校は富裕層の子女が入る寄宿制だったが、窓からは悲惨なスラム街が見え、悪臭も漂ってきた。

1937年。テレサはダージリンで「終生誓願」を立て、正式な修道女となった。
生徒からの信望も厚く、女学校の校長となる。
校長は敷地外にある「聖テレサ女学校」にも教えに行くため、貧困の現状を見てショックを受けるが、
終生誓願を立てた修道女は自由に行動することは禁じられていた(なんだか矛盾してるね

1939年。第二次世界大戦勃発
同時期、ベンガル地方が大飢饉となり大勢の死者が出て、無数の人々がカルカッタに逃れてきた。

1945年。終戦。ガンジーによる非暴力の活動で1947年、インドは長いイギリス支配から独立。

1946年。ヒンズー教徒イスラム教徒の激しい対立によって4000人もの死者が出た。

テレサはダージリンに向かう電車内で、もっとも貧しい者のために仕えようと決心する。
これを「神からの真実のお告げ」と呼び、マザー・ハウスでは大切な記念日になっている。

修道院を出てスラムで活動することを神父に相談→大司教を通って→ローマ法王から許可証が届いたのは2年後の1948年。
テレサは黒い修道服を脱ぎ、白い木綿の粗末なサリーに、聖母マリアの美しい心をあらわす3本の青い線を入れ、
十字架を左肩につけ、外の世界に出た。38歳。

パトナの「アメリカン医療宣教修道会」で医療の知識と技術を身につけようと門をたたく。
外国人のままではインド国民の気持ちは分からないと、国籍をユーゴスラビアからインドに移籍。
普通2年かかる医療知識をたった4ヶ月で習得。
プレゼントされたサンダルを履いて、スラムで子どもたちに無料で教える「青空教室」を始める。
「聖マリア女学校」の教え子が紙、椅子、石鹸などを寄付。
富裕層の家を回って薬代に使う寄付金を集め、薬局に薬の寄付も求めた。

朝は4時半からミサに出て「聖体拝領」を受け、信仰を心の支えとした。
手伝うことを志願する子ども(シスター・アグネスら)も出たため、のちに「神の愛の宣教者たち」と呼んだ。
3つの誓いのほかに、「貧しい人の中でも、もっとも貧しい人々への心からの献身」を誓った。
1950年。「神の愛の宣教者たち」は、ローマ法王から正式な修道会として認められた。
そして、創立者であるシスター・テレサは「マザー・テレサ」と呼ばれるようになった。

休むひまもなく働いても、ほかに何万と苦しむ人々がいると悩む修道女に対して、
「何千何万という貧しい人たちを考えるよりも、たった一人の、今目の前にいる一人のことだけを考えましょう」と説いた。

1953年。カルカッタの中央にある4階建ての家を安く譲り受け、「マザー・ハウス」本部とした。

道端で料理し、道端で眠り、道端で死んでゆく人々を、家の中で安らかな死を迎えさせてあげたいと、
市役所に行ってヒンズー教徒の休憩所を無料で貸してもらい、そこで看護した。
「異教徒」だと嫌がらせも受け、市民から立ち退き要求も出たが、活動の様子を見た署長がとりはからう。

「この世でもっとも悲しいことは、貧しいことや、病気や飢えで死ぬことではありません。
 だれからも相手にされずに、自分はいらない人間だと思い込んでしまうことなのです」

死を待つ人の家では、その人の宗教のやり方で手厚く葬られたため、その様子を見た市民は理解し、
反対していたヒンズー教徒も手伝うようになる。

1955年。「孤児の家」を設立。中には届けられて数時間で亡くなる赤ちゃんもいた。
「たとえ1時間でも愛情を受けたことは赤ちゃんにも分かりますよ」

マザーは子どもたちの将来のために「里親制度」を発案。
インド国内だけでなく、今では世界中から申し出があり、自立できるまでお金を出してくれる人、
障がい児も含めた孤児をひきとって育ててくれる人も増え、世界中からパン、牛乳などの寄付が贈られてくるようになる。

孤児の家の中庭では給食が始まり、日曜日を除く毎日7000人分がふるまわれる。
コメと大豆をカレーで煮込んだ、質素であっても栄養のある食事に大勢が集まった。

平和の家に「ハンセン病」者らが大勢、偏見から逃れて押し寄せてくる。
カルカッタには当時30万人以上の患者がいると言われ、早期治療で完治することを知らず、
病気を隠して手遅れになる人も多く、伝染病として誤解され偏見も強かったため、
最初は「移動診療車」で治療をスタートし、ハンセン病の講義をして回った。

カルカッタから30km離れたチタガールに療養施設を建て「休憩の家」と名付けて治療した。
病気の軽い患者は治療を受けながら、村に作られた工場で働き、
マザーは敷地を病棟、シスターの居住区、田畑、患者とその家族の居住区に分けた。
「どんなに高価な薬より、家族の愛が最高の薬」

西ベンガルに知事が提供してくれた広大な土地にハンセン病患者の理想の村を作る資金集めには、
ローマ法王・パウロ6世がマザーに贈った高級車を賞品として宝くじを作り、
くじは飛ぶように売れ「平和の村」が完成した。マザー59歳。

1965年。インド国外にも修道会を開くことを許され、機内食が大量に捨てられている現状を見たマザーは
インド中の空港に頼み、欠航や遅れなどで手をつけてない機内食を孤児の家に払い下げてもらうことにした。
インド国内線はよく遅れるそうな

「孤児の家」で育った子どもは11,504人(1984年当時)。
修道女以外にも大勢のボランティアが協力して運営されている。

1981年。修道女として50周年を迎えたマザーは初来日した。日本の印象を聞かれて
「物が豊かに満ち溢れた国。でも心の貧しい国だと思います」と答えたという。

「日本人の笑顔には、なにか淋しさがひそんでいるような気がします。
 モノが溢れた日本では、快楽を求め、人生は楽しむものだと思っている人が多いからかもしれません。
 自分だけの幸福を追って他人を思いやる心のゆとりがない人の笑顔はとても寂しそうです」

スラムの子のために脱いであげた子どもの衣服は受けとっても、有力者からの現金は受け取らなかった。
「この豊かな国で有り余ったモノの中から与えていただきたいとは思いません。
 この坊やのように、自分が寒い思いをし、痛い思いをしてくださるものなら、
 たとえひと切れのパンでも喜んでインドへ持ち帰ります」

痛い思い
与える時に大切なのは、お金や品物の量ではなく、愛の量
自分を犠牲にし、痛い思いをして与えるほど、豊かで大きな愛であると説いた。

「あなたの身の回りでできることをしてください。誰もが愛の心を持っています。
 その心を行動に移して欲しいのです。
 あなたに会った人がみな、前よりもっと気持ちよく明るくなって帰るように

マザーは東京都、愛知県に神の愛の宣教者たちの施設を作った。
施設は、全世界で400カ所近くあり、聖職者は3000人以上、共労者は7万人いる(1988年当時

「疲れた時にはすこし休みなさい。そして笑顔が戻ったら、また仕事を続けなさい。
 すべての愛は笑顔からはじまるのですから

69歳で「ノーベル平和賞」を受賞。祝賀会の費用でスラムの15,000人分の食糧が買えると言って、
賞金192,000ドルとともに、すべて貧しい人たちのために使われた。


【沖守弘さんによる解説より抜粋メモ】
「神の愛の宣教者」たちはインドだけでなく、アフリカ、中南米ほか、
先進国であるアメリカ、イギリスなど貧しい人たちがいるところならどこでも出向いて活動している。

「インドより豊かな国の貧しい人々のほうが、耐え難い孤独と絶望に苦しんでいる」

沖守弘さんが取材を申し込むと、
「わたしの自叙伝を作るのではなく、私が世話をしている人々や、私の仕事を中心に取材してください」と希望した。

「悪夢の街」カルカッタ
かつてはインドでいちばん美しい都市と言われていたが、
第二次世界大戦後、もともと仲の悪かったインドパキスタンの宗教戦争によって
ヒンズー教徒が迫害を逃れてインドに流れ込んだ。
「宗教難民」らは住む家も、働くあてもなく、大都会に集中した。

同時期に干ばつ、洪水が続き、土地を持たない農業労働者も大都会に流れて、カルカッタに集中し、
駅構内、公園、学校、病院、はてはゴミ捨て場、道路上に住みついた。
路上生活者は悲惨そのもので、貧しさのために産んだ子どもを道端やゴミ箱に捨てていくという状態だった。

しかし、天使のように笑顔を絶やさず奉仕しているシスターたちを見て、
沖守弘さんは、全身から血がひいて意識が薄れるほどの感動を覚えた。
物質的な豊かさと引き換えに、日本人が捨て去ったものが、そこにあると感じた。

「わたしは効果や結果を問題にするのではありません。
 人はみな、神に望まれてこの世に生まれてきたのです。
 それなのに、その人たちが路上で飢え、病気になって、誰からも顧みられず、寂しく死んでいくことがあってはならないのです。
 ですから、臨終のとき手を握って、温かい愛情を与え、すべての人に、この世に深い愛情があることを、
 わたしたちは伝えてあげたいのです。
 この世の中の最大の悪は、こういう人たちに無関心で、愛が足りないことです。

4歳の男の子が3日間ガマンした砂糖を小瓶につめて「マザーの子どもたちにあげる」と言って差し出した。
「そのような喜びを、みなさんは体験されたこがありますか。
 与えるモノが、たとえどんなに小さなものであっても、大きな愛からでなければなりません。
 わたしは皆さんに、この日本の生活の豊かさの中の、有り余るものの中から与えていただきたいとは思いません。
 自分が痛むところまで与える、そのことをお願いしたいのです。
 
 豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。
 誰からも必要とされず、誰からも愛されないという心の貧しさは深刻です。
 心の貧しさこそ、ひと切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。
 日本の皆さん、豊かさの中で、貧しさを忘れないでください。」

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『女であること』(1958)@神保町シアター

2013-05-24 22:22:17 | 映画
『女であること』(1958)@神保町シアター
S33('58)/東京映画/白黒/スタンダード/1時間40分
原作:川端康成『女であること』 監督:川島雄三
出演:原節子、森雅之、久我美子、香川京子、三橋達也、石浜朗 ほか

森美術館での発作以降、また出かけるのが不安になっちゃったけど、
家にいても行動療法にはならないから、今度は映画館に挑戦。
以前、発作を起こした「渋谷ユーロスペース」では、あまりひっかかる作品がなかったから、
ミニシアター系でまだ行ったことがないところを片っ端から調べていたら、
今作を発見して鼻血が出そうになった

私のイチオシ邦画である『白痴』以来の原節子×森雅之×久我美子の3大スターに加えて、
香川京子、三橋達也って、これ以上ない豪華キャスティング。これを劇場で見逃す手はない
森雅之さんの出演作は、ビデオになってレンタル屋にあるものはほぼ観たと思っていたけど、
まだまだたくさん出演作があって、販売されてないものもたくさんあるんだなあ!

以前から気になってた神保町シアターだけど、行くのは初めてでドキドキ。
50~60代ぐらいのお客さんが多かったかな。平日ってこともあるだろうけど。
端っこは既に空いてなかったから、一番後ろの端から3番目に座ってみた。


▼story
有能な実績のある弁護士・佐山貞次(森)は、妻の市子(原)といつも仲睦まじいおしどり夫婦で通っている。
家には、佐山が担当している殺人事件で父が死刑宣告を受けている受刑者の娘・妙子(香川)を預かっているが、
父の判決の行方と、弁護士の佐山夫婦宅に居候している自分の境遇に押し潰されそうな妙子は始終暗い影を背負っている。
そんな妙子を支えているのは、学生の恋人・有田だが、まだ佐山夫婦には言えずに後ろめたい気持ちでいる。

市子の女学校時代の親友・音子の娘・さかえ(久我)が、大阪から家出して市子を頼って来た。
さかえは、妙子と正反対で、活動的で無鉄砲。市子を盲目的に愛しているため、
市子がなにかと目をかけている妙子を敵視したり、貞次にちょっかいを出して、家の中は急に混乱する。

そんな折、貞次の親友の息子・光一から、結婚前に付き合っていた恋人・清野を紹介されて戸惑いを隠せない市子。
それを見抜いて清野にも近付くさかえに、市子は複雑な嫉妬心も隠せず、夫婦仲がギクシャクしてゆく。。



ええ映画やったぁ・・・森雅之さん見てるだけでもうっとりするのに
大好きな久我美子さん演じるさかえは、私の好きな出演作『挽歌』(これも森雅之さんとの共演)にも通じるものがあって、
いつも思うけど、モダンなキュートさは、日本のオードリーみたいだ



若き日の美輪さんがオープニングに登場して、ヒラヒラのブラウスを着て、歌うシーンから度肝を抜かれる/驚
女であることがどれほど面倒かっていう歌詞を、表情で演じ分けながら歌っている。

「市子おばさまが好き。おじさまも好き。でも、2人とも好きな時の自分は嫌い
さかえが書き殴った日記を見てショックを受ける市子。こんなストレートな激情ってあるだろうか?!

 

おまけに、原節子に久我美子がキスを浴びせるシーン、
久我美子の若い誘惑にとうとう負けて、森雅之が土手の藪の中でキスするシーンまであってさらにビックリ!
途中、貞次のセリフについ最近のこととまったくリンクしたセリフがあってドキっとしたんだけど、なんだったっけ?!
上映中はもちろんケータイを切ってるからメモすることも出来ず、とうとう思い出せないまま後までモヤモヤした。
(おお!思い出した!「魅(み)せます!大奥@歴史秘話ヒストリア」で書いた「江島生島事件」だっ!


ストーリー的には落ち着くんだけど、さかえが突然別れを告げる雨のシーンは唐突で切なく、
いつまでも、いつまでも余韻に浸っていたい気持ちが残るラストもさすが。

気づけば、2時間近い映画を大した不安もなく夢中で最後まで観れたことにホッとした。


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神保町界隈、千代田区図書館 ほか

2013-05-24 22:07:26 | 町歩き
やきとり道場 神保町店
 
映画感で整理番号付きチケットを購入してから、ランチへ。
以前、小川町でカタログの仕事をしていた時にも神保町近辺までランチに来ていたから、
その時見つけたこのお店で1番人気の「焼き鳥丼」を注文。半熟卵もついて美味しい
一応、コンスタン1錠飲んで、14:45スタート(10分前に開場・整理番号順に入って自由席)まで時間をつぶすことに。


『ZABO HOUSE』@文房堂ギャラリー

以前もよく立ち寄っていた文具屋さんで「猫フェア」をやっていて、関連グッズもステキだったけど、
4Fギャラリーの絵もよかった。入れ替え制の展覧会とのこと。
いろんな画家さんたちの絵が飾られていて、すでに売れている作品もちらほらあった。
喫茶店に飾ったり、絵本の挿絵にしても可愛いなあって思うような絵も多くて、
それぞれの個性が活きた作品ばかりで、しばし目の保養になった



近所のオシャレ本屋さんのショーウィンドウには、内田さんの『ノラや(新装丁版)』もあったし!
古本屋さんでは水木サンの単行本が並んでいて、1冊1570円とかって値段がついてた


今日のメインだった映画の話はまた別に書くとして・・・


千代田区図書館
ここが立派だってどこかで知って、近いから寄ってみることに。
千代田区役所のビルの9階、10階が図書館(一部食堂)になっている。
入ると広いスペースを余裕たっぷりに使って、予約式の席は1人ずつ分かれて窓に向かって並んでいて、利用者も多い。
検索用のパソコンも、視聴覚用の機材も数台並んでいて、レファレンスの担当者も常時いる感じ。

エレベータの廊下を挟んで、反対側には古地図のカーペットが敷いてあって、
マンガコーナーには『猫村さん』も発見
文化人が選んだ本のコーナーのディスプレイにもお金がちゃんとかかっている風。

階段を上がった10階は、児童書コーナーで、やっぱり広くてキレイだけど、子どもが一人もいないのが気になった
その奥にある事務所が丸見えで、大勢のスタッフが和気藹々と働いている。

出口を出ると、奥には社食も兼ねているのか、食堂と売店がある。
スイーツもあるか聞いたら、食事のみだって。


さくらベーカリー

1階の道路ぎわにパン屋さんがあって、ビル内の別の場所で焼いている様子だったから、
パンは焼きたてで美味しいけど、ドリンクは家で作った感じ
ガラス張りの外を眺めながらテーブル席で食べられるようになっている。


今日は、都内も真夏かってくらいの暑さで、日傘をさしていても刺すような日差し。
帰りの電車の乗り換えでホームで待っていたら、蒸した空気でドキドキしてきた。
外に出るまでに時間と距離がかかるホームに長くいるくらいなら、
いっそのこと地下鉄に乗っちゃったほうが空調が効いている分、新鮮な空気っぽくて大丈夫な気がする。
運悪く「弱冷房車」だったりすると、アウトかもだけど。。
胸のムカつきも、逆食からきてるのか、自律神経からきてるのか不明。

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『UMEZZ HOUSE』(小学館)

2013-05-23 11:59:36 | 
『UMEZZ HOUSE』(小学館)
楳図かずお/著 蜷川実花/撮影

あの噂高き、禁断の楳図邸にカメラが侵入
楳図かずお/著ってなってるから、写真とコラムが適度に挟まれているのかと思ったら、
一気に写真のみで1冊貫き通している潔さがイイ

丁寧に道路の紅白パイロンから始まって、樹木の背後に突如現れる異空間。
鉄門をよく見ると「グワシ!」模様になってるし、赤い郵便ポストの「O」が「図」になってたり、
一番気に入ったのは、玄関からズルッとはみ出した尻尾?舌?/爆



中の部屋は原色だらけ 真っ赤な部屋なんて、ずっといたら頭がどーかならないだろうか?

なんだか縁起でもないけど、楳図さん亡き後は博物館として一般公開することまで視野に入れてるのでは?
とまで勘ぐってしまうほどの細部に渡る凝った演出、デザイン。



これまた、真っ赤な服を着た男の子(モデルさん?)が、
自由に遊んで、そのコを追いかけるようにブレた写真もそのまま使っていて動きが出ている。
さすが小学館。ページ数など惜しまない太っ腹な構成です。
この撮影のためにセッティングしたオブジェとかもあるんだろうか?
私もこまごまとした雑貨は好きだけど、現実的にホコリがたまりやすいから手入れが大変なんだよね



グワシ!って、よく指をひきつらせながら真似したなあ! あれっていくつの時だ!?w
子どもにとってはふつーにテーマパーク感覚なんだろうね。

暗くなるとさらに怖さ倍増
こんな家に住んでたら、それこそ素晴らしいホラー作品が生まれそうだよね


巻末には、2人のアーティストによる対談がある。



【対談の抜粋メモ】
撮影は外観を含めて3日間。

楳図「表現が難しいんですけれど、写真に写ったものを見るのと、目で見た見え方とは違うので、
   写真になった時にさらに見え方がアップしていて欲しいな思っていたんですよ」
その辺も大満足だった楳図さんv

楳図「この家を作るきっかけというのは言ってしまうと、ばかばかしいような話なんですけれども、
   とにかくものが増えすぎてしまって(笑)。これどこに置こう、置く場所を作らなければ、
   ということがきっかけだったんですよ。
   (中略)
   作るんだったら絶対夢のあるおもちゃみたいな感じ、というか僕の描いている
   漫画そのままという感じにしたかったんです。」

蜷川「最初どきどきしていろいろ見ているんですけど、すこし経つとほんわかしてきて、ほんとうに落ち着きますよね。」
楳図「原色を使ってはいるんですが、落ち着くのでとてもいいんですね。」(そーなのか

楳図「ステンドグラスがこの家のポイントですね。これはデビュー作の『森の兄弟』で描いた
   ステンドグラスを作ってもらったんです。」
ほんとに、ステンドグラスだけはメルヘンチックな可愛さがある。

鏡の裏にブルーの書庫があることについて。
楳図「家って、外と中は繋がっているという考え方を僕はしていて、
   それはステンドグラスを作ったということがそうなんですね。外の光が中に入ってくるということで。
   なので書庫も鏡の扉を開けた瞬間に、こちら側と書庫の側がつながる。
   (中略)
   やっぱりどこかで驚きが欲しかったので。『影』という作品では鏡に映っているもう一人の自分が
   鏡の中から出てくるんですね。そういう感じにしたかったんです。
   だいたい、自分の漫画の作品に出てきたものをそのまま踏まえて作りました。

渡り廊下について。
楳図「この家の設計のポイントは行き止まりがないということなんですね。
   循環して回っていける。行き止まりっていやなんです。動きを出したい、
   というか行き止まっちゃうとどうしても閉塞感が出ちゃう、そういうのはいやだったんですよ。」

蜷川「つまり、ご自分で選ばれたもの以外でこのお家にあるもの、というのは一個もない、ということなんですね。」

楳図「絵的なセンス、色のセンスがたぶん近いところにいらっしゃるということが大きいと思うんです。
   そこがないと、狙いどころが全部ずれたものになってしまうこともありえますものね。」

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『いとしのムーコvol1』(講談社)

2013-05-23 11:32:45 | マンガ&アニメ
『いとしのムーコvol1』(講談社)
みずしな孝之/作

2011年4月から講談社『イブニング』にて連載中のマンガの単行本第1巻。
ライブ友さんイチオシで、貸してくれました。かあいい~
表紙のムーコのイラストの鼻部分のみテカテカしてる
理由はお鼻がツヤツヤなのがムーコ一番の自慢だからv(健康の証だしね

秋田にあるのどかなガラス工房で制作・販売している小松さんと、柴女子のムーコ
このなんてことない日常描写がとても良い。

 

タオルを「ピーっ」てやるのが大好きなムーコ。
叱られる時はマズルを掴まれちゃうんだけど、
タオルピーぐらい許してあげてくださいな

 

変T好きには、小松さんが着ているTシャツがいちいち気になりますw
巻末にTシャツ紹介のコーナーまであって、ほんとに販売もしてるのか!?
一番ステキだと思ったのは、視力検査の時のマークTw

  

小松さんの友人・うしこうさんは、ラッパーのようないかつい風貌だけど、
彼も犬好きらしく、ムーコに会うと寝転んで遊んであげてる♪
ウェブデザイナーなため、HP作成を手伝うんだけど、
うしこうさんが撮ったムーコと、小松さんが撮った写真(めっさ笑顔)の違いが笑える!

驚いたのは、花火を怖がらないコもいるのね/驚
みーちゃんは、毎年花火の時期になると可哀想なくらい震えてたっけ



ただいま3巻目まで刊行。つづきも読みたいなぁ~
コメント

悲劇の皇女 和宮@歴史秘話ヒストリア

2013-05-22 16:32:44 | テレビ・動画配信
「八重の桜」を見た後に、この番組を見ると、その背景や詳細がより見えてくる気がする。

「悲劇の皇女 和宮 ~大奥に花開いた愛のゆくえ~」
 
当時、皇族は御所の外に出ることはほとんどなかったが、黒船来航以来、
幕府要人の暗殺などで国内は混乱。それを鎮めるための政略結婚だった「公武合体」
白羽の矢が立ったのが、将軍家茂と同じ15歳の皇女・和宮だった。
天下泰平のため、天皇の娘として、初めて徳川将軍家に嫁いだのは和宮が17歳の時。
「八重の桜」で岩倉具視が絡んでいたってゆってた記憶があるけど?

和宮の結婚パレードの長蛇の行列が1ヵ所を通過するのに4日間かかったという/驚
婚礼道具が入った神輿の幅は9m。通ったあとは家の一部が壊れることもしばしば
2000点もの婚礼道具は1点1点、一流の職人が作った。→「中仙道ミニ博物館」

草津宿は1年前から準備し、当時の献立表が今日まで残っている。
門やトイレまで改造したのに、結局1時間しか休憩しなかったとか
板橋の縁切りで有名な榎を迂回して通ったとか


 
大奥に入る条件として、都でのしきたりをそのままにして欲しいと言ったのに、着いてみたら話が違ってた。
「御風違」(習慣の違い)にいちいち困惑し、涙したことも女官・庭田の日記に記されている


 
もともと病弱だった夫・家茂は、和宮と仲睦まじく暮らしたが、それもわずか2年ほど。
家茂からの最後のプレゼントは西陣織で、それを詠んだ歌が切ない。
脚気で享年21歳で家茂は亡くなる。子どもがいない和宮は出家したが、
「徳川家が無事、静岡に帰るまでは京には戻らない」と何度も手紙を書き、
徳川方・勝海舟と官軍・西郷隆盛の和平交渉があり江戸城は戦禍を逃れて官軍に明け渡された。


 
和宮は32歳で亡くなる。家茂の写真を抱えて徳川家の墓地に眠っているという。
昔は寿命が短かったけど、空しい世の中で命ばかり長く延びるより、
30代ぐらいで出家して、短く散った昔の人のほうが、よほど充実した人生だったかもしれない。


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魅(み)せます!大奥@歴史秘話ヒストリア

2013-05-22 16:32:43 | テレビ・動画配信
「魅(み)せます!大奥 ~江戸城ワーキングウーマンのすべて~」
徳川家の子孫繁栄のシステムとして大奥を作ったのは三代将軍・家光。
当時、町民の女子は大奥にみたてたすごろく遊びなどして、大奥の女中暮らしを夢見ていたが、実際は厳しい世界!
ほとんどが貧しい家の出で、給料は実家に仕送りしていた。
最初に血判を交わし、中に入れば家族にも会えない。
長~~~い廊下の掃除から、衣装のコーディネート、男子禁制であるため力仕事も女性がやった/驚

 
こんなに広い敷地内でも、窓がないじゃない 耐えられません・・・涙


 
「御末」の下っ端から、「御年寄」、「玉の輿」にいたるまで、
その細かい役割分担、役職ごとに待遇もピラミッド型に分けられていた。
役職は全部で21種類。年収は下級武士とも並ぶため、女性の自己実現の場であったとも言える。
出世の裏技は、上司が可愛がっている犬や猫を貰えば親しくもなれ、出世の口ぞえもしてもらえる!
1に引き、2に運、3に器量と言われた。


 
華やかなイメージとは裏腹に、派閥争いなどのストレスも多大で、
人間関係で悩んで自殺する者さえ出たという

寺社参拝の外出は許されていたため、それを理由に歌舞伎などを観たりして息抜きもしていた。
それがきっかけで住職や役者とのスキャンダルで島流しに遭った者もいた
最大のスキャンダルは「江島生島事件」
30代で御年寄までのぼりつめた江島と人気役者の逢瀬。その背後には派閥抗争もあったとか?!
しかし、真面目な江島は流された信州()で行儀作法を教えて親しまれた。


大奥での転機は30歳。玉の輿の年齢制限が30歳であったため。
究極の花嫁修業として有利な結婚も出来るor残ってキャリアを目指すか悩みどころだった。

大岡多喜はキャリアを目指す。それは一生独身であることを意味した。
「筆頭御年寄」まで上り詰め、派閥抗争で毒を盛られたり、放火されたりしたが、
無事勤め上げて、1年かけて引き継ぎしてから辞任後、侍女の親戚のある川口市に移った。
御年寄ともなると、大奥での名を元に一族を興すことも許されていたため、
みねを養女として育て「瀧山家」を興した/驚 明治9年、瀧山は71歳で死去。


 
退職後は、年金制度もあり、江戸城そばの屋敷で共同生活することも許されていた。
明治維新後、大奥は解体。秘密だった大奥の実体を、実際に勤務していた女性から話を聞いて書き記した書もある。

自己実現といっても、実体は牢獄の中の奴隷みたいだなあ・・・

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花魁(おいらん)の真実@歴史秘話ヒストリア

2013-05-22 16:32:42 | テレビ・動画配信
「花魁(おいらん)の真実 ~江戸・吉原遊郭の光と影~」
渡邊あゆみアナがなんと花魁姿で登場驚 総重量20kgの衣装を着ての「花魁道中」。

吉原は江戸時代の初め、幕府公認の遊郭として造られた。
吉原の広さおよそ2万坪は全国でも最大級。その入り口は「大門」ただ1つ。
中に入ったら刀の持込禁止、身分も関係なしの一大テーマパークだった!
当時の3大スターを描いた絵には、歌舞伎役者、力士、花魁の姿。

【花魁に会うまでのステップ】
 
1.引手茶屋で花魁を紹介される。財布は預けるw
2.引付場
3.初回(上座を空けたまま宴会
4.数日待って、再び宴会をもうける。花魁には客を選ぶ権利があった。
5.再び数日待って、気に入られれば、初めて2階の自室に恋人として迎えられる。
6.「馴染み」となれば夫婦のようにふるまえる→床入り
全部合わせて約200万円はかかる究極の大人の遊び。ほかの遊女との浮気は厳禁

約3000人いる遊女の中で、太夫や花魁になれるのは数百人に1人。
その条件は厳しい。1.器量 2.高い品格・教養 3.芸事・賭け事にいたるまで
まさに究極の恋人ってわけ。


【最新のファッションリーダー】
 
当時300種類ほどあった髪型は、遊郭から流行が発信され、庶民はこぞって真似をした。
1人の花魁を中心に、桔梗など模様を決めてチームを作り、後継者の育成にもあたっていた。


【遊女と浮世絵師・喜多川歌麿】
 
多様な身分の者が仮装して集まる「狂歌会」に通っていた歌麿は、
2000点もの絵を描き、そのほとんどが遊女をモデルとしていた。
松平定信による「寛政の改革」以降、贅沢を禁じられた時も美人画は飛ぶように売れた。
花魁や単なる美人画だけでなく、最下層の遊女の実生活も赤裸々に写した。


【遊女の記録】
 
遊女の多くは借金のカタとして、家族に売られた娘たち。
華々しいのは27歳まで。遊女の夢は「身請け」され、遊郭を1日も早く出ることだった。
個々の記録が現存しない。19回もの火事もその原因の1つ。
「浄閑寺」には、身寄りもなく、捨てられるように死んだ遊女が眠っている。通称「投げ込み寺」。


「生れては苦界 死しては浄閑寺」

奉公に出した娘が遊郭に売られたりすることも多かった。
研究者いわく「江戸時代は、様々なものが商品化していき、性も商品化し、その極北が吉原という空間」
今も同じじゃん。

そんな名もない遊女を何人も見受けして面倒をみた商人もいた。山東京伝。
「遊女にも賢あり才あり、或いは親の為にし、或いは兄弟の為にせざるは稀なり」
研究者「遊女たちが何のためにそこにいるのか、町の人々も皆知っていた」


 
明治以降、ヨーロッパで日本ブームがおこり、歌麿の絵も絶賛され、ゴッホらも真似た。
また、「紺屋高尾」など落語に今も残っている。

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NHK大河ドラマ「八重の桜」(10~20回)

2013-05-22 14:33:07 | ドラマ
NHK大河ドラマ「八重の桜」(10~20回)(2013年1月6日~12月 全50回)
作:山本むつみ
テーマ音楽:坂本龍一
語り:草笛光子
出演:綾瀬はるか、西島秀俊、綾野剛、西田敏行 など

前回まではこちら→here
連ドラは毎週毎週見るのが面倒なので、まとめ見するから、前回までのあらすじがすでに薄らぼんやり状態
で、間違えて10回を飛ばして11回を先に見ていたことにも気づかなかった
OPがスワロフスキーみたいなのに変わったのもいつからだっけか?

「夏草や兵どもが夢の跡」ヒトの誕生からずっとある権力争いにいくら躍起になっても徒労に終わるのが世の常。


【あらすじメモ】(歴史に疎いので間違いがあったら勘弁しておくんなんしょ/謝

▼第十回:池田屋事件
象山先生は、朝廷に開国を説くため上洛「開国こそ国是である」。
武器を密かに調達し、池田屋(出た)で会議していたところに
会津藩が止めるのも聞かずに乗り込んで皆殺しにする新撰組
「会津の戦には付き合えん」(一橋慶喜)、池田屋の責任をかぶって蝦夷に左遷される秋月
頼母は、官兵衛に腕のある者を連れて京に行くよう言い渡す。
のちの八重の夫となる新島襄は、閉塞的な日本を離れ、外国船に乗り込んで単身アメリカへ赴く。


▼第十一回:守護職を討て!
 
象山は、京都に行く途中で無念にも暗殺された上、松代藩苦渋の決断によって佐久間家はお取り潰しとなる。
表向きの理由は、後ろ傷は武士としてNGなんだって
持病が悪化し歩行もままならない状況だった松平容保を狙う長州藩の噂も上がる。


▼第十二回:蛤御門の戦い
 
長州討伐の勅が下り、要所に配置する会津兵。劣勢となったところに西郷率いる薩摩藩の加勢により勝利となるが、
覚馬は大砲の爆裂による負傷でのちに視力を失ってゆくことになる。
戦火により「応仁の乱」以来の大火となり、会津藩は家族や家を失った町民に憎まれる。
総元締めの大垣屋は、私財を使って炊き出しを行う。本物の戦に初めて触れた覚馬は疑問を感じ、復興に手を貸す。
覚馬のアイデアで、尚之助×八重の縁談話が持ち上がり、意識してギクシャク


▼第十三回:鉄砲と花嫁
 
幕府は長州征伐を本格化。官兵衛ら3人は京に着き「別撰組」と名付けられ、新撰組と対立する
秋月は、覚馬の手紙から尚之助の才能を会津の外で活躍させる案も出すが、
尚之助は「ここに残りたい!」とプロポーズして、八重とめでたく祝儀をあげる。

「下関戦争」でイギリス・フランス・オランダ・アメリカにコテンパンにやられて開国思想に傾く長州藩。
西郷は勝海舟に会い、「内乱している時ではない。“共和政治”で各諸藩の代表が口論で国を動かすべき。
幕府は熟しすぎた柿。外から攻められたら簡単に潰れてしまう」と言われ開眼する。
「長州には恭順を説く」と言って西郷は藩から責められるが、長州藩は3人斬首して和平となる。
「蛤御門の戦い」の働きが認められ、覚馬らはそろって昇進するが、会津藩の国許は京での散財で財政難に苦しむ。


「高須四兄弟」と呼ばれた1人、容保は戦わずして和合した兄弟と足並みが揃わなくなってゆく。


▼第十四回:新しい日々へ
今度は藍染めみたいなOPになった。八重の結婚祝いに貝に入った都の紅を贈った覚馬はなかなか思い遣り&センスがあるね。
しかし、覚馬は白そこひ(白内障)と診断され、近く失明すると宣告され絶望する。
アメリカの「南北戦争」終戦で不要になった武器が日本に流れる。
岩倉具視×大久保一蔵(利通)が会い、「長州、幕府、どっちが勝ってもいかん」と説く。
長州藩・木戸孝允(桂小五郎・ミッチー)は「代々の鎧を売ってでも新式の銃を買うべき」と戦備を整える。
横山主税は頼母に「秋月を頼む」と言い残して死去。

 
岩倉具視は、和宮×第14代将軍・徳川家茂の縁組に関係した?ことで命を狙われて隠居状態の間に数々の著書を書いた。


▼第十五回:薩長の密約
新島は1年の船旅の末にボストンに着く。
一橋によってようやく長州征伐の命令が下る。西郷×大久保×桂が手を組む密約を交わす。
「もしもの時は会津と一戦交えても。むしろ会津は都から取り除かねばならぬ」
薩摩が使用していた鉄をも通す銃はどこから仕入れているのか調べるため、覚馬らは銃調達のために長崎に赴く。
長崎の異人の医師にも目を診てもらうが診断は同じ。
家茂が亡くなり、一橋が将軍を継ぐ。コロコロと方針を変える一橋は「二心殿」と呼ばれていた。


▼第十六回:遠ざかる背中
勝海舟は「260年間、幕府は歳をとりすぎた。徳川と日本国を秤にかけてよく考えてみろ!」と覚馬に檄を飛ばす。
一橋も「幕府など一度壊れればいい。すべてを作り直せばいい」と再建のため、再び会津を都に縛り付ける。
岩倉具視×西郷は倒幕を誓うが「一橋が将軍につけばやっかいなことになる」と警戒する。

江戸育ちで垢抜けた美人の才女・中野竹子(黒木メイサ)が八重のライバルとして登場。
「剣や刀と違って、銃には武士(もののふ)の魂がない」と言われ、返事が出来なかった八重。
梶原平馬の妻・二葉は男児を出産(ずいぶんポロっと産まれすぎw
孝明天皇は容保と2人だけで話す。「会津は敵を作りすぎましたゆえ」国許に帰るという容保に、
「わしにはそなたは心の支えであった。もののふの誠は義の重きにつくことにあると学んだ」と声をかけ、
涙にむせぶ容保だったが、その後わずか発病13日で孝明天皇は崩御となる(毒殺の噂もたった
そして、慶喜は第15代将軍に任命する。

 
孝明天皇が容保に遺した歌を詠んだ書簡を、容保は生涯肌身離さず持ち歩いたという。
疱瘡って・・・なんとはかない/驚


▼第十七回:長崎からの贈り物
 
舎密学(化学)など進んだ長崎に驚き、失明するわが身を呪う覚馬に
「世界中の書物を読み尽くせる人はいません」と慰める修理(ほんとだよねぇ・・・
のちの伊藤博文も登場。グラバー邸は諸藩の根城になっていたんだ/驚

 
ドイツ人武器商・カール・レーマンと衝突する覚馬だったが、
「異人も同じ人の子、人の親だ」と心改め、「ツュントナーデル銃」を1000丁注文。
「野蛮人」呼ばわりしていたカールも心を解き、護身用の「スペンサー銃」をプレゼントする。
覚馬はそのスペンサー銃を八重に贈る。7連発が可能。
長崎での外国人との深い交流はのちの覚馬の人生にも大きく影響することとなる(てか、異人さんは標準語なのかい?w

土佐藩の板垣退助も薩長と組む話をする。容保の養子・喜徳は元服を迎える。
八重の弟・三郎は江戸に向かう。彼が「山から城がよく見えました」と言っていたのを聞いて、
尚之助は城の守りに疑問を抱き、自ら山に登ってみることを決心。八重も同行する。要所は白河関


▼第十八回:尚之助との旅
 
尚之助は、ようやく日新館の砲術仕官に決まり、三郎もいなくなった山本家のために家に残ることを決意。
新式銃が必要と分かっていても、藩の財政難は深刻。
「いざという時は山に大砲場を作って欲しいと覚馬と約束していた」と振り返り、尚之助はできることから着手する。

西郷の従兄弟で土佐藩・大山弥助(後の巌)は「出征は出来ない」と断る。
12月7日「神戸開港」の場で、慶喜は日本代表として異人と会見する。
町には「ええじゃないか」が大流行り。その騒ぎに乗じて覚馬は刺客に襲われる。
一揆、打ち壊しも増加し、大垣屋は世直し騒ぎも止む無しと説く(商人なのに強いな/驚

朝敵を倒す「錦の御旗」を作らせる岩倉具視。政権を朝廷に返せと幕府に申し立てる。
命の危険を感じた慶喜は「大政奉還」を決意し、徳川家も諸藩と同列となって、存亡を賭け、復活の時を待つ。


▼第十九回:慶喜の誤算
 
岩倉「国を一から作り直すのだ」
容保「万一の時は家老のみ残して全員上洛して戦う!」
頼母「長州が攻める前に皆帰ってくればいい。京都守護職を命じたのは幕府、それがなくなったなら戻るのは道理」
「都ではその正論が通らぬのじゃ」と言われ絶句する。
尚之助は、急遽、反射炉の設計を任される。

次第に視力を失う覚馬のもとに、大垣屋からの使いとして身の回りの世話を言い付かった小田時栄が登場。
藩主警護の名目で薩摩藩は御所の護衛を固めた。
岩倉が「王政復古」の書簡を運び、今後の政治は「総裁、議定、参与の三職」で行うと宣言。
新政府となって最初の会議に慶喜は仮病で欠席するが、「慶喜は冠位を降りるべき」と岩倉。
西郷の脅しもあって、徳川家は領土200万石の召し上げが決定する。


▼第二十回:開戦!鳥羽伏見

徳川家が大坂に下るにあたり、容保もお供することになり二条城を裏門から都落ちする。
「人は変わることを恐れるものだ」西郷は江戸での騒ぎを導火線にして、再び戦が始まる
幕府の援軍が来ず、新撰組が切り込むが、林権助は戦死。会津に退去命令が下る。

 
こうして「戊辰戦争」に突入してゆく。



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