メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

石鹸

2013-05-07 23:55:55 | 日記
カウンセリング。
なんだかまた私の愚痴が多くなって、カウンセラーさんの質問もループしてきて、2人して行き詰ってしまった
母側のことじゃなく、あくまで“私の感情”を聞かれるけど、それも一緒に話しているつもりなのに、
カウンセラーさんにも伝わっていない、理解してもらえないのは辛いなあ・・・
Q:「はい、はい、と受け流すとどうなるか? または、“それは違うけどね”と言ったらどうなるか?」
A:「私がどう反応しようと、親の態度はまったく変わらない。
   今までもあらゆる手を試したが、変わらず軽視され、非難され、傷つく、居場所がなくなる思いは同じ」

でも、今回は長野に帰省することについての話が多かったかな。
長野は好きだし、エネルギー充電したいが→父母が過干渉になって、年々エスカレートする
Q:この相反はこれからも変わらないのに、なぜ帰省したいのか?
A:親も歳をとって、年1回帰るとしても、お互い元気なうちにあと何回会えるか分からないから、
  元気な顔を見て、話もしたい実家でもプライベートな空間・時間は欲しい。

で、また「相反すると分かっていても、そうしたいのはなぜか?」て質問自体がループして、2人で苦笑してしまった。
そこが一番知りたくてカウンセリングを受けてるのに、その答えを直に聞かれても答えられない大きな壁がある。
うーーーん・・・

今回もタイムアップをちょい過ぎてしまい、次回への宿題も出す余裕がなかったみたい。


先週、あれほど咲き誇っていた花もすっかりなくなってしまった。
今はちょこっと朝顔とか、薔薇も咲いてたかな。
逆に新緑が陽に当たって、まるで油で艶でも出したように生き生きと輝いていたのがキレイ


魚盛
ランチ処を捜し歩いて疲れてしまい、結局、駅の近場にしたけど、この店って昔からあるよね。
意外と一度も入ったことがなかったけど、リーマンのランチにはいいかも。
広くて、テーブル席、カウンター席もいろいろあって、昼時にあまり待たずに、
お得な値段で、ちゃんとした海鮮丼やらの定食が食べれるし、ドリンクバーも勝手に入っている。
でも、ランチに冷たいお茶がついてくるのを知らずに、アイスティーを持ってきたのは失敗だった。
(先にゆってよ・・・



先日のペット博以来、うっすら寿司&海鮮が続いていて、今日も「バラちらし丼と蕎麦のセット」を注文(写真が暗い
お蕎麦は温かいor冷たいのが選べる。他のメニューも美味しそうな名前だったな。
カウンター席は、ガラスを挟んですぐのところに調理場が見えて、3~4人の男性が忙しそうに立ち回っている。
次々に入ってくるお客さんの注文を聞き逃さず、大盛りやら、みそ汁追加やら、間違えないって当然ながらスゴイ!



帰りに食料品やら、トイレットペーパー、ティッシュボックスなど手に一杯持っている時に限って
もの凄い向かい風のGがかかって、途中、途中、立ち止まってしまった
なんなんだ、この毎日のように吹く大風はっ 毎年こんなに吹いていたか???
なんだか、年々生きづらくなる気がしているのは私だけ?


その他のトピックス。

「あさイチ」のジャパナビコーナーで改めて紹介された千代田区の魅力が面白かった。
●セルバンテス文化センターのミニシアター
●千代田区役所内の図書館と食堂
●ホテルレストラン特集
●少女マンガのみの古本屋@神保町 三原順など
●スマトラカレーは、大正13年から創業/驚


以前、ボディシャンプーで肌が荒れる話をしたら、薬剤師さんから石鹸に変えてみては?と薦められてから
ここ1~2年、肌にやさしい系の石鹸を見つけたら買うようにしている。
本当は、石鹸もそれほど使わなくても、要らなくなった皮膚はお湯だけで落ちるらしいけど。
高級なものは買えないから、あくまで数百円のふつーに売っているもの限定

  


「lyrics」もアップしました。


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内田百『ノラや』(中央公論社)

2013-05-07 17:40:45 | 
『ノラや』(中央公論社) 
内田百/著

内田さんを教えてくれたライブ友イチオシの1冊。
内田さん+にゃんこときたら、面白くないワケがないと思って、
借りたはいいが、逆に読むのが惜しくて1週間ほど眺めて放っておいたくらいだったがw
それではしょうがないので、読み始めたら想像以上にヤバい。
内田さんも、にゃんこも、いちいち可愛いすぎて、読んでて顔がくしゃくしゃになる!

でも、発情期がきて、ノラがふいに家を出てしまってからの内田さんは、完璧にペットロス状態/涙涙涙
猫探しの広告を見た人がたくさんの目撃情報をくれるけど、一体、内田さん宅はどこなんだ?
ってウィキを見たら「東京都千代田区六番町」とある。四ッ谷駅の近所か。

飼い猫でも、知らぬまに遠出して、あちこちの縄張りから追われて逃げているうちに
帰り道が分からなくなってのらになってしまうって話は聞いたことがある。
あらゆる策を練って探して、それに付き合う奥さんたちが奴隷みたいに見えてきてしまう

ノラに似た猫をクルツと名付けて、ノラがいなくなってからはクルちゃんを可愛がるけど、
そのクルにも寿命がやってきて。。これほど可愛がっても、命とはこんなにあっけないものかと思う。
そんなノラとクルツに関係する短編集を集めた1冊。



【内容抜粋】()内以外は抜粋

彼ハ猫デアル
(近所ののらねこが子どもを産んだ。そのうちの1匹が内田家の庭で遊ぶようになった。
 水がめに落ちてしまい可哀想だから、お見舞いにゴハンをあげてから縁ができ、
 名前をノラと名付け、だんだんと家に入るようになる)

イプセンのノラは女であったが、彼は雄である。時勢が変われば人間だって男だか女だか判然しなくなり、
入れ代わったりしないとは限らないから男のノラで構はぬ事にする。

(お風呂の蓋が温かいため、ノラのお気に入りの場所になる)

蓋の桟を枕にして小さな三角な頭を載せ、四本の脚を伸ばせるだけ伸ばして大の字になっている。

電気の明滅に戸惑い目が悪くなり、眼鏡を掛けなければならない様な事になるだろう。
しかし現に猫が眼鏡を掛けた様な顔をした人間もいるから、ノラは気にしなくてもいい。

動物の目方を計っているのは、後で料理して食ふつもりの様にも見える。
猫を食はうとは思わないから、そんな疑はしい所業で猫の誤解を招くのは心外である。


ノラや
(家ではも飼っているため、入ってはいけない部屋、台所に登ってはいけないなどのルールも作る)

猫を睨むにも気合ひがある。学校教師の時、学生を睨んだ目つきでは猫には通用しない。

(ノラは庭から外に出ようとはしないが、庭に入ってくるのらねことケンカになると、内田さんの奥さんが加勢して追い払う

一所にぢっと坐り、何だか見つめて、学生が語学の単語の暗記をしている様な顔をしている事もある。

(そして、発情期がやってきて、ノラは奥さんの手から抜け出して、外に出て行ってしまい戻らなくなる。
 翌日は大雨が降って、帰り道が分からなくなってしまったのか?と心配する夫婦。
 ここから延々とノラ探しの記録がはじまって、いなくなって何日経ったか数え始める)

もう帰らぬのではないかと思って、可哀想で一日ぢゆう涙止まらず。やりかけた仕事の事も気に掛けるが、丸で手につかない。

二十八日以来あまり泣いたので洟を拭いた鼻の先が白くなって皮が剥けた。

今ごろノラはどこにいるのだろう。あの合点の行かない顔をして、どうしているのだろう。

(ノラにとてもよく似た猫が庭にくるようになる。のちのクルツ)

夕方平山からの電話の時、猫捕りに持って行かれたのではないかと云ふ。
馬鹿が。そんなあやふやな事を、知らない事もない今の私に伝へてどうしようと云ふのだろう。

(とうとう猫探しの記事を新聞紙に出したり、折り込み広告に出したりする。
 内田さんは、ノラがいなくなってから毎日入っていた風呂にも入らなくなる。それはちょっと・・・
 風呂の蓋に置かれたノラ用の布団に額を押しつけ、ノラやノラやと言って止められない。
 泣いてばかりで身体にさわると言われ、医師を呼んで「そのつもりでお手当て下さる様頼んだ」)

(広告の甲斐あって、ほうぼうからの情報があり、電話もしょっちゅう鳴って、
 そのたびに奥さんや、お手伝いさん、出版社の方?などが駆けつけて行って見ては違うという
 交通事故等で死んだ猫を埋めたが、ノラではないか?と言われると、掘り返してまで確認した
 中には賞金にひっかかった脅迫めいた謎の電話、いたずら電話もかかってくる)

(NHKの「こんな話あんな話」でノラの事が放送された。
 一度、見つかったという電話があり、こんなに嬉しい気持ちはない、今度はすぐに首輪をしなければ、
 と思っていたが、違っていると分かって全身の魂が抜ける。
 けれども、高級な洋猫ならともかく、他人の“駄猫”に心をくだいてくれる人がいて、
「うちの猫は3ヶ月で帰ってきた」「うちは1年で帰ってきた」という手紙にも感謝する


ノラやノラや
(ノラが帰ってきた時の御礼の文面まで考えたり、心配をかけた周囲の人を晩餐に招く段取りもしたのにまだノラは帰らない。
 そのうち、子ども向けの謄写版刷りや、外国人向けの英文でも猫探しの文面を書いて配る。
 元気な若い猫が急に病死するのは不自然だし、三味線にする猫捕りは疵跡のある猫は捕らないとか
 意外と冷静に分析してるのもすごい/驚)

クルツがあまりにノラに似ているから「兄弟ではないか?」という人もいる。
 シッポは違うが、行動や表情があまりに似ているから正視できないが、邪険にも出来ずゴハンをあげるようになる)


千丁の柳
(あまりに内田さんが嘆き悲しんでいるのを心配した仲間が、熊本方面への電車の旅に誘ってくれる。
『阿房列車』はまだ読んでないけど、その時の登場人物(みんな仮名)もいるみたい。
 椰子くん、菊マサ、雨男ヒマラヤ山系君とか、あだ名だけでも可笑しい

(乗った電車の名前が「あさかぜ」というのがおかしいという内田さん)

「いつお立ちですか」
「あしたの晩の朝風です」
この名前を決定した係りの諸氏は、かう云ふ挨拶で身体のどこかが撚ぢれる様な気持はしないのだろうか/爆
(ちなみにこの「あさかぜ」は、東京⇔博多の間で15駅しか停まらないんだって)

(空いた席に1人のカメラを持った男性が加わる→窓際だから窓井さん。仕事は差押への大家)

「私は差押への話しが大好きなので、乗り出した」(なんで大好きなの

「税金、罰金、お賽銭、縁がなくて手を離れたお金はもう他人の物で、
 お金に性格はないから何に使はれてもお金がお金として通用するだけの話です。
 お賽銭箱から取り出したお金で坊主が女をこさへようと、神主が競馬に行かうと、
 こっちの知った事ではありませんからね」

「僕は人が税金を納めるのは大好きだが、自分は気が進まないのです」

(面白い論理だなあ!てか、内田さんは家でも毎日晩酌するらしく、そうとうなお酒好き???)

(途中で写真技師の小石清くん(これは本名)が加わった。有名なカメラマンらしい

門司駅で小石君と別れたのは六月二十一日である。それから十六日目の七月七日の朝、
小石君は奇禍による怪我の為に門司の病院で他界した。

私は腹がへっている情態が好きなので、腹がへっている間は愉快である(ってゆうのも変

お酒がよく廻って面白かった。面白い一皮下に、薄紙一重で遮ったこっち側にすぐ泣き出しさうなものがあって、
いくら家を離れても、こんな遠方まで来ても何にもならないと思ひたくなるのを、同座の諸君のお蔭でやっと制した。


ノラに降る村しぐれ
(いまだ帰らないノラ・・・)

皮を剥がれて、三味線に張られて、今頃は美人の膝に乗っているだろうと云ふ。
人の家の猫がいなくなったと云ふと、すぐにさう云ふ事を想像する人の御先祖は何をしていられたのかと疑はしくもなる。

「ノラや」と「ノラやノラや」の二篇は推敲はおろか、書き上げた物に後から目を通すと云ふただそれだけの事すらしていない。
締切りに追はれた為ではない。苦しくて自分の書いた物を読み返す事が出来なかった。

家内は千駄ヶ谷の動物愛護教会へノラを探しに行ったが、無意味であった。
愛護教会と云ふのは猫や犬を「眠らせる」つまり殺して始末する所の様である。

私の友人にもノラに似た口許のプロフェッサーがいるけれど、気を悪くされるといけないから名前は指さない。

(ノラの思い出を綴る内田さん。猫の一番可愛い所は耳だという)

ノラがぼんやりしている時にいつも耳を折り畳んでやった。片一方をちゃんと折り畳んで、これでよしと思って、
もう一つの耳に取り掛かると、人が折角折ったものをぴんと伸ばしてしまふ。


ノラ未だ帰らず
(記録のつづきが記されている)


猫の耳の秋風
(ノラがいなくなって長く、しだいにクルツを可愛がる夫婦

人間担当の主治医の博士は、京浜線の混み合ふ電車の吊り革にぶら下がってやって来る。
猫担当の主治医は田園調布の辺りの遠い所から、自動車で、看護婦を連れて乗り込んでくる。
世は逆さまに成りにけりの感がない事もない。

「クルや、お前は猫だから、顔や耳はそれでいいが、足だか手だか知らないけれど、
 その裏のやはらかさうな豆をこっちに向けると、あんまり猫猫して猫たる事が鼻につく。
 そっちへ引っ込めて隠しておけ」(肉球を豆って!w)


ネコロマンチシズム
(昭和30年頃は内田さんには辛い年だったそうだ。
 31年に宮城道雄さんが亡くなり、32年にノラが家出し、33年には奥さんが大病で入院した)

(皇居に這入って帰らなくなった迷ひ猫は無数にいる。野性に戻ってしまうそうな。
 でも、きっとノラは帰り道が分からなくなり、他の人に飼われているのだろうと思う著者)

クルツには、お刺身の残り、鰈の切り身、シュークリーム、グワンジイ牛乳などを与える。


クルやお前か
蘇聨(ソレン)の衛星船ボストーク三号と四号が地球の外に飛び出して、
まはりをぐるぐる廻っていっるさうだが、そんな事はどうだって構はない。

クルツは気が強くて喧嘩早いので、年がら年ぢゆう怪我をして帰って来る。

(その外傷がもとなのか、8月のある日から急に体調が悪くなる

ドクトル来診。手当をして貰ったが、敗血症を起こしているのではないかと思ふとの事にて一層心配也。

(手厚い看病も空しくクルツは亡くなってしまう。闘病11日目のことだった。夫婦と女中さん3人で看取って号泣する。
 その年の冬には、内田さんの小学校以来の旧友も亡くなったという。友人が勧めていた本はこの方についてのことかな?
 法政大学航空研究会会長として軍用飛行場だった立川飛行場で学生の監督をしていた縁で「ひよどり会」に出かける)


泣き虫
(実家が造り酒屋で、ある日、可愛い雲雀の子がやってきたが、翌日2羽とも亡くなってしまったことを思い出す)

小さな雲雀の子が死んだと云ふだけの事が、子供心のもっと奥の何かにさはった様である。
泣き虫の源は遠い様である。
今クルの為に抑へ切れないでいる涙は、昔昔、雲雀の子に流した涙と同じところから出ている様な気がする。


カーテル・クルツ補遺
(いなくなったクルだが、夫婦は日常の中で彼がまるで生きているように会話を交わすようになる)

人間の幽霊は、その幽霊を見る人の為に出ると考へていいだろう。
況んやクルは幽霊ではない。クルはいつも私共の心の中に安住している。

人は(内田さんのことを)猫好きのおやぢだと思っているらしい。
(ウチの子をあげますとかゆってもらっても、ノラやクルが好きだったのであって、けして猫好きなわけではないという。ややこしいな


垣隣り
(ノラからクルへのつながりをまとめようとして書き始めたけれども、
 なんと、6年も経っているのに、まだ思い出すに耐えられず、短い出だしのまま筆を置く内田さん)


クルの通ひ路
庭の隅の地の底で、姿はもうなくなっているに違ひないが、一たび生を享(う)けたものに、その跡が遺らぬ筈はない。
玄関前の、塀際の支那鉢のあたりで、猫の小鈴の音がするのは、クルや、お前か。お前の鈴の音だらう。


「ノラや」
昨夜ノラが帰って来なかったと思った途端、全然予期しなかった嗚咽がこみ上げ、
忽ち自分の意識しない号泣となり、涙は滂沱(ぼうだ)として流れ出して枕を濡らした。
今となって思ふに、その時ノラは死んだのだらう。遠隔交感(テレパシイ)の現象を信ずるも信じないもない。
ノラが私の枕辺にお別れに来た事に間違ひない。

「ノラや」を書き続ける間、雑誌に載っている時から反響があり、見も知らぬ多くの人人から、
失踪した自分の飼ひ猫の、悲痛な思ひ出を綴った手紙が寄せられた。
後に「ノラや」を単行本として一本に纏めた時、それ等の手紙はすべて巻中に収録した・・・。


【平山三郎氏による解説の抜粋メモ】
ことの起こりは32年3月に始まり、家猫にたいする追慕の念は歿年(46年4月)の前年にまで断続している。(驚)

「猫は我我の身辺にいる小さな運命の塊まりの様なものである」

「家を出て、どこかで死んでしまったと云ふ確証がないので、あきらめる区切りがつかない」
「それだからつい、不用意の口癖『ノラや』が今でも口から出る」
先生の家のお膳に坐って御馳走になっていると、前後のつながりは何もなく、とつぜん、ノラやノラやノラや、
と先生が調子をつけて呟き出したのを思い出す。

じつははじめ先生の奥さんから電話があって、さびしがって泣いてばかりいる、と聞いたときわたしは、真逆(まさか)と思った。
あの気むずかしい、謹厳な大先生が、猫がどこかへ行って戻らないだけのことでおろおろする筈がない、
まして涙を流して猫の名を呼びつづけているなどとは想像することもできない。

32年秋に刊行された『ノラや』には、“猫 夏目漱石筆 鉛筆画”が挿入されている。

「ノラ来簡集」は33通の、悲嘆にあけくれる百主人あての手紙全文を収めた。

(ノラ生前の頃に、吉田茂と対談が行われた際、犬猫談義になって、吉田茂の犬に向かって)
「フン、この物体は犬ですね。雑巾を搾ったようだ。どっちを向いてるんだか、顔だか尻だかわからない」
と云って、その時口にした煙草の煙りを犬の顔に吹きつけた。

(ひどい・・・ ほんとに、別に動物好きってわけじゃないんだ。フシギ・・・???)

「千丁の柳」の椰子さんは、コバ椰子さん。「小説新潮」の小林博さん。
「阿房列車」以後、百先生最晩年までの御つき合いであった。

「ノラや」のあと「猫が口を利いた」(45年7月)という断片があって所謂絶筆になった。
小篇「ノラや」、断片「猫が口を利いた」、いずれも文集『日没閉門』に収めてある。



【気になった単語】
混凝土=コンクリート
藤猫、玉猫、虎斑の猫などにゃんこの和名も味わい深い→here
和蘭チーズ
21円のグワンジイ牛乳
スリッパア
二タ月=二ヶ月
生面(なまづら)=初めて会うこと。初対面。
休(や)んぬるかな=今となっては、どうしようもない。
お厨子=仏像、仏画、舎利、経典などを安置するいれもの。
草臥れる(くたびれる)
リワ゛ノール液、クロロマイセチン軟膏←クルツを手当てするクスリ。昔はこんな専門的なものが家にあったのか
信書=意思を他人に伝達する文書。手紙。書簡。
常命(じゅみょう)
『輪舞する病魔』若いうちからの病気、持病の経歴を回想した文章
希望的錯覚

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