先日、実家に帰省した際、母とみーちゃんの散歩をしていたら
土手を降りた畑の道にもう、おおいぬのふぐりがつぼみをつけているのを
見つけた。
春先にこの花が咲いているのを見るたび、わたしは小学生だった頃を思い出す。
アパートから自転車で10分くらいのところにある親友の家まで、
学校から戻るとすぐ、それこそ毎日欠かさず遊びに行っていた。
着くといつも家の前で「○○ちゃん、あーそぼ!」て節をつけた歌みたいに呼ぶんだよね。
そのコの家には白いスピッツの血がちょっと入ったわんこがいて、名前はシーザー。
近所の母犬ハナちゃんから産まれた5~6匹(出産直後も可愛かったなあ!
のうち茶色い「チャロ」、黒い「クロ」ももらわれていって、白いコを友だちがもらった。
そのシーちゃんを連れて毎日散歩させながら、草花の生い茂る空き地で
日が暮れるまでよく遊んだ。
かくれんぼや鬼ごっこでつい熱くなって、トタンで手を深く切ってしまって、
看護婦気取りの友だちが消毒して絆創膏を貼ってくれたり、
近くの廃材所に止めてある大型クレーンに乗ってドキドキしたり、
拾ったマンガ雑誌を大事に空き地に埋めたら、数日後ボロボロになって土に還ってたりw
トタンや板で秘密基地を作っていたら、突然夕立ちがきて
大雨を基地の中でやりすごして得意気になったり。
地に線をひいて家のつもりになって、泥ダンゴを作って、ままごとをしたり。
空き地に置かれたダンボール箱の中に子猫が捨てられていて、家に持って帰って
「飼えないから返してきなさい!」と怒られて、泣いて、友だちと交代で食べ物を
運んでいたんだけど、いつしかいなくなっていたこともあったっけ。
空き地や土手にはおおいぬのふぐりが一面に咲いて、まるで青いじゅうたんみたいに
陽が当たってあったかくて、疲れたらそのまま寝転んでしゃべったり。
小さい頃、こうして自然と触れ合ってのびのびと身体を動かして遊んだ体験は
いまでもわたしのカラダとココロの一部となって、いろんな場面で助けになっている
気がしている。
その後、親友とは中学も同じ部活だったけど、中学の友だちと付き合うようになってからは
すっかり疎遠になってしまった。
優しかったお父さんが早くに亡くなって、結婚して旦那さんとお子さんと一緒に
たしかいまでもお母さんとあの家にいるんじゃないかなあ。
シーちゃんもかなり長生きしたけど、もうとっくに亡くなってしまったと
風の便りに聞いた。
空き地や野原の中を通ってた小道も、いまではオリンピック道路で広いコンクリートに
変わってしまって、昔の面影はまったくない。
でもすべての思い出は、このおおいぬのふぐりの中に詰まっている。
毎年、春にこの花を見るたび思い出は昨日のことみたいによみがえってくる。
土手を降りた畑の道にもう、おおいぬのふぐりがつぼみをつけているのを
見つけた。
春先にこの花が咲いているのを見るたび、わたしは小学生だった頃を思い出す。
アパートから自転車で10分くらいのところにある親友の家まで、
学校から戻るとすぐ、それこそ毎日欠かさず遊びに行っていた。
着くといつも家の前で「○○ちゃん、あーそぼ!」て節をつけた歌みたいに呼ぶんだよね。
そのコの家には白いスピッツの血がちょっと入ったわんこがいて、名前はシーザー。
近所の母犬ハナちゃんから産まれた5~6匹(出産直後も可愛かったなあ!
のうち茶色い「チャロ」、黒い「クロ」ももらわれていって、白いコを友だちがもらった。
そのシーちゃんを連れて毎日散歩させながら、草花の生い茂る空き地で
日が暮れるまでよく遊んだ。
かくれんぼや鬼ごっこでつい熱くなって、トタンで手を深く切ってしまって、
看護婦気取りの友だちが消毒して絆創膏を貼ってくれたり、
近くの廃材所に止めてある大型クレーンに乗ってドキドキしたり、
拾ったマンガ雑誌を大事に空き地に埋めたら、数日後ボロボロになって土に還ってたりw
トタンや板で秘密基地を作っていたら、突然夕立ちがきて
大雨を基地の中でやりすごして得意気になったり。
地に線をひいて家のつもりになって、泥ダンゴを作って、ままごとをしたり。
空き地に置かれたダンボール箱の中に子猫が捨てられていて、家に持って帰って
「飼えないから返してきなさい!」と怒られて、泣いて、友だちと交代で食べ物を
運んでいたんだけど、いつしかいなくなっていたこともあったっけ。
空き地や土手にはおおいぬのふぐりが一面に咲いて、まるで青いじゅうたんみたいに
陽が当たってあったかくて、疲れたらそのまま寝転んでしゃべったり。
小さい頃、こうして自然と触れ合ってのびのびと身体を動かして遊んだ体験は
いまでもわたしのカラダとココロの一部となって、いろんな場面で助けになっている
気がしている。
その後、親友とは中学も同じ部活だったけど、中学の友だちと付き合うようになってからは
すっかり疎遠になってしまった。
優しかったお父さんが早くに亡くなって、結婚して旦那さんとお子さんと一緒に
たしかいまでもお母さんとあの家にいるんじゃないかなあ。
シーちゃんもかなり長生きしたけど、もうとっくに亡くなってしまったと
風の便りに聞いた。
空き地や野原の中を通ってた小道も、いまではオリンピック道路で広いコンクリートに
変わってしまって、昔の面影はまったくない。
でもすべての思い出は、このおおいぬのふぐりの中に詰まっている。
毎年、春にこの花を見るたび思い出は昨日のことみたいによみがえってくる。
れんげ草、どこかに咲いてないかな。
なるほど見たことあるかも。カワイイ花だよね。
こうゆうなにげない草花ほど、寒い冬を越えて、
春にひょっこり咲いてるのを見るとほっとするね
その場所を見つけたのは、やっぱり子どもの頃なのかな?
ちょっと見ないうちに、近所もどんどん変わっていくよねえ!