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足利義満の皇位簒奪計画説

2019年06月16日 07時24分57秒 | 日記
高校のとき、歴史の授業で「足利義満は皇位を狙っていた疑いがある」と教師に雑談で話されて。
その後、色々な本でその話を読み「足利義満は自分の息子を皇太子に据えようとしていた」「しかし皇位簒奪秒読みの段階で、急死した」
こういう話を知って。
誰に言われるでもなく「ああ、多分暗殺されたんだろうな」と思ってたんですが。
だってベストタイミング過ぎるでしょ。それを「きっと天罰だったんだろう」なんて思うほど、私はスピリチュアルにハマってません。
容疑者は当時の日本国民全員。本気で皇位簒奪を企んでいることを周囲に悟られたら「天皇を雑に扱うところまでは許すけど、皇位まで狙うのは絶対に許さん」って人がブチ切れて自分の立場や地位をガン無視して命を狙ってきてもおかしくないのでは。
そういう事態になれば、いくら権力持ってても暗殺されてしまうハズ。

でも。
ちょっと前、思うことがあってそれを調べたら
「足利義満は病死」「そもそも皇位簒奪すら企んでいなかった」
そういう説を見かけて。
どうなんだろうなぁ、と思った。

まぁ、歴史って後年の研究で見方変わることちょくちょくあるし。

元寇だったり、生類憐みの令だったり。

どうも元寇、鎌倉武士がギリギリの戦いで運にも助けられて元に勝利した、ではなく、かなり余裕をもって侵略者・元軍を叩き潰したのが真相らしい。
当時の鎌倉武士、戦闘民族サイヤ人みたいなメンタルの人ばかりだったので、元軍が数々の凶悪な侵略手段で襲ってきてもまるで気にすることなく迎え撃って、攻めてきた元軍の方が「あいつら人間じゃない」「まるで理解できない」と若干引き気味だったとか。
でもそれを正直に話すと自分たちの御褒美が減ってしまうので武士たちが「いやぁ、苦戦しました」と話を盛り。天皇や寺社側は「いや、自分たちの祈祷の成果で神風が来たおかげだ」と主張。
それで、一般に知られている事態になったんだとか。

生類憐みの令は、将軍綱吉の個人的暴走の結果の悪法ではなく、国民の価値観改造を目的とした法律だったそうな。
江戸時代初期の日本人って、まだ戦国時代の「人が死ぬのは当たり前」「命は別に最優先で守るべきものじゃない」こういう考え方が残ってて。
食うに困ったら子供を捨てたり、死にかけた病人を「家で死なれると縁起悪いから」と追い出したりが普通に行われてたそうな。
それを「命を大切にしないものは罰する」と無理矢理矯正するために、生類憐みの令が出されたんだと。
まぁ当時の日本人からしてみれば「何かわけわからん法律が出来た」「将軍様は正気か?」と思ってもしょうがないでしょうなぁ。
だって現実の価値観とあまりにも乖離してたわけだもの。

足利義満の件も、皇位簒奪計画説が完全否定される事態になる可能性あるわけですよね。これからの研究で。
そうなったら、そして事実がそうだったとしたら、あの世で義満が「とんでもない言いがかりがやっと晴れてくれたか」「俺はそこまで思い上がってはいない」と安心する事態になるのかしら。