素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

その挑発、本当に必要ですか?

2015年01月14日 19時38分15秒 | 日記
今朝、朝のニュース番組見てたら。
フランスの方で、まーた風刺漫画を上げたらしいですね。

……正直、要るの?と思いました。

そりゃね。
漫画が原因で襲撃受けて、殺害までされたのは気の毒ですけど。
気の毒というか、卑劣ですわな。犯人。
勝てるに決まってる相手に、一方的に襲い掛かって、命を奪ったわけですしな。
それで後から駆けつけた警官隊と死ぬまで戦うならまだしも、逃げたわけですし。
やり方が卑劣。とても正当化はできません。
しかしだからといってやられた側に完全に非が無いってわけじゃないと思うんですけどね。

なんか別の番組では「ヨーロッパの方では言論の自由は王政と戦い抜いた末に勝ち取った権利だから、彼らは侵してはいけない神聖不可侵の絶対の存在ってのに本能的な反発を覚える」なんてことを言ってたんですが。
だからと言って、何を言っても許されるわけないじゃん。

言葉を発したら、必ず責任が伴うわけですわ。

場合によっては恨みを買って、命を狙われることだってある。
それでもやらなきゃならないとき。それは当然ありますし、無論どんな場合でも発言を咎めて殺害するなんて事は許されない。

でもさ。

今回の事件で、そんな風に命を賭けてまで、イスラム教徒総ギレ必至の風刺漫画を載せる意味、ホントにあるの?

そう思いました。

ちょうどね、今月の別マガのアルスラーン戦記で、ナルサスがちょうどいいことを言ってましてね。
状況は、ルシタニアがパルスの征服を完了したら、パルスの伝統文化歴史を全て木っ端微塵に破壊して、我々の神話神殿を全て地上から消し去るだろう、と予想を述べて、その予想を聞いて戸惑うアルスラーンに向けた

こんな台詞。

「蛮人とはそういうものです」

「他人にも大切なものがあるということを理解しないのです」

……一般に信教の自由ってのはガラスの権利って言いますからさ。
(侵害されているのが見えなくて、一度壊れると修復が不可能だから、らしい)
そういうことには敏感な人間で居たいものですね。