七変化もびっくり

政治や社会について綴る保守系ブログです。
女性天皇、女系天皇の実現に反対、女性宮家の実現に反対の立場です。

皇太子ご一家は、スキー静養に!

2019年03月25日 | 皇室
拙ブログへ起こし下さり、ありがとうございます。

3月25日。いよいよ御代替わりの日が近付いています。皇太子ご夫妻の動静に注目が
集まって来る時期ですが、静養に出発されました。

今週の皇太子ご夫妻の公務の予定が、空白だと思っていましたら、恒例のスキー静養
に出発です。長野県北部に5日間程度滞在し、スキーなどを楽しまれるそうです。公務
より静養が目立つ皇太子ご一家です。特に雅子様は、毎日が静養のような生活ですが、
さらに静養が必要なのでしょうか?

常宿としているのが奥志賀高原の中国系のホテルだそうで、格式の高い日本のホテルや
旅館を利用する皇族のイメージからは外れているようです。

公務は欠席するが、吹雪の中でも5時間ぶっ続けでスキーができると言われる雅子様
です。若い雅子様に交替していると思われますが、今年はどうでしょうか?

このスキー静養の警備に駆り出されるのが、長野県警です。多くの人員を配置し
警備に当たるので、総費用は一億円程掛かるだろうと言われています。長野県民の
支払った税金が使われています。御用邸を使った静養であれば、これほどの費用は
要らないと思います。税金の無駄遣いです。

スキーに出かける前にはちょっとだけ公務をするのが、雅子様の通例です。
雅子様のパンツ・スタイルは、脚の長さや太さの違いを隠すためのもの
でしょうか?近頃の雅子様は、スタイルがいいです。脚が長いと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーNHKニュースより転載ーーーーーーーーーーーーーーーーー

皇太子ご一家 きょうから長野で静養
2019年3月25日 15時43分皇室

皇太子ご一家は、静養のため25日から長野県を訪れ、JR長野駅前では、集まった人たちに笑顔で手を振って応えられました。
皇太子ご一家は、25日正午すぎ、新幹線でJR長野駅に到着されました。

ご一家が駅前に姿を見せると、集まったおよそ160人の人たちから大きな歓声があがり、ご一家は笑顔で手を振って応えられました。

そして、皇太子ご夫妻は愛子さまとともに集まった人たちのそばに歩み寄り、腰をかがめて「お元気ですか」、「お体を大切になさってください」などとことばをかけられていました。

ご一家は、このあと車に乗り込み、立ち寄り先のホテルに向かわれました。ご一家は例年、愛子さまが春休みのこの時期に長野県を訪れスキーなどを楽しんでいて、今回も5日間程度県内に滞在し、静養される予定です。
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それにしても集まった人が160人。少なすぎませんか?足止めされた人かもしれません

目立つ秋篠宮ご夫妻のご活躍

2019年03月21日 | 皇室
拙ブログへお越し下さり、ありがとうございます。

月日の経つのが早く感じます。年を取った所為でしょうか?

3月15日(金)、伊勢神宮の外宮内宮では、伊勢神宮に天皇陛下の退位とその期日を奉告する
臨時祭が伊勢神宮の黒田祭主も奉仕して行われました。 神宮2000年史上初の祭典だったそ
うです。そうとは知らずに出かけて、午後2時から内宮で行われる祭典へ向かう勅使、祭主、
神職の列を内宮の忌火屋殿の近くで拝見することができました。私は、200年以上行われなか
った祭典であろうと思いました。体のどこかがぞくぞくするのを感じました。内宮の「奉幣」
祭だったようです。

毎月伊勢神宮にお参りしていますが、史上初の祭典に遭遇できたのは幸運でした。

ーーーーーーーーーーーー伊勢志摩経済新聞より転載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊勢神宮に天皇陛下の退位とその期日を奉告 神宮2000年史上初の祭典

天皇陛下が退位することを皇祖神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)に奉告(ほうこく)するための臨時祭「退位及びその期日奉告祭」が3月15日、伊勢神宮の外宮(げくう)と内宮(ないくう)で行われた。
【その他の画像】伊勢神宮で「退位及びその期日奉告祭」
 臨時祭は、外宮・豊受大神宮(とようけだいじんぐう)で神饌(しんせん)を奉納する「大御饌(おおみけ)」が早朝4時から、天皇陛下から送られた5色の絹や数種の織物「幣帛(へいはく)」を奉納する「奉幣(ほうへい)」が7時から、同様に内宮・皇大神宮(こうたいじんぐう)で11時から「大御饌」、14時から「奉幣」が、それぞれ執り行われ、両宮に天皇陛下の退位とその期日を奉告した。

 「奉幣の儀」では、「幣帛」の入った辛櫃(からひつ)の後を黒の平安衣装をまとった天皇陛下の命を伝える使者「勅使」が続き、緋(ひ)色の浅沓(あさぐつ)、白衣・緋袴(ひばかま)の装束の黒田清子祭主、小松揮世久(きよひさ)神宮大宮司らが第二鳥居前でおはらいを受けると、そのまま玉砂利を踏みしめ参進の列を作って正宮(しょうぐう)まで進んだ。

 天皇皇后両陛下の長女・黒田さんが祭主を務める伊勢神宮は、皇室の皇祖神・天照大御神を祭り、国民の総氏神とされ、垂仁天皇26年に鎮座。2000年以上前に、第11代垂仁天皇の第4皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神を祭る地を探し求めて伊勢にたどり着き創建したとされる。倭姫命は、後に神嘗祭(かんなめさい)などの祭典の期日や祭り方についても定めた。
 神宮の広報を担当する音羽悟さんは「退位されるという重要なことを皇祖を祭る大神宮に奉告するのは昔から朝廷の役目だった。非常に重い役目なので今回は勅使が参向され、『五大祭』の一つ『祈年祭(きねんさい)』に準ずる祭典に則った。今回の臨時祭は創建以来のいまだかつて無い初めての祭典」と説明する。
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新天皇の即位する日が近付いていますが、皇太子ご夫妻の動きが緩慢な感じがしています。
高齢の天皇・皇后両陛下の方が、活動的でいらっしゃいますね。機運が盛り上がっていない
気もします。彼らは、国民的な人気が今一つではないでしょうか?

一方宮内庁は、秋篠宮ご夫妻が、6月下旬から7月上旬にかけて、外交関係樹立100周年を
迎えるポーランドとフィンランドを公式訪問されることを検討しているそうです。外国の
親善訪問は、秋篠宮ご夫妻及び眞子様がその任に当たられることが多いです。華々しい
ご活躍です。

なぜ皇太子ご夫妻には海外親善訪問の公務がないのだろうかと思います。今までも、そして
即位してもご招待が来ません。どうしてだろうかとずっと思っていました。

でれでれ草様ブログに一つの仮定話が、掲載されていました。晩餐会でサッシュをさせて
もらえないナルさん、スイスやフランスに旅行しましたが、食事会は大変簡素で服装はフォ
ーマルではなかったそうです。本物あるいは本物に準じる人は、スイスのバーゼルから
帰国できないでいて、今出てきているのは順位の低い替え玉だろうという説です。

スイスの銀行に皇室の莫大な財産が預けられているらしく、それを引きだそうと企て小和田
夫妻が拘束されたという情報がまことしやかにネット上に流れた時期がありました。皇室に
関連する情報ですから、表に出ることはありませんでしたが、長い間小和田夫妻の姿を見ない
と思います。

そう言えば、美智子様もサッシュのできない美智子様が晩餐会に出席しています。でれでれ草
さまブログには、皇太子様と美智子様が小和田夫妻のようにスイスから出られないのでないか
という説が載っています。情報通のでれでれ草さまですから、要人から重要な情報を得たのか
もしれません。

替え玉が主に活動しているのであれば、ナルさん夫妻にはご招待が来ないでしょう。なるほどと
納得できるお話しです。


海外を訪問される頃には、秋篠宮様は皇嗣殿下になられているのに、海外親善訪問に政府専用機
が使われないのはどうもおかしいと思います。宮内庁がそうしているようですが、誰かが秋篠宮
ご夫妻に政府専用機を使わせないように邪魔をしているのかもしれません。


東宮御所に秋篠宮ご夫妻を住まわせなかったように・・・

ーーーーーーーーーーー産経新聞より転載ーーーーーーーーーーーーーー


秋篠宮ご夫妻、6月にポーランド、フィンランドご訪問へ
2019.3.20 11:38ライフ皇室

宮内庁は20日、秋篠宮ご夫妻が6月下旬から7月上旬にかけ、いずれも今年、外交関係樹立100周年を迎えるポーランドとフィンランドを公式訪問されることを検討していると発表した。5月の代替わり後、皇室として外国を公式訪問されるのは初めて。
 宮内庁によると、ご夫妻ともに両国を訪れられるのは初めて。日程は10日間程度で、両国大統領との面会や外交関係樹立100周年の記念行事に臨まれる方向で調整している。
 代替わり後、秋篠宮さまは皇位継承順位1位の皇嗣となるが、渡航には従来通り民間機を利用される。皇太子さまは公式訪問の際、政府専用機を使われてきたが、宮内庁は「これまでの外国訪問では全て民間機を利用され、特段の問題点はなかった。特別の事情がある場合は、政府専用機のご利用をお願いしたいと考えている」としている。
 また、ご夫妻の長女、眞子さまが7月中旬から10日間余りの日程で、いずれも日本人移住120周年となるペルーとボリビアを公式訪問されることも検討している。両国大統領を表敬訪問するほか、現地の日系人と交流し、記念行事にも臨まれる見通し。

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ブラジルご訪問の画像

悠仁さま、お茶の水女子大付属小を卒業

2019年03月15日 | 皇室
拙ブログへお越し下さり、ありがとうございます。

秋篠宮家の悠仁様が、お茶の水女子大学附属小学校を卒業されました。
ご卒業、おめでとうございます。もうすぐ皇位継承順位2位となら
れるお子様の健やかな成長は、国民に取っても喜ばしいことです。

卒業式後、撮影された画像を拝見しましたが、本物の秋篠宮ご夫妻、
本物の悠仁様ではないかと思います。悠仁様は、やや吊り目になってい
ますが、醸し出す雰囲気が吊り目、上がり眉の今までの子どもとは
違うように思います。

ダブル?

今日の悠仁様は、おとなしめでテンションが低そうです。何よりも
違うのは、身長です。背が高いですね。これは、秋篠宮ご夫妻の
特徴と一致します。

小学校卒業と同時に、あるいは御代替わりを前にして、これからは
本物の悠仁様を拝見できるようになるのでしょうか?そうであれば
うれしいです。

悠仁様のご成長と共に、いよいよ秋篠宮家の存在感が増してい
くでしょう。

ーーーーーーーーーーNNNより転載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190315-00000094-nnn-soci
悠仁さま、お茶の水女子大付属小を卒業
3/15(金) 14:04配信

秋篠宮家の長男・悠仁さまは15日、お茶の水女子大学付属小学校を卒業した。

悠仁さまは15日、東京・文京区のお茶の水女子大学付属小学校で卒業式に臨んだ。卒業式は午前10時に始まり、担任の先生に「秋篠宮悠仁」と呼ばれると大きな声で「はい」と返事をして、卒業証書を受け取ったという。

卒業文集では、「お茶小の六年間」というタイトルで、自然豊かな学校で仲間と共に様々な思い出を作った6年間を振り返り、直筆で「人は自然界の中で生きている」というメッセージもつづっていた。

悠仁さまは、来月からお茶の水女子大学付属中学校に進学する。
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雅子様の心配な公務出席状況

2019年03月15日 | 皇室
拙ブログへお越し下さり、ありがとうございます。

3月ももう中旬です。いよいよ御代替わりが近付いて来ました。次の御代こそ、良いことが
多い御代であってほしいという声をよく耳にします。そんな期待を持って待たれている新し
い御代ですが、心配なのはやはり雅子様です。近頃、雅子様の体調は、近年劇的に回復して
いるとする記事がいくつか出されていますが、本当に体調は劇的に回復しているのであれば
もっと公務に出席できるだろうと思います。実は、病気が重い?それとも雅子様はバーチャル?


2019年1月から、雅子様が出席した公務の数は、3月7日までに10件です。その間には、皇太子
様が単独でされた公務が、40件あります。sapioから「雅子さま、国民との距離を縮め心を通
わせる「寄り添い方」」という記事が出ていますが、雅子様が、一般国民と会う場に出席され
たのは、平成31年2月8日(金)の 第64回青少年読書感想文全国コンクール表彰式だけです。
国民と会わなければ、国民に寄り添う機会もないでしょう。友納氏の記事は、雅子様が一番
苦手としている事を上手く持ち上げて記事にしているのではないでしょうか?

皇太子同妃両殿下
ご臨席(平成31年2月8日(金)
お名前
ご日程
皇太子同妃両殿下
ご臨席(第64回青少年読書感想文全国コンクール表彰式)(経団連会館(千代田区)) )(経団連会館(千代田区))



皇太子ご夫妻は、東日本大震災の被災地の訪問を中々しなかったのを記憶しています。雅子様が
行けないのであれば、皇太子様だけでも訪問されてはいかがという声もありました。やっと訪問を
実現したにもかかわらず、現地での画像は瓦礫を前にして笑顔だったり、被災者の迷惑そうな視線が
写った物でした。




つれづれ|皇室|(前)平成30年度東日本大震災追悼復興祈念式  でれでれ草様ブログより

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=33056



即位後、彼らが天皇・皇后として上手くやっていけるのか心配です。平成の天皇・皇后陛下は、お二
人で多くの公務をされましたが、新天皇・皇后は、あれほどの公務はできないだろうと思います。

雅子様が本当に国民との距離を縮め心を通わせたいと思われるのであれば、まず庭先で勤労奉仕に
来ている日本国民にお声がけをされてはいかがでしょうか?

これだけ公務への欠席が続くと、雅子様は実在されているのかさえ心配になります。16年に及ぶ
療養が続いていますが、病名が明らかにされていません。イルミネーション見物のハシゴやスキーは
できても、公務に出席できないのはどんな病気でしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーSAPIOより転載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



雅子さま、国民との距離を縮め心を通わせる「寄り添い方」
3/11(月) 6:00配信

 5月に皇后陛下になられる雅子妃殿下。ご体調は近年、劇的に回復しているが、その背景には皇后になられることへのご覚悟があるという。ジャーナリスト・友納尚子氏がレポートする。
 * * *
 雅子妃はどのような皇后になられるのだろうか。近年の公務のご様子からそれを窺い知ることができる。
 通常の行啓では、時間の関係で両殿下と会話ができるのは、代表者の何人と決まっていることが多い。しかし、皇太子ご夫妻は、代表者たちだけではなく後ろで見守っている人たちにもお声掛けなさることがある。
 昨年9月、皇太子ご夫妻が福岡県を訪れた時、雅子妃ならではの国民との寄り添い方が見られた。
 福岡県内の医療型障害児入所施設では、訓練中の子どもだけではなく遠くから見守っていた母親に駆け寄られて、声を掛けられた。
 翌日には九州北部豪雨の被災地の仮設住宅を訪れ、そこでも遠くから見守っていた被災者の方々のところまで歩み寄られて、言葉を交わされた。
 被災者から「お体に気を付けてくださいね。見守っていますから」「ご病気なのに来ていただいて有難うございます。雅子さまも頑張ってくださいね」と逆に励まされることもあり、互いに困難を乗り越えようとしていることで距離が縮まり、心を通わせているようだった。
 さらに雅子妃が車椅子のご高齢の女性の冷えた手を包むように握られると、その上から皇太子も手を重ねられるという温かい場面もあった。
 行啓の際、両殿下はお二人揃ってではなく、二手に分かれて声を掛けられることがあった。なるべく多くの人たちと接せられたいというご希望からだ。そのため予定時間をオーバーすることもあり、東宮職の職員から「殿下そろそろお時間です」と声を掛けられることもある。
 皇太子ご夫妻は、両陛下が大切になさってきたご公務のなさりようを引き継がれると同時に、人々との触れ合いは両殿下なりのやり方でこなされていくだろう。
 さらに皇太子がこれまでご関心の高かった「水」のテーマも環境問題まで広げられたり、「次世代の明るい未来」として、各地の子どもたちの活動を視察することにも力を入れていかれたりするかもしれない。
「両殿下は福祉にかける思いも強いことから、これまで以上にたくさんの人々と交流をされていくと思います」(東宮職のある職員)

●とものう・なおこ/1961年生まれ。新聞、雑誌記者を経て2004年に独立、フリージャーナリストに。著書に『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋)などがある。
※SAPIO2019年4月号
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ご療養16年の雅子妃殿下 お気持ちを整える「工夫と努力」
https://www.news-postseven.com/archives/20190307_872944.html?PAGE=1#container

いろいろな雅子様持ち上げ記事が出されるでしょうが、持ち上がらないのが
雅子様ではないでしょうか?

新しい御代の主役の皇太子様や雅子様の活躍を期待していますが、どうなるでしょうか?




二日続けて秋篠宮両殿下が慰霊式典にご出席!!

2019年03月11日 | 皇室
拙ブログへお越し下さり、ありがとうございます。

3月11日。今日は、東日本大震災から8年。政府主催の追悼式典が、国立劇場で秋篠宮
両殿下も出席されて行われました。秋篠宮両殿下は、昨日も東京大空襲で亡くなった方々の
慰霊法要に臨席されていました。ふと秋篠宮さまが即位されるのだったかと思われるような
重要な式典へのご出席が続いています。

5月に即位するはずの皇太子様は、何をされていたのでしょうか?天皇皇后両陛下は、御所
で黙祷をされたそうですが、皇太子様や雅子様はどうしていたのでしょうか?追悼式典のよ
うな重要な式典に呼ばれず、即位しても海外からのご招待もなく、高い身位にふさわしい
働きが見えないです。8月15日の戦没者追悼式には、どなたが出席されるのでしょうか?


東日本大震災から8年 政府主催追悼式
https://www.youtube.com/watch?v=zSBq4dDtJ0A

ーーーーーーーーーー時事通信より転載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

犠牲者に哀悼、復興誓う=「未来諦めぬ」「思い出を心に」-東日本大震災8年追悼式
3/11(月) 15:42配信


東日本大震災8周年追悼式で、お言葉を述べられる秋篠宮さま=11日午後、東京都千代田区の国立劇場
 東日本大震災から8年を迎えた11日、政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で営まれた。

 秋篠宮ご夫妻、安倍晋三首相ら三権の長、遺族代表ら約940人が参列。地震発生時刻の午後2時46分に全員で黙とうし、犠牲者に哀悼の意をささげるとともに、被災地の早期復興を誓い合った。

 首相は式辞で「被災地の復興は着実に前進している」と述べ、放射能漏れ事故を起こした東京電力福島第1原発周辺の帰還困難区域でも、避難指示解除への取り組みが進んでいると強調した。一方、いまだ1万4000人の避難者がいるとして「生活再建のステージに応じた切れ目のない支援を行い、復興を加速していく」と表明。震災の教訓を生かし、3年間集中で国土強靱(きょうじん)化を進める決意も示した。

 秋篠宮さまはお言葉で「今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念する」と述べられた。

 遺族代表として、岩手県陸前高田市出身の高橋勇樹さん(41)、宮城県女川町出身の今野昌明さん(52)、福島県浪江町出身の叶谷守久さん(79)もそれぞれ言葉を述べた。

 母親を亡くした高橋さんは「あの日を決して忘れない。そして未来を決して諦めない。復興に向かって歩んでいく私たちを、いつものようにそばで見守っていてください」と語った。

 今野さんは、津波にのみ込まれた母親がいまだ見つからず「悔しさと無力さ、絶望の悲しみとつらさで、心の中に大きな穴があいたままです」と述べ、復興に向けた決意も強調。妻を失った叶谷さんは「最愛の妻の笑顔と、共に過ごした思い出を心に刻み、妻の分まで精いっぱい生きていこうと思っています」と誓った。

 被災者代表の福島県楢葉町出身の高原カネ子さん(70)は「全国の皆さまからの励ましやご支援によって、復興への一歩を踏み出すことができた。福島に思いを寄せてくださる方々に、心より感謝申し上げます」と述べた。

 警察庁によると、8日現在の死者は1万5897人、行方不明者は2533人に上る。 
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秋篠宮さまのお言葉は、心に染み入ります。大震災の直後から、被災地や被災者を見舞い、
励まされてきたのも秋篠宮ご夫妻でした。日本国民は、その事をよく覚えています。

国民に心を寄せ国民と共に歩むと、行動が伴わない言葉を発し続ける兄とは、大きな違いが
あります。震災の一ヶ月後東宮御所でお楽しみ会を開いていた事は忘れません。自分たちの
生活が楽しければ、それでいいという動きではないでしょうか?

ーーーーーーーー産経新聞より転載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「安らかな日々が戻ることを祈念」東日本大震災8年追悼式 秋篠宮さまお言葉全文

産経新聞 2019.3.11 15:24
https://www.sankei.com/life/news/190311/lif1903110030-n1.html


 今日、3月11日、未曽有(みぞう)の地震とそれに伴う津波が、東北地方を中心に東日本を襲い、2万人を超える死者および行方不明者が生じた東日本大震災から8年になりました。この当時の状況は、8年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。本日ここに、一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 被災地においては、この間、人々が幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力を弛(たゆ)みなく続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、様々な形で力を尽くしてきました。

その結果、住宅の再建や生活環境の整備、産業の再生、沿岸部の鉄道の復旧、防災施設の整備など、復興の歩みは着実に進展してきております。また、原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた地域においても、多くの地域で避難指示が解除されるなど、本格的な復興・再生に向けての動きが進んでいます。

 しかし、その一方では、今なお多くの被災者が、被災地で、また避難先で、依然として不自由な暮らしを続けている厳しい現実があります。とりわけ、いまだに放射線量が高いことなどによって自らの家に帰還できない人々が多いことや児童および生徒数の減少、さらに根強い風評被害により農林水産業などへの影響が残っていることに思いを馳(は)せると心が痛みます。さらに、避難生活が長期化する中で、齢(よわい)を重ねていく高齢者を始め、被災者の心身の健康のことは、深く心に掛かります。

困難な状況の中にいる人々が、誰一人取り残されることなく、少しでも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるよう、また復興の歩みが着実に進展していくよう、これからも私たち皆が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう。

 東日本大震災による大きな犠牲の下で、私たちは平素からの避難訓練や防災教育の重要性を強く認識し、そして過去の災害の記録と記憶が忘れ去られることなく、これを継承していくことがいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく後世へと伝え、災害の危険から多くの人々が守られることを心より願っております。

 今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念し、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。
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戦争、二度と繰り返さない 東京大空襲74年で法要
産経新聞 2019.3.10 16:05
https://www.sankei.com/life/news/190310/lif1903100030-n1.html