森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

浮遊島の章 第31話

2011年02月16日 | マリオネット・シンフォニー
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 生まれて初めて得た記憶は、死の瞬間だった。

 続けて、傷つく痛みが。
 理不尽に対する怨嗟の声が。
 殺戮の果てに生存を掴んだ狂喜が。
 戦場の記憶が、流れ込んできた。

 与えられたのは、人殺しの知識と技術。
 何も知らない無垢な心が、恐怖と憎悪に塗り潰される。

 己という存在を奪われながら。
 それを自覚することもできぬまま。
 男の胸に宿るのは、相反する二つの渇望。



 ──まだ、死にたくない。



 もう、死なせてくれ──



第31話 終わりなき地獄



 ヴィナスとネイは森を疾走していた。
 二人が目指しているのは独立軍艦隊だ。情報局の目を盗んでこの島を脱出するには、情報局と独立軍が相互に連絡を取り合う前に戦艦を強奪するしかない。
「くそっ、エンデがやられるなんて……!」
 墜落していく空中戦艦を横目に見つめながら、ヴィナスが忌々しげに吐き捨てる。
 その時、トトを抱えて隣を走っていたネイが立ち止まった。
「ネイ?」
 ヴィナスも慌てて立ち止まる。
 ネイは目を閉じて周囲の音に耳を済ませていたが、やがて顔を上げると、近くの木陰に向かって声をかけた。
「出てこいよ、バジル。いるんだろう?」
「やれやれ。相変わらず勘がいいな」
 木陰からバジルが姿を現す。慌てて身構えるヴィナス。しかしバジルは剣を構えようともせず、静かに言った。
「もうやめるんだ、ネイ。もう終わりにしよう」
「何を言ってるの? エンデを倒したからっていい気にならないでよね」
 ヴィナスが羽毛のコートから液体火薬の羽根を毟り取る。
「見たところ、あんた一人みたいじゃない。私達二人に勝てるとでも」
「ネイ。お前だってわかってるだろう。もう終わりにするんだ、こんなことは」
「ちょっと、いい加減に……」
「もう俺達が必要とされた時代は終わったんだ。俺達は……」
「うるさいわね! わけのわからないことを言ってるんじゃないわよ!」
 自分を無視して喋り続けるバジルに、ヴィナスが苛立たしげに叫ぶ。
「ネイ、あんたも黙ってないで何とか……ネイ?」

「バジル。お前は、本当に……」
 体重をかろうじて支えていた膝が折れ、激しく咳き込み吐血する。驚いて駆け寄るヴィナスに支えられながら、ネイは掠れる声で呟いた。
「お前は本当に、ここから抜け出せるとでも思ってるのか……?」
「ネイ!? どうしたの!?」
 突然の出来事に、うろたえたヴィナスがバジルを睨みつける。
「あんた、ネイに何をしたのよ!」
「……俺は何もしてないよ」
 バジルは微かに目を伏せた。
「もう……限界なんだ、ネイは」
「限界? 限界って何よ。私達は不死身なのよ? そこらの人間や人形と一緒にしないでよ」
「それは違うよ」
 バジルは首を横に振った。
「確かに君は不死身だろう。どのような傷もたちどころに再生してしまう神秘の物質、可変性鉱体による全身組成──だが、ネイは違う。俺達、オリジナルのクラウン・ドールズは不死身じゃないんだ」
「……嘘よ。だって、ネイは蘇ったって。あんたに殺された後、以前よりずっと強い力を得て蘇ったって……」
「そうだ。それがネイの限界を早めた」
 呆然と呟くヴィナスに、バジルは淡々と告げた。
「ネイは自身の許容量を遥かに超えた力を、無理矢理身につけさせられたんだ。当然、身体には過度の負担がかかる。薬か何かで誤魔化さなければ、まともに戦うこともできないほどの苦痛に、常に晒され続けてきたはずだ」
「──っ!?」
 ヴィナスが思わずネイを見る。
 常に他人を拒絶するネイが、自分だけは側にいることを拒まなかったのは。
 ネイが自分の薬を求め続けてきたのは、快楽の為ではなく。
「それでもネイは戦い続けてきた。ただ、死の恐怖から逃れるために。限界なのは身体だけじゃない、心も……ネイの心は、もう限界なんだ。ネイは人を殺すことに耐えられるような奴じゃない」
「黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れっ!」
 ネイは激しく首を振ると、
「バジル、お前に何がわかる! 俺に人を殺せないかどうか、よく見ていやがれ!」
 抱えていたトトに向かって手刀を振り下ろした。

 刹那、ネイの眼前を紅い疾風が駆け抜けた。

 意識を失っていたトトが目を覚まし、自分を抱える紅髪の少年に気づく。
「あ……貴方は……」
「まだお前に死なれちゃ困る。お前の考えが本当に正しいかどうか、まだ見せてもらっていないからな!」
 アートはトトを立たせると、F.I.R-IIを構えてネイに向き直った。
 ネイが限界を迎えている今、自分とバジルが同時に仕掛ければ確実に勝てるだろう。だがバジルに剣を取る様子はなく、連戦で傷ついている自分とて、実際は立っているのがやっとの状態だ。ヴィナスと呼ばれた女はどう動くかもわからない。
 緊迫した空気が流れる。
 その時、トトがアートの前に進み出た。
「では、私のすることを黙って見ていてくれますか。バジルさんもです」

 トトはゆっくりとネイに近づいていった。
「ネイ! もうそんな小娘なんかどうだっていいわ、殺しちゃいなさいよっ!」
「……わかってる!」
 震える腕を懸命に振り上げ、ネイが手刀を構える。しかしトトは怯えることもなく、1歩1歩ネイに近づいてくる。
 と、
「大丈夫。何も怖がらなくていいんですよ」
 トトが静かに言った。今にも斬りかかろうとしていたネイの動きが硬直する。
「貴方が恐れることなんて何もないんです。誰も貴方を傷つけたりしません。皆、きっと貴方のことを守ってくれます」
「……だ……まれ……っ!」
 ネイがトトを拒絶するように手刀を振り下ろし、トトの胸を切り裂く。しかしトトは顔色一つ変えず、血に染まったネイの手を両手で包み込み、優しく微笑んだ。
「もう……こんなこと、しなくても……いいんです。大……丈夫、心配……しない……で……」
 微笑みを浮かべたまま、トトがネイに寄りかかるようにして倒れる。
「次は……どいつだ……!」
 肩で息をしながら、顔を上げるネイ。目の前には悲しげな瞳でこちらを見つめるバジルがいる。



 ――俺は



 いや、バジルだけではない。そのすぐ後ろには、紅い瞳に怒りの炎を灯したアートの姿もある。



 ――俺はあと、何人殺せば



「バジル! ……トトちゃん!?」
 研究所での騒動に決着がついたのだろう、オードリーが駆けつけてくる。
「オードリー、手を出さないでくれ」
「えっ?」
「大丈夫だ。トトの傷は致命傷じゃない」



 ――あと何回、殺されれば



「ネイ、あいつらを殺してよ! もうハイムなんてどうだっていいわ! 私達二人で殺して殺して殺して……!」



 ――この地獄から……!



「もう……嫌……だ……」
 震える声で呟き、ネイはその場に崩れ落ちた。
 バジルが無言でしゃがみ込み、ネイを抱え上げる。
「……ネイ?」
 呆然と立ち尽くすヴィナス。バジルはアートとオードリーにトトを預けると、ヴィナスの瞳をまっすぐに見つめた。
「頼む。これ以上、ネイを苦しめないでくれ」
「……何よ……何なのよ、一体!」
 ヴィナスは後退り、ぶんぶんと首を横に振って叫んだ。
「私が何をしたって言うのよ! どうしてネイを失わなくちゃならないの!? だって、だってネイだけなのよ! ネイだけが……っ!」
 続く言葉を拒絶するかのように、ヴィナスが言葉に詰まる。
「ネイが……い、いなくなったら……! 私は一体、誰と一緒に戦えばいいの!?」
「……ヴィナス……」
 バジルの胸に抱かれたまま、ネイが震える声で呟く。
「俺は……心から人殺しを楽しむことのできるお前が、本当に羨ましかった……このままずっとお前と一緒に戦い続けていれば、いつか俺も、苦しまなくてすむようになるんじゃないか……って……でも、俺は……」



「俺はもう……だめだ……」



 最後の一言を言い終えて、ネイが意識を失う。
 ヴィナスはしばらく呆然としていたが、やがて小さく「くだらない……」と呟いた。
「どうして……この優れた存在である私が、他人を必要とするのかしら。どうして仲間を求めるの? どうしてネイを必要としなくちゃいけないのかしら」
 ヴィナスは溜息をついた。
「どうしてかしらね。どうして、例え自分から離れてしまっても、ネイにだけは生きててほしいって思うのかしら。どうして“寂しい”とか“悲しい”なんて感情を持たなきゃいけないのよ」
「……よくわかるよ。俺も昔は、自分が誰よりも優れていると思っていた」
 バジルは遠い目をして呟いた。
「だが、今となっては……自分の無力さを、思い知らされることばかりだ」
「勝手に一緒にしないでくれる? 不愉快だわ」
 ヴィナスはバジルを睨みつけると、眠るネイに視線を落とした。
「これだけは言っとくわよ。あんたにだってネイは救えない。あんた自身も、スケアもね。いくら罪滅ぼしをしたつもりでも、あんた達は決して救われないのよ」
「……わかってるよ、そんなこと。俺達にネイは救えない。だが……『彼』を救うことはできる」
「彼?」
 ヴィナスが怪訝な顔をする。
「彼は。今ここにいるネイは──」



「──かつて俺が殺したネイとは、別人なんだ」



「……え……?」
 予想もしなかった言葉に、ヴィナスの瞳が大きく見開かれる。
「脱走の成功率を少しでも上げるために、仲間すら手にかけた俺が。裏切りの証拠である遺体を現場に残していくようなことを、すると思うかい?」
 バジルは淡々と告げた。
「俺達クラウンの情報は、脳内のチップを通じて常にハイム本国に送られ続けている。今の彼は、かつてのクラウン・ドールズNo.6と同じ機体を持ち、脳に埋め込まれたチップで記憶と人格を上書きされた──まったくの別人なんだ」
「な……何を言って……」
「もし」
 ヴィナスの声を遮り、バジルが続ける。
「もし、スケアがハイムを裏切っていなければ。ただ戦いに敗れて殺されていただけだったなら……あのノイエという少年が、次の『スケア』にされていただろう。一方的に、他人の記憶を植えつけられてね」

「……っ!」
 血が滲むほどに拳を握り締め、アートは歯噛みした。
 先程のエンデの台詞を聞いた今なら、その理由がわかる。
 ハイムは邪魔だったのだ。スケアの裏切りの記憶が。だから外見と人格だけを模写し、ノイエという新しい機体を造った……いや、違う。
 アートの肌がゾクリと粟立つ。
 もしもスケアが裏切っていなければ。
 次の『スケア』になっていたのは、自分達3人の中で最初に造られた──グラフだ。
 自分とノイエは存在すらしなかった。

「チップを破壊して、上書きされた記憶を消した上で、俺達とは遠く離れたところで生きられるように手配するさ。それが……俺達の戦いに巻き込まれた彼にできる、唯一のことだ」
「……そう。よく……わかったわ」
 ヴィナスは踵を返すと、自嘲するように呟いた。
「結局、『ネイ』は救われないのね。私も、あんた達も、死ぬまで……もしかしたら、死んでからも。殺し合いを続けるしかないのね」
「……ああ。そうかもしれないな」
 バジルも微かに笑って応える。
 ヴィナスは小さく鼻を鳴らすと、森の奥へと消えた。

「やれやれ、同類には会いたくないもんだな……自分のことがよくわかっちまう」
 溜息混じりに呟くバジル。
 その背後に音もなく近寄り、オードリーはバジルをぶん殴った。
「バカ! バカバカバカバカっ!」
「な、なんだよオードリー?」
「あんたがバカだからバカって言ってるのよっ!」
「??? 何なんだ?」

「アートさん、あの方は……?」
「……目が覚めたか」
 アートは複雑な表情でバジルとヴィナスの会話を思い返していたが、腕の中のトトが目を覚ましたので、傍らで眠るネイに目をやった。アートの視線を追い、トトが安堵の溜息をもらす。
「良かった。私の声が届いたんですね」
「……これがお前の戦い方か」
 アートは憮然とした口調で呟いた。
「暴力を用いることなく、相手との相互理解を目指す。無茶をするにもほどがある。今回はたまたまうまくいったから良かったようなものの」
「そう、ですね。この人はとても純粋な人でした。純粋すぎて、戦いに耐えられなかった……だからこそ私の声も届きました。でも、私はこの戦い方を変えるつもりはありません。それが、私の生きるすべてですから」
「……俺を使え」
「えっ?」
 トトが驚いて顔を上げる。
 アートは怒ったように言った。
「世の中そんなにうまくいきはしない! 話の通じないバカな連中はいくらでもいるんだ。だから俺を使え。そういう奴等は全員俺が片付けてやる」
「……えっと、えっと……」
 トトは突然のことに吃驚していたが、ふとあることに気づいて尋ねた。
「あの、ノイエっていう人のことは……いいんですか?」
「……あいつのことはいいんだ」
 アートは自分でも気づかないほど、優しい表情で呟いた。
「あいつはもう、自分で自分の道を決めている。オリジナルもハイムも関係ない、一人の男として。むしろ俺のほうだ、あいつに甘えていたのは」

   /

 その頃、研究所では。

「ルルド、無事で良かった。怪我はしてないか?」
「うん。大丈夫だよ、パパ!」
 駆け寄ってきたスケアに抱きついて、ルルドが笑顔を胸に埋める。その背中を愛しさを込めて撫でながら、スケアはすぐそばにいるフジノに声をかけた。
「大丈夫だったかい、フジノ」
「……ええ。大丈夫よ、スケア」
 微かに顔を赤らめるフジノ。
 と、
「ねぇパパ、あたしママと仲直りしたんだよ!」
 ルルドが心の底から嬉しそうに言った。
「そうか……良かった」
 スケアはルルドを優しく抱き締めた。
「本当に良かった。ありがとう、フジノ。この子を受け入れてくれて」
「……ううん、受け入れてもらえたのは私のほう。それに、お礼を言うのも私のほうよ。本当にありがとう、スケア。感謝してる」
 自分の言葉に少し戸惑い、フジノが照れくさそうに目を伏せる。
「貴方にも……随分とひどいことをしたわね。殺されたって文句は言えないわ」
「気にしてないよ、フジノ」
 スケアは少し寂しそうに微笑んだ。
「もう……過ぎたことじゃないか」
「スケア……」

 一方、少し離れた場所。
 まるで昔別れた恋人のような雰囲気の二人を複雑な思いで見つめていたノイエは、不意にやわらかくて暖かな感触に包まれたので驚いて顔を上げた。
「あ、貴女は……」
「ほら、じっとしてて」
 四肢を切断されて動けないノイエを抱き上げたのはカシミールだった。
「これくらいならケール博士に頼めばすぐに治してくれるわ。斬られた腕と脚はある?」
「は、はい。えっと、あそこに……」
 ノイエが目線で示した先までツカツカと歩いていき、落ちている四肢を拾い上げる。カシミールはすぐに踵を返すと、足音高くケール博士の元に向かった。
「あの……何か怒ってます?」
「別に! あーあ、私もこっちの若くてカワイイ子に乗り換えようかしら!」
「え? え? え?」

「よぉアイズ、カッコ良かったぜ」
「あはは……疲れたーっ」
 アイズは脱力して床に座り込んだ。
「大変だったのよ? グラフ達が戦ってる間にパティさん達と作戦立てて、ルルドの魔法で瞬間移動してもらって、レムさんからの通信に答えて……そうこうしてるうちにツェッペリンは落ちてくるしトトは奪われちゃうし! まぁ、念の為に外で待機してくれてたバジルさんに追いかけてってもらったから、今頃助けてくれてるだろうけど。とにかく疲れたーっ!」
「ははは、ご苦労さん」
 グラフは苦笑していたが、ふと気になっていたことを訊いた。
「ところで、アートはどうやって助けたんだ?」
「ああ、それはね」
 アイズが笑って床を指差す。
 と、いきなり無事な床が陥没してモレロが現れた。
「モレロさんに助けてもらったのよ。閃光が発射された瞬間に、あいつの足元の床をぶち抜いてね」
「……なんか俺、こんな役ばっかりだな……」
 ぶつぶつと呟くモレロ。
「そうか、あんたが……ありがとう、アートに代わって礼を言うよ。ところで、何だい? この大きいの。ナルニアの一部か?]
 モレロが抱えている大きなカプセルを撫でるグラフ。
「ああ、それ? それもあの時一緒に頑張ってくれた一人よ」
「???」
 グラフが不思議そうにカプセルの中を覗き込む。

 その時。
 カプセルの中から、か細い少女の声が響いた。
『……逃げて……早く……! 爆発する……!』

 直後、研究所直下で大爆発が起きた。

   /

「これは……何?」
 あてもなく森を彷徨っていたヴィナスは、突然の地響きに立ち止まった。振り返ってみれば、遥か後方に巨大な爆煙が立ち昇っている。
 この方角、あそこは確か。
「そう。研究所に爆弾を仕掛けたのよ」
「……っ!?」
 ヴィナスは弾かれるように振り向いた。
 近くの岩に腰掛けているアミの姿に、その背筋を冷たいものが伝う。

 いつの間に!? まったく気配を感じなかった……!

「まったく、エンデは遊びすぎるわね」
 アミは呆れた口調で呟くと、立ち上がってヴィナスを見つめた。
「貴女には失望したわ、ヴィナス。まさかハイムを裏切るなんて」
「……何のこと? 私は別に裏切ってなんていないわ。勝てないと思ったから退いただけよ」
「それならどうしてこんな所に一人でいるの? 捕らえたはずのトトまで逃がして」
「だからそれは……」
 言い返そうとして、ヴィナスは気づいた。
 アミはあの場にいなかった。にも関わらず、今の台詞──アミは既に、ネイの戦線離脱を把握している。
 そこから導き出される、彼女の意図は。
「……そういうことか……」


「私は死を司る“代行者”。せめて安らかな死を貴女に」
 アミの周囲を異様な気配が漂う。

「ふん……エンデにあんたを殺すように言われていたのを忘れてたわ」
 ヴィナスはコートから羽根を毟り取った。











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