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田村哲樹 vs 濱口桂一郎 in 『日本の論点 2010』-ベーシック・インカムについて②

2010年02月23日 | 労働・福祉
『日本の論点 2010』にもついに「ベーシック・インカム」が論点として取り上げられた。

ベーシック・インカムを巡る田村哲樹氏と濱口桂一郎氏の論文を紹介しておく。

田村氏はBI賛成派で、濱口氏はBI反対派である。

両論文に対する私の感想は、田村氏の論文は最初の現状認識が正しいと思うが結論についてはよくわからない、濱口氏の論文は最初の「労働の価値」を認めるのには共感するが、最後のBI「血の論理」批判はおかしい、というものである。


若者たち・貧困者たちが置かれている現況ー「濁流」の比喩


田村哲樹氏の論文は、題名の『ベーシック・インカムは流動化社会で生きていくための「足場」となる』ーこれがほぼ内容を要約している。

田村氏によると、現代の社会は、社会学者ジグムント・バウマンが指摘する「流動化」社会である。

それを田村氏は「濁流」という比喩で説明している。

この「濁流」という比喩は、私の実感にも符合する。

(個人的には、13年ほど前から、日本の「地面は液状化している」という感じがずっとしている。)


>私たちは、流動化=濁流のなかで頑張らねばならないと思っている。しかし、頑張るためには、しっかりした「足場」が必要なのである。

>ここで流動化する時代の「足場」として注目したいのが、ベーシック・インカム(以下BI)である。(田村哲樹氏)


現代の「濁流」の中で何か「足場」が欲しい、というのは痛切にわかる。
しかしその「足場」は必ずベーシック・インカムでなければならないのだろうか。


>BIの最大の特徴は、無条件での給付という点にある。

>この無条件という特徴が、流動化する社会で頑張るための、誰にも共通する足場となる。逆に、条件付きの給付や特定の人々を対象とした給付は、安心できる足場としては不十分なのである。(田村氏)


私にとって興味深いのは、『日本の論点 2010』の他の論文で、本田由紀氏が『「就活」という名の濁流に沈む若者たち』という文章を書いており、そこでも若者たちが置かれている現況を名指すのに「濁流」という比喩が使われていることである。

「処方箋として何が正しいか」までは合意できないとしても、複数の論者に「濁流」いう現実認識が共有されていることこそが重要だと思う。


「労働」による「社会参加」を軸としない「連帯」が可能なのか?


次に、濱口桂一郎氏の論文「失業者と非労働者を区別しないベーシック・インカム論の落とし穴」について。

現在、貧困や「社会的排除」という問題に対する対策として、大きく分けて①労働を通じた社会参加によって社会に包摂していく「ワークフェア」戦略と、②万人に一律の給付を与える「ベーシック・インカム」戦略が唱えられているという。

濱口氏の論文は、①の「ワークフェア」の立場から、②「ベーシック・インカム」の立場を批判するものだ。

濱口氏は、そもそも「労働の価値」を抜きにした「社会連帯」は有り得ない、と考えているようだ。私は、それに同意する。

ベーシック・インカムは、給付を受ける者に対し、基本的に「労働への意欲」の有る無しを問わない。

しかし濱口氏にとっては明らかなことだが、「働く気のない人」と「働けない人」とは同じではない。

今、各種の社会保障が機能不全になっているということは、それだけでBI支持の根拠にはならないということ。

濱口氏は、「働く気のない人」と「働けない人」を選別せずに一定の給付を与えるベーシック・インカムは、意外と「ネオリベラリズム」と親和性が高いことにも警鐘を鳴らす。


>失業給付制度が不備であるためにそこからこぼれ落ちるものが発生しているという批判は、その制度を改善すべきという議論の根拠にはなり得ても、BI論の論拠にはなり得ない。(濱口氏)

>BI論は(…)働く意欲がありながら働く機会が得られない非自発的失業の存在を否定し、失業者はすべて自発的に失業しているのだとみなすネオリベラリズムと結果的に極めて接近する。


濱口氏の意見に私も賛成だ。(詳しく言えば、濱口氏が労働の価値を認めて「社会参加」を重視していることに賛成、制度改変に際してピース・ミール・アプローチを取っていることに賛成、ただ、私は「ネオリベラリズム」(≒市場主義)が全てダメだとは思っていない。)

人類はこれまで、「働くことはいいことだ」という価値観のもとに、「ダメな人」も「ダメじゃない人」もひっくるめて、なんとか「包摂性」を維持しながらやってきた。ベーシック・インカムは「労働に価値がある」という価値観からの解放を目指している。あるいはその価値観を前提としない制度設計を目指しているようだ。そのような労働の「脱構築」が果たして可能なのか。あるいは可能だとしても、それがほんとに人間にとって「いいこと」なのか。

私はまた、ベーシック・インカムにより、「社会的排除」が固定化されないかという懸念をもっている。例えば、ホリエモンさんが「無駄な社員は会社に来ないほうがよい」ということを理由の一つとしてベーシック・インカムに賛成していたことがあった。これまでの社会は、そういうところを何とか「ごまかして」やってきたように思うのだが、それではいけなかったのだろうか。「無能な人はすっこんでて下さい」と、そんな身も蓋もないことを言って「共同体の維持」など他の側面への負の影響はないのだろうか、と、その辺りに心配がある。

さらに濱口氏は、BI支持論者の山崎元氏や堀江貴文氏のブログから批判的に引用し、


>人を使う立場からは一定の合理性があるように見えるかもしれないが、ここに欠けているのは、働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりであり、認知であり、生活の基礎であるという認識であろう。この考え方からすれば、就労能力の劣る障害者の雇用など愚劣の極みということになるに違いない。


と書いている。
末尾の文章は、やや感情的な批判になっているように思う。
「障害者」の雇用に対し、ホリエモンさんが、あるいはBI支持者側が、どういう態度を取るのかはまだ明確ではないと思うからだ。


BI支持者を「ナチス」呼ばわりするのは、今のところ、適切ではない。


この論文の最後のほうで濱口氏が、『BIの根拠が「血の論理」になりかねない』と批判する箇所は、アレ? ちょっと筆が滑ったのかな? と思って困惑した。


>最後に、BI論が労働中心主義を排除することによって、無意識的に「“血”のナショナリズム」を増幅させる危険性を指摘しておきたい。


いきなり持ち出される「“血”のナショナリズム」という言葉は、ここでBIを批判するものとしてはオドロオドロしすぎるようだ。

なぜなら『BIの根拠が「血の論理」になりかねない』という批判の仕方は、まるで「BIの思想はナチスだ!」と非難しているように見えるからだ。
今のところ、BIは、それほど強い言葉で非難するべき「危険思想」にはなっていないと私は思う。

濱口氏が認めるように、日本人にだけ給付する、という論理が「血の論理」だと言うのなら、他の社会保障制度でも同じことである。
また、BI側も、たとえば「世界連邦」を作って全人類にベーシック・インカムを給付するという方向を目指すと言うのなら、「血の論理」は(理論的には)超えられてしまう。

おそらくここで問題になっているのは、「BI制度を日本だけに導入することで、外国や、日本国内の外国人労働者に悪い経済的影響を与えないだろうか?」ということなのだろう、と思う。これも気になるポイントの一つである。

まとめると、田村氏の論文も濱口氏の論文も、私は途中までは大体賛成だが、最後のところで保留する、ということになる。田村氏の「濁流」という現状認識と、濱口氏の「労働」による「社会参加」は重要、というところが一番大事だと思う。

BIに対しては、バランスの取れた、さらなる批判が必要だと思った。

2 コメント

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「いる」 ことが大切にされる社会へ (kyunkyun)
2010-06-08 12:04:37
>>ここに欠けているのは、働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりであり、認知であり、生活の基礎であるという認識であろう。

これは別の見方をすれば、今の世の中は、働いていなければ尊厳も持ち難く、社会とのつながりも持ち難く、認知もされ難く、生活の基礎もない、ということではないでしょうか。

「あなたがそこにいるだけでいい」
「きみがいるだけで~」

歌の世界ではよく耳にする言葉だけれど、現実の世界では、「いるだけ」 の人は否定され、何かをして人の役に立つこと、社会に貢献することが求められます。
「いる」 ことよりも、「する」 ことの方が重要視されます。

ベーシックインカムは、働いていても、働いていなくても、人が尊厳を持って生きることができる、互いに認知し合える、社会とのつながりが持てる、そういう社会を目指すものではないでしょうか。
「する」 ことに先立ち、「いる」 ことが大切にされる、そういう社会を。
BI→「社会的排除」が固定化? (ツルタロウ)
2010-06-15 13:22:08
>濱口氏は、そもそも「労働の価値」を抜きにした「社会連帯」は有り得ない、と考えているようだ。私は、それに同意する。

↑・・・大局のところ、完全雇用がありえるんでしょうか??

>私はまた、ベーシック・インカムにより、「社会的排除」が固定化されないかという懸念をもっている。

・・・↑全く同感です。。多分、そうなる可能性大と思います。で、BI本と並行して宮本太郎氏系のワークフェア本とか読むようにしてます。

>濱口氏が認めるように、日本人にだけ給付する、という論理が「血の論理」だと言うのなら、他の社会保障制度でも同じことである。

全く同感です。。BIって、大局のところ、停滞した先進資本主義社会の延命型・最適社会モデルと思います。それ以上でも、以下でもないと。そうとらえた方が、なにかと自然ではないかと・・・・。
大変乱文にて失礼します。あ、BI賛成論者のものです、なんか今、書いたのみたら反対論者的にも見えて。。