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八代尚宏氏の『雇用改革の時代』を読むーホントに、雇用問題って難しいなあ…

2010年01月15日 | 労働・福祉
雇用問題、労働問題についてもう少し考えようと思って、図書館で八代尚宏氏の近著『労働市場改革の経済学』を読もうとしたのだけど、私の家の近くの市立図書館では、この本は既に「予約」が2、3人詰まっており、今すぐには借り出せなかった。

仕方なく、ちょっと古くなるが、10年前の八代尚宏『雇用改革の時代』(中公新書 1999年)という本を借り出して読んでみると、案の定、面白かった。

へー、そうなのかー、といろいろと勉強になった。

岩波新書の濱口桂一郎氏の『新しい労働社会』は、どちらかというと「労働法」の用語を使って雇用問題が語られていたが、八代尚宏氏の『雇用改革の時代』は、主に「経済学」の用語を使っているので、文章の「歯切れ」がよい。

「machineryの日々」2009年12月26日 の記事に「労働」という言葉を使う人と、「経済」という言葉を使う人との対立が示されていたが、この対比を使えば、どっちかというと濱口氏は「労働」の人で、八代氏は「経済」の人になるだろう。

わたしが、やっぱり学者ってカッコいいな、と思うのは、たとえばこの本では八代氏が「男女間の賃金格差はなぜ生まれるのか」の説明をしている箇所を読んでいる時だ。「それは日本の男根主義者たちに根強く残っている封建主義的な女性蔑視観によるもので…」といった説明はしない。たしかに日本に男女差別が強いのは事実だけど、そこに行く前に、経済学的視点からワンクッション置いてみる。

>こうした男女間の職種の違いを、日本の大企業を中心に残っている結婚退職や既婚女性の採用制限等、人事管理の特殊性によるものとする見方がある。しかし、それでは、なぜ差別的な慣習が、とくに日本で根強いのかという点についての説明が必要となる。これは、「企業が真に利益を追求する行動を取っていれば、本来、雇用差別は存在しえない」(フリードマン)からである。(『雇用改革の時代』142p)

>そこで競争的な市場の下でも男女間の大幅な賃金格差が持続することの説明要因としては、企業内訓練を極度に重視する日本的雇用慣行があげられる。(143p)

…出ましたね。「企業内訓練を極度に重視する日本的雇用慣行」。濱口氏の『新しい労働社会』でも説明されていた、日本のメンバーシップ型の雇用契約から派生する雇用慣行。

>同じ仕事能力を持つ女性の従業員を差別すれば、会社側にとっても「差別のコスト」がかかる。しかしその例外は、労働者の仕事能力自体が、企業内の訓練を通じて形成される場合である。この場合、労働者をどのポストに配置するかは、経営者側の恣意的な判断に委ねられる。このため、平均して結婚や出産、夫の転勤等の非経済的な事情で退職するリスクの大きな女性は、相対的に貴重な企業内訓練の機会を配分されにくい。これは個々の従業員の能力や意欲をあらかじめ知ることは困難(情報の非対称性の制約)な状況では、女性というひとつの集団の平均的に高い離職率という特性を、個々の雇用者について機械的に当てはめる「統計的差別」の行動である。(143p-144p)

…「統計的差別」か、なるほど、と思った。「情報の非対称性」があるから雇う側もおっかなびっくりで、だから女性を「統計的に」差別せざるをえない。

>仮に、労働者が自らの負担で教育・訓練を受ける大学などの教育機関で熟練が形成される場合には、こうした要因に基づく男女間の格差は小さくなる。男女を問わず企業内訓練の比重が小さく、自己負担の教育や他の企業での職務経験を通じて技能を形成する米国のホワイトカラーの場合には、女性にとって幹部ポストへの登用機会も相対的に多く、賃金格差も小さいことになる。男女間の雇用・賃金格差は、どこの国でも存在するが、それが日本でとくに大きいことは、企業内訓練を重視する日本的雇用慣行の下で、性別や学歴による差別の要因が働きやすいためと考えられる。(『雇用改革の時代』144p-145p)

…こうして、ぐるぐると悪循環がはじまるわけだ。性別差別や学歴差別の。

そして、この男女の雇用問題に関する文章の最後に、八代氏はこう書く。

>共働き家族は、今後の低成長の社会では、リストラにも強く、また一方が生活費を稼ぐうちに、他方が個人の能力のグレードアップのため、自費での教育・訓練を行うこともできる。女性が働きやすい社会は、多くの男性にとっても同様に、選択肢の多い、働きやすいものとなる。(163p)

…最後の「女性が働きやすい社会は、多くの男性にとっても同様に、選択肢の多い、働きやすいものとなる。」というのには私も同意。

話は飛ぶが、同じように、「外国人が働きやすい社会は、多くの日本人にとっても同様に、選択肢の多い、働きやすいものとなる」から、外国人労働者をもっと増やして、外国人の労働環境を改善していってほしいと思うことがある。

さらに、リチャード・フロリダの本によれば、ゲイ(同性愛者)にとって住みやすい街は、若い女性や年寄りの夫婦たちにとっても同様に、住みやすい街となる。したがってゲイにとって住みやすい街は、有能な人材が集まり、産業が発展し、経済力が強くなるのだそうだ。資本主義を強くするためにも、女性や外国人、同性愛者たちが働きやすく住みやすい環境を作ることが、大事なのだ。

…このように私は八代氏の本を読んで感銘を受けたのだが、いまブログ検索で八代尚宏氏の名前をちょっと調べてみると、この人は「労働ビッグバン」を推進しようとした新自由主義者の「悪の権化」みたいな存在として、いろいろな人に罵倒されてきたようだ。

「えー、なんでー?」と私は思う。

自民党・小泉路線を批判するような「左」っぽい人の中でも、私が読んだ中では、たとえば「市役所の職員で、組合の委員長」をやっているという方が、3年ほど前に書かれていた『公務員のためいき』 2007年2月12日 八代尚宏教授の発言 Part2という文章などは「穏当」だと感じられた。

この記事には八代氏の著作に対して次のようなコメントがある。すごく「まとも」だと感じられる。

>1年ほど前、当ブログへのコメント欄で八代教授の著書「雇用改革の時代」をご紹介いただき、すぐ手に入れ目を通していました。最近、八代教授が注目を浴びるようになったため、探し出して手元に置きパラパラと頁をめくっています。1999年12月に発刊された著書ですが、八代教授の主張は現在に至るまで一貫している点がよく分かります。

>雇用の規制緩和などの是非は置いた上で、日本的雇用慣行の分析などに関して感心した覚えがありました。企業が労働者の長期雇用を保障するのは温情ではなく、企業の教育訓練投資の成果である熟練労働者を重視したものであり、年功賃金と退職金制度は熟練労働者を企業に縛りつける仕組みであると述べていました。

>八代教授は日本的雇用慣行の担ってきた役割を一定評価した上で、時代状況の変化からその見直しも必要であると訴えていました。要するに「雇用改革」であり、現在の政府の施策となっている「労働ビッグバン」につながっています。

>例えば経済財政諮問会議の中で、八代教授は「派遣労働者の固定化防止のために派遣期間3年の制限が必要であると言うが、その企業でもっと働きたいと思う人が法律によってクビを切られることになる」と発言しています。この発言一つとっても短絡的に判断できるものではなく、頭から否定できない問題提起を含んでいるものと感じています。

>賛否が分かれる八代教授の主張に対し、「非正規」労働者の待遇改善に向けた思いは共通する課題だと言い切れます。(以上、『公務員のためいき』より)

…どうしてこういう冷静な議論がネット上には少ないのか。

以下、今回この記事を書く際に参考にさせて頂いたブログ。

五十嵐仁の転成仁語 2008年4月10日 最賃制をめぐる「攻防」
雑種路線でいこう 2009年10月06日 人材の流動性って強引に高めるべきか
池田信夫氏 2009年11月29日 八代尚宏『労働市場改革の経済学』の書評
EU労働法政策雑記帳 2009年11月25日 8,9割までは賛成、しかし…八代尚宏『労働市場改革の経済学』をめぐって
EU労働法政策雑記帳 2008年2月27日 hamachan=八代尚宏?
EU労働法政策雑記帳 2009年9月9日 お待ちかね、労務屋さんの書評

拙ブログ内関連記事:八代尚宏氏と湯浅誠氏- 『EU労働法政策雑記帳』より 2010年01月07日