ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

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「障害者」という言葉についてーもともとは「身体的条件の異なる無数の人々」がいるだけ。

2010年03月05日 | 生命・環境倫理
鳩山首相の提案ー「障害者」より「チャレンジド」という言葉を使った方がいい。


鳩山首相が「障害者」という呼称に代えて、「チャレンジド」を使うようにしたらどうか、と提案しているらしい。→(「障害者」から「チャレンジド」へ 首相ご推薦の新呼称は定着するの?(サイゾー)2010年2月23日

「障害者」とは変な言い方だと、私も前から思っていたが、「チャレンジド」もどうかと思う人は多いだろう。

そもそも政策上「援助を受けるべき人」を定義するためには、人間の「線引き」は避けられそうもないので、どう言い換えたとしても、このような「変な言葉」が出てくるのは仕方のないことなのかもしれない。


私がふと思いついた「障害者」の定義ー「身体的条件の異なる無数の人々のうち、現在の経済的・社会的条件の下で、以後、経済的・社会的に不利な生活を強いられる可能性が高いことが推測される人たちのこと。」


それでは、仮に「障害者」を定義するとしたら、どう定義したらよいのだろうか。

人間はみな、それぞれの肉体的条件を負っている。

つまり、人間は「健常者」と「障害者」にスパッと分けられるわけではなく、世界には、ただ、「肉体的条件の異なる無数の人たち」が存在するだけなのだ。

しかし、時代によって「その範囲」は変化すると思われるが、そこから国の政策上、「障害者」としてくくり出される人たちがいることも事実だ。

このようなことを考え合わせてとりあえず、次のような定義になるのかなと思った。

「障害者とは、身体的条件の異なる無数の人々のうち、現在の経済的・社会的条件の下で、以後、経済的・社会的に不利な生活を強いられる可能性が高いことが、現在の医学的診断の結果等を根拠として推測される人たちのことである。」

この定義がどういうところで役に立つのかはよくわからない。

でも「障害者」という「線引き」が、いくつもの「条件」を重ね合わせた「暫定的なもの」にすぎない、という感覚を強調しているつもりだ。