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「文化的価値」あるから「京都」に原爆を落とさなかったなんて、「はだしのゲン」が聞いたら何と言うか?

2010年02月16日 | 生命・環境倫理
戦争や原爆に「倫理」もクソもあるのだろうか。


戦争では、多くの人命が無残な形で費消されていく。

生命倫理・環境倫理学に併設される学問として、「戦争倫理学」という分野があるようだが(加藤尚武氏の『戦争倫理学』 )、原爆などというとてつもない人命損失を目の前にすると、そこには倫理もクソもなく、何だか思考停止(頭の中が真っ白)状態に陥ってしまう。

もしかすると、それでいいのかもしれないが、ここで少し考えてみよう。


三浦俊彦氏の「原爆肯定論」-『戦争論理学 あの原爆投下を考える62問』


三浦俊彦『戦争論理学 あの原爆投下を考える62問』(二見書房 2008年)は、「あの原爆は仕方がなかった。アメリカが原爆を落としたことは正しかった」ということを論証する本で、読んだ私は衝撃を受けた。原爆はOKだった、というこの本も、京都ではなく広島、というアメリカの選択はおかしい、と述べている。


アメリカの「戦後国際戦略」とスティムソン長官の「京都慕情」


「京都」は直前まで、アメリカが行う原爆投下の目標地だった。
スティムソン長官が京都原爆投下に反対したのは、表向きは戦後の国際政治でのアメリカの道義的地位を高める必要があったからだが、裏には「感傷」も含まれていた。スティムソンは戦前京都を訪れたことがあり、つまりベンチャーズの「京都慕情」のようなものがあったのかもしれない。もしかすると「舞妓さん」のイメージが京都を救ったのかもしれないと想像してみたりする。

私も京都は学生時代に過ごした「思い出」の街だ。
たとえば今居住している「大阪」と比べてみると、明らかに京都のほうが「文化」の香りが高いと思っている。(大阪の方ごめんなさい)


中岡ゲンが聞いたら怒るでしょ。


しかし、「文化的価値」が高いから「京都」に原爆を落とさなかったなんて、「はだしのゲン」のゲン少年が聞いたら何と言うか。「なんでじゃい!」と怒るのではないか。そのような恣意的な選択が、アメリカの「道義的地位」を高めるとは思えない。


アメリカ人の「戦略」と「感傷」-仲晃『黙殺』,吉田守男『京都に原爆を投下せよ』,ロナルド・シェイファー『アメリカの日本空襲にモラルはあったか』より


仲晃『黙殺 ポツダム宣言の真実と日本の運命(下)』(NHKブックス 2000年)に「京都が除外された本当の理由」(15p-18p)という節があるのでそこから引用する。

>(…)スティムソンの動機は、京都市民の生命というよりは、この町に残る過去の遺産を救済する(バーンスタイン)ことにあった。原爆によるこうした歴史的遺産の破壊が、日本人を憤慨させ、のちになって日本がソ連と組むようになる可能性を、この老練な政治家は懸念したのである。(17p)

>(…)7月24日「スティムソン日記」はもっと端的にこう書いている。「(…)こうした野蛮な行為によって生まれるかも知れない(日本国民の)苦々しい感情は、戦後の長期間にわたってアジア地域で、日本人たちがロシア人とではなくアメリカと和解するのを不可能にしてしまうかも知れない。われわれの政策は、ソ連が満州に侵攻した場合、日本がアメリカ寄りになることを必要としているが、こうした(京都への原爆攻撃のような)やり方は…そうしたアメリカの政策の実現を阻害する可能性がある(…)」(『黙殺』18p)

京都に原爆を落とすと、反米感情が高まり、日本がソ連と手を組む可能性があったと。

吉田守男『京都に原爆を投下せよ ウォーナー伝説の真実』(角川書店 1995年)も、京都への原爆投下の回避があったのは、アメリカの戦後国際戦略を目的としたものだった、と述べている。
しかし著者は、アメリカの「人道主義」を守るために「京都」ではなく「広島」に原爆を落とすというのはどういう神経なんだ、と当然の怒りを表明している。

>(…)スチムソンにとっては、京都への投下が「無茶な行為」に思われた。(…)しかしそれにしても、京都への投下は「無茶な行為」だが、広島や長崎ならそうではないというのはどういう判断なのであろうか。(150p)

しかしスティムソン長官には、この本や仲晃氏の言うような国際戦略のことだけではなく、「感傷」的な側面もあったようである。

ロナルド・シェイファー『アメリカの日本空襲にモラルはあったか 戦略爆撃の道義的問題』(草思社 1996年)には、スティムソンが自分の部下に「京都を投下目標から外したい、だなんて、きみは私を感傷的な老人だと思うか」と尋ねた事が記されている。

スティムソンは当時70歳を超えていた。

>スティムソンは1920年代、少なくとも三回京都を訪れていた。その美しさに魅了された彼は、その文化的・宗教的重要性を認識していた。ある日、もし自分が提案されている標的リストから京都を除外したら、君は私を「感傷的な老人」と思うかとマクロイ陸軍次官補に尋ねたことがある。(203p)

>芸術家や作家たちに混じって育てられ、紳士の教育を授けられ、さらに極東旅行を体験していたために、スティムソンは日本の高度な文化に敏感になり、京都の破壊を軍事問題以上のこととしてとらえた。京都を救うために彼が提起した実際的議論はたんに合理的なものであったかもしれないが、頑固で几帳面な法律家であったスティムソンは、この件については彼自身がジョン・J・マクロイ陸軍次官補に示唆したように、感傷的な老人であったということは十分考えられる。(『アメリカの日本空襲にモラルはあったか 』235p)

これらのことを踏まえて、

『戦争論理学 あの原爆投下を考える62問』で三浦俊彦氏は、アメリカの戦後政策のためというのは「表向きの理由」で、本音は「感傷」だったのであり、そして京都には投下しないで広島には投下してよいというのは「文化差別」にすぎないという。

>ちなみに、原爆投下目標の選定に人種差別は関係していなかったとしても、「文化差別」の思惑は働いていた。第一目標だった京都が、直前になって陸軍長官スティムソンの強い反対で候補から外されたのである。京都に固執するグローブズ将軍らマンハッタン計画指導部とスティムソンとの間でかなり揉めて、ポツダムにまで説得の電報を送ってきたグローブズにスティムソンは激怒し、トルーマンに再三訴えて解決した。スティムソンの表向きの理由は「京都を破壊すると日本人に反米感情を残して戦後政策が困難になる」というものだったが、戦前に京都を訪れたことのあるスティムソンの本音は、宗教と文化の中心地を破壊するにしのびないという感傷だった。建前と本音のいずれもが、京都よりも他の候補都市のほうが政治的・文化的価値が低く、それらが核攻撃されても日本人自身にとって許容されやすいはずという差別意識にもとづいている。(『戦争論理学』37p-38p)

京都という街の「文化的価値」と、大量の人間の「生命の価値」とが計りにかけられ、前者を守ることに決定した、というのは何とも納得がいかない。


ロナルド・シェイファーの本の方が、『空の戦争史』よりも記述が分厚い。


ちなみに、田中利幸『空の戦争史』(講談社現代新書 2008年)は、無差別爆撃の歴史的背景や、その道義的責任を問うという問題意識において、ロナルド・シェイファー『アメリカの日本空襲にモラルはあったか 戦略爆撃の道義的問題』(草思社 1996年)と重なっている部分があるが、私には今回、シェイファーの本のほうが有益だった。

シェイファーほうが空爆の歴史や、軍人たちの心理、無差別爆撃の道義的問題に関して「分厚い記述」を心掛けている印象を受けた。

田中『空の戦争史』は、新書という小さな本に知識が詰め込まれすぎている感じがした。ゆえに記述が堅苦しい。歴史的な記述をややマニアックに詰め込んだ後、日記や伝記などから当時の政治家や軍人たちの発言が一つか二つ抜粋される。そしてわずか二、三行で、一方的に軍人の良心的感覚の麻痺を断罪する、という形式が取られている。

分量を制限された新書という体裁上、仕方のないことなのかもしれないが、シェイファーはもうすこし丁寧に軍人達の心理に分け入っている印象があった。よって私は『空の戦争史』と比べるならば、ロナルド・シェイファー『アメリカの日本空襲にモラルはあったか 戦略爆撃の道義的問題』のほうをお薦めしておきたい。


1 コメント

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軍事都市としての廣島? (ツイッターからきました)
2010-08-06 14:12:32
ツイッターから来ました。
参考になります。
広島、いえ当時の廣島は、少なくとも京都に比べると明白に軍事都市としての側面が強かったので、そういう意味からも正当化がしやすいとの思惑はあったかと思いました。

http://homepage.mac.com/misaon1/hamayuu/gunto.html

だからといって広島への投下を正当化するつもりはもちろんありませんが…
ただ、感傷に加えて、戦後の戦略を考えたとき、「文化都市を壊す」よりは「軍事都市を壊す」方を選んだという側面はあったかと推測します。
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