ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

ブログ始めて1年未満。KY(空気読めてない)的なテーマの混淆され具合をお楽しみください。

宮本太郎氏の「官僚主導の三重構造」-原口一博氏ツイッターより

2010年01月13日 | 政治・民主党
自分は、けっこう若い年代であるにも関わらず、周りと比べてコンピュータには不慣れなほうだと思う。
最近無理して、やっとブログを始めたところだというのに、世間ではすでに、ツイッターなるものが流行しはじめている。
技術の進化が速くて、オジサンついていけません。

と泣き言をいわずに、総務大臣の原口一博氏のツイッターを読んでいると、けっこう面白かった。

怠け大臣、『ゆる』大臣

>細君に教えてもらってゆる体操しました!これで息が上がるなんて…(涙)おやすみなさい。継続は力なり!
(原口氏ツイッター 2010年1月3日より)

『ゆる体操』ってたぶん、身体運動研究家の、高岡英夫氏の『ゆる体操』のことだろう。(→ You tube 爆笑問題の番組-「ゆる体操」の紹介

高岡英夫氏の著作は、わたしも結構読んでおり、啓発されることが多いのだが、さすがに、時の内閣の大臣が『ゆる体操』をやっていると思うとやや不安? でもま、いっか、笑えてくる。

スティッフな身体からフリーな身体へ。「ガチガチ」から「ユルユル」へ。高岡英夫氏はそのような提言をしている人である。

「お零れ頂戴」のトリクルダウンからファウンテン(湧き出る泉)へ

また、私が言うのもおこがましいが、原口氏の言葉のセンスは悪くないと思っている。

>強い人が走っていさえすれば、おこぼれの滴りで後は大丈夫というトリクルダウン(富の自然浸透)理論がしきりに唱えられました。しかし、実際は国際競争力を落としただけ。緑の分権改革の発想は、社会のバリアを取り除き、一人ひとりを生かすファウンテン(湧き出る泉)理論に立っています。(2010年1月3日より)

これも人によっては、『トリクルダウン理論』というのは経済学的な裏付けがあるちゃんとした理論なのに、原口の言う『ファウンテン理論』なんて根拠なしの美辞麗句、と言って批判したくなるかもしれないけど、私はこれでいいと思う。やはり、政治家には明るい言葉を発する力が必要だ。

宮本太郎氏の「官僚主導の三重構造」とは何か

原口氏は、宮本太郎氏と対談して、『官僚主導の三重構造』という言葉を教わったらしい。

>官僚と族議員が業界と会社を守り、業界と会社が男性稼ぎ主の雇用を保障し、そして男性稼ぎ主がその妻と子どもを養うという『官僚主導の三重構造』。 これは問題のある仕組みです。官僚の匙加減で生活までもが左右されてしまうからです。 (2010年1月4日より)

>「官僚主導の三重構造」は宮本太郎先生との対談での先生の言葉です。この構造は問題のある仕組みであったけど日本社会の安定を支えてきた。それがこの 20年で揺らいできている。格差が広がり人々が不安をいだき出口を探している。そこで… 「地域主権改革宣言」でもその答えを議論しています。(2010年1月4日より)

この『官僚主導の三重構造』というのは、たぶん、宮本太郎氏がその著作『福祉政治』『生活保障』で説明している「仕切られた生活保障」というのにほぼ重なる概念だと思う。

よって以下、理解の便宜を図るため、宮本太郎氏の『福祉政治』『生活保障』より関係ありそうなところを拾い出して、一部抜粋する。
自分用のメモみたいなもので、理解の深い人から見ればちょっとポイントずれているかもしれないけど、それくらいはご寛恕を願う。

>この体制(官僚主導体制)は、さまざまな職域ごとに、官僚が族議員と一体となって業界や企業を保護するもので、その業界や企業が男性稼ぎ主の雇用を守り、そして男性稼ぎ主が妻や子どもを養った。これは、保護の連鎖であると同時に支配の連鎖でもあり、官僚や族議員の利権がはびこり、男性稼ぎ主中心の家族主義が当たり前のこととされた。しかしその一方で、この仕組みは、ともかくも人々の生活を安定させてきたのである。(宮本太郎『生活保障』はじめに- )


>すでに筆者を含めて何人かの論者が主張してきているように、日本では雇用レジームにおける雇用保障が、福祉レジームの機能の一部を代替している。この傾向は1970年代の半ばからはっきりしてきたが、こうした雇用レジームとの連携の結果、日本の福祉レジームそのものは次のような特質を備えるにいたった。

第一に、年金や医療保険などが公務員、大企業、自営業といったように職域ごとに分立したかたちをとったことである。これは、雇用レジームにおいて企業あるいは職域ごとに男性稼ぎ主を囲い込むしくみが形成されたことに対応している。(…)その結果、日本では企業、業界などを単位として雇用保障がなされ、これを社会保障が補完する「仕切られた生活保障」とでも言うべきしくみが形成されたのである。(…)

第二に、福祉レジームの規模は小さかった。日本では、生活保障の軸が雇用レジームに置かれたため、社会保障支出は抑制された。雇用保障は男性稼ぎ主を対象としていて、とくに大企業ではその賃金は家族の生活費も含めた家族賃金という性格を強めたために、雇用レジームが家族主義を支えることになった。(…)

第三に、その抑制された社会保障支出が人生後半の保障、すなわち年金、高齢者医療、遺族関連の支出に傾斜したことである。(…)生活保障における雇用保障の比重が高く、したがって人生前半に関しては会社と家族が諸リスクに対応したため、狭義の社会保障は、会社勤めから退き家族の対応力も弱まる人生後半に集中することになったのである。だが、このことはいったん会社と家族が揺らぎ始めると、若い人々を支えるセーフティネットが脆弱であったがゆえに、ここに低所得者リスクが集中することを意味する。(…)

>以上のような構造の下で実現された「仕切られた生活保障」においては、それぞれの「仕切」の中で、まずは雇用されることで生活保障がはかられた。(以上、宮本太郎『福祉政治』31p-34pより)


関連記事:宮本太郎『生活保障』-ちょっと難しすぎるという人のために 2009年12月08日
(→岩波ブックレット『脱「貧困」への政治』より、宮本太郎氏の発言の抜粋をしています。)