私はみうらじゅん氏を尊敬しており、所詮私の思い込みだろうが、みうら氏のことが、まるで現代の聖者の一人のように見えてきて、困ってしまうことがある。
今日は、みうらじゅん対談集『正論。』(2009年)から、拙ブログに関係がありそうな所を抜き出しておこう。
ちなみにこの本は、およそ400ページにも渡って、みうらじゅんと、各界著名人の方たちとが対談を繰り広げているものである。
その論じられている内容とは、80パーセントくらいは「エロ話」のことであるといってよいだろう。
そして残りの19パーセントくらいは「下ネタ」である。
しかし、最後の1パーセントくらいのところで、仏教や仏像の話が出てくるので、ここに抜粋しておく。「小見出し」は私がつけている。
般若心経の「ギャーテー、ギャーテー」は「フレー!フレー!」である
<10p-11pより>
峯田和伸 般若心経はいつも持ち歩いているんですか?
みうら 文字が小さい上に老眼でよく読めないんだけどさ。あ、この最後のところ、ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー(羯諦、羯諦、波羅羯諦)ってあるでしょ?
峯田 ギャーテーは聞いたことありますね。ギャーテーズとかいいますもんね。
みうら このギャーテーの部分が、訳してはいけないとされてたんですよ。ここだけは。
峯田 どういう意味なんですかね?
みうら どうやら「フレー! フレー!」ということみたいなんだ。…何も無い。肉体も無い。生きてることも滅することも汚いことも綺麗なことも無い。増えることも減ることも無い。全部無い無いですよ。でも修行を積む者だけには「フレー! フレー! 彼岸に行く者達よ!」って応援するんですよ。
峯田 彼岸ってお彼岸の…?
みうら そう。現世のことを此岸って呼び、あっちは彼岸。彼岸って死ぬことじゃなくて到達するというのかなあ。だから修行を積み重ねる人達だけには、「フレー! フレー!」って言うんですよ。これ僕の訳なんだけどね。(笑)
峯田 (笑)。「ギャーテー! ギャーテー!」と。
みうら 般若心経って、今風にいうと応援歌っぽい感じがするんですよ。最初はマイナスと取れることばっかり言っておいて、それじゃ救われないんじゃないか? って思わせといて、後半「でもね」を言い出す。あの『イマジン』と同じやり口ですよ。ジョン・レノンは多分これに影響を受けたんだと思うよ。
駐車場で説かれる仏の教え
<13pより>
みうら よく、駐車場のところに「空あり」って書いてあるでしょ。
峯田 見かけますね。
みうら 「空なし」ともあるんですよ。あるけど無いんだよね。無いけどあるように。
峯田 町中で説かれているんですよね。
みうら 釈迦が悟った「空」の思想は全ての問いに答えられることなんですよ。あの方はもう全て分かっちゃったんですよ、ボブ・ディランは「答えは風に吹かれている」と表現しましたが。
峯田 はーなるほど!
みうら ボブ・ディランは、結局答えは風に吹かれているだけで、あるかも知れないし、無いかも知れないって。
仏像も見た目が9割?
<318pより>
はな みうらさんの般若心経の本(『アウトドア般若心経』)。あれは凄かったね。
みうら ありがとうございます。実は般若心経って昔から凄くジョン・レノンの『イマジン』に似てるなって思ってた。
はな え? そうなの?
みうら 『イマジン』は「国境は無い、天国も無い」って言うでしょ? 般若心経も「無い、無い」だから。「色も無い、形も無い」っていうことだから。多分ジョンが釈迦の教えをパクッったとみたね。
はな パクリ? 『イマジン』パクリだったんだ。そっか。みうらさんって阿修羅像の置物持ってますよね? 結構大きいの。
みうら あれは奈良の土産物屋さんで買ったの。パクッてないよ(笑)。
はな ええー!
みうら そろそろ仏像教ってのを作らないとね。
はな いいね!
みうら それを「イマ寺院」って呼ぼうかな。今度はジョン・レノンの『イマジン』をパクッて。
・・・以上!
関連記事:山崎隆之『一度は拝したい奈良の仏像』-阿修羅と金鼓の響き 2009年11月27日
(→すまない。阿修羅の記事だが、みうらじゅん・いとうせいこうの『見仏記』のような面白さはない。)
今日は、みうらじゅん対談集『正論。』(2009年)から、拙ブログに関係がありそうな所を抜き出しておこう。
ちなみにこの本は、およそ400ページにも渡って、みうらじゅんと、各界著名人の方たちとが対談を繰り広げているものである。
その論じられている内容とは、80パーセントくらいは「エロ話」のことであるといってよいだろう。
そして残りの19パーセントくらいは「下ネタ」である。
しかし、最後の1パーセントくらいのところで、仏教や仏像の話が出てくるので、ここに抜粋しておく。「小見出し」は私がつけている。
般若心経の「ギャーテー、ギャーテー」は「フレー!フレー!」である
<10p-11pより>
峯田和伸 般若心経はいつも持ち歩いているんですか?
みうら 文字が小さい上に老眼でよく読めないんだけどさ。あ、この最後のところ、ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー(羯諦、羯諦、波羅羯諦)ってあるでしょ?
峯田 ギャーテーは聞いたことありますね。ギャーテーズとかいいますもんね。
みうら このギャーテーの部分が、訳してはいけないとされてたんですよ。ここだけは。
峯田 どういう意味なんですかね?
みうら どうやら「フレー! フレー!」ということみたいなんだ。…何も無い。肉体も無い。生きてることも滅することも汚いことも綺麗なことも無い。増えることも減ることも無い。全部無い無いですよ。でも修行を積む者だけには「フレー! フレー! 彼岸に行く者達よ!」って応援するんですよ。
峯田 彼岸ってお彼岸の…?
みうら そう。現世のことを此岸って呼び、あっちは彼岸。彼岸って死ぬことじゃなくて到達するというのかなあ。だから修行を積み重ねる人達だけには、「フレー! フレー!」って言うんですよ。これ僕の訳なんだけどね。(笑)
峯田 (笑)。「ギャーテー! ギャーテー!」と。
みうら 般若心経って、今風にいうと応援歌っぽい感じがするんですよ。最初はマイナスと取れることばっかり言っておいて、それじゃ救われないんじゃないか? って思わせといて、後半「でもね」を言い出す。あの『イマジン』と同じやり口ですよ。ジョン・レノンは多分これに影響を受けたんだと思うよ。
駐車場で説かれる仏の教え
<13pより>
みうら よく、駐車場のところに「空あり」って書いてあるでしょ。
峯田 見かけますね。
みうら 「空なし」ともあるんですよ。あるけど無いんだよね。無いけどあるように。
峯田 町中で説かれているんですよね。
みうら 釈迦が悟った「空」の思想は全ての問いに答えられることなんですよ。あの方はもう全て分かっちゃったんですよ、ボブ・ディランは「答えは風に吹かれている」と表現しましたが。
峯田 はーなるほど!
みうら ボブ・ディランは、結局答えは風に吹かれているだけで、あるかも知れないし、無いかも知れないって。
仏像も見た目が9割?
<318pより>
はな みうらさんの般若心経の本(『アウトドア般若心経』)。あれは凄かったね。
みうら ありがとうございます。実は般若心経って昔から凄くジョン・レノンの『イマジン』に似てるなって思ってた。
はな え? そうなの?
みうら 『イマジン』は「国境は無い、天国も無い」って言うでしょ? 般若心経も「無い、無い」だから。「色も無い、形も無い」っていうことだから。多分ジョンが釈迦の教えをパクッったとみたね。
はな パクリ? 『イマジン』パクリだったんだ。そっか。みうらさんって阿修羅像の置物持ってますよね? 結構大きいの。
みうら あれは奈良の土産物屋さんで買ったの。パクッてないよ(笑)。
はな ええー!
みうら そろそろ仏像教ってのを作らないとね。
はな いいね!
みうら それを「イマ寺院」って呼ぼうかな。今度はジョン・レノンの『イマジン』をパクッて。
・・・以上!
関連記事:山崎隆之『一度は拝したい奈良の仏像』-阿修羅と金鼓の響き 2009年11月27日
(→すまない。阿修羅の記事だが、みうらじゅん・いとうせいこうの『見仏記』のような面白さはない。)