5月に3週間、久々に帰国をした。随分「久しぶり」という気がしたので調べてみると、その前は1994年12月。1週間だけの慌ただしい帰国だった。7年半振りに踏んだ日本の土ということに気付いて、ちょっと驚いた。その前は随分ちょくちょくと帰っていたのに、何でこんなに長く帰国しなかったのだろう。特に帰りたいとも思わない内に、気が付いてみたら時が過ぎていた、と言うしかない。こちらの生活が色々と忙しかったこともある。この7年半の間に2回も引っ越している。94年当時はモントリオール市内のコンドミニウムだったが、今は南岸ブロサールの一軒家。通勤バスから庭の手入れまで、生活スタイルが大幅に変わる我が人生の激動期であった。
さて日本では家族や友人とも久々に会い、生まれて初めて金沢にも行って「ホタルイカの踊り食い」という恐ろしい料理にも(目を瞑って)挑戦してきた。仕事上の収穫もあり、すこぶる楽しく有意義だったが、カナダに戻る時にトラブルが続出。先ず、帰国便のエア・カナダ機が成田に飛んで来ず(整備上のトラブルとか)、一夜を航空会社提供のホテル(成田)で過ごし、一日遅れて帰路につくことになる。どうせモントリオールでは大学も夏休みだし、一泊余計に日本にいるのもいいか、と鷹揚に構えていたら、バンクーバーからモントリオールまでの乗換え便がこれまたメカニカル・トラブルで急拠別の飛行機に変更。その結果バンクーバー空港での待ち時間が倍となってうんざり。しかしトラブルはまだあった。「2度あることは3度ある」とはよく言ったものである。御丁寧にもモントリオールで荷物が一個出て来なかった。まさにW杯記念、ハットトリック・トラブルの帰国だった。
日本も7年半振りとなるとまさしく今浦島だが、最も印象に残ったことを書いてみよう。前回帰った時には電車の中での携帯電話の話声がうるさかったものだが、今回はそれががらりと変わって驚かされた。当然携帯は(以前にも増して)使っているのだが、異様に静かなのである。見れば画面の大きくなった携帯で、何と電子メールを読んだり、書いたり、送ったりしているのだ。マナーモードと言うらしいが、着信やキー操作にも音を出さない。つまり日本ではとっくにケータイ=電話+パソコンなのである。ある時など自分の向かいの座席に横並びで6人坐っていたが、5名までが親指でピコピコピコとケータイさんだ。そうか。彼等こそ「親指族」と言われる若者たちなのだ。残る一人は、と見ると初老の男性で無惨にも口を開けて寝ている。「どうやらオレはこっちの方か」とガックリ。写真まで撮れる機種もあるし、さらには動画まで送れるものがあるらしい。カナダでそうなる日もいつかは来るだろうが、日本のこの分野でのハイテクぶりは、噂に聞いていた以上のものだった。(ケータイで電子メールが送れてしまうせいだろう。東京でインターネット・カフェを探すのに苦労した)
電子メール現象と関係あるのかも知れないが、聞く所によれば日本では静かな漢字ブームであるらしい。以下は「漢字道楽」(阿辻哲治著:講談社選書メチエ)という本からの情報である。京都に本部をおく日本漢字能力検定試験協会が、毎年3回にわたって漢字の書き取り検定試験(略して「漢検」)を行っているが、平成二年(2000年)度の受験者数を知って驚いた。何と150万人!小学校などでまとめて受験させるのが大きな理由と思われるが、1級から8級までのランクで、合格すると貰える免状を集めるのが子供(と大人)に人気を呼んでいるらしい。同じ年の大学入試センターの共通試験の総受験者数が全国で60万人以下だったというから、これは大変な数だ。(もっとも「漢検」の方は一人何回でも受験出来る)
本来、電話は音声での伝達を可能にしたものである。その電話の発展であるケータイで、今では寧ろ文字を通じて伝達している様子をとても興味深く思った。確かに、電子メールには、いつ送っても迷惑をかけない、記録として残る、瞬時にして多数に発信出来る、編集機能がある、国境がない、料金は一定など大きなメリットがある。時には「さっきのメール読んでくれた?」などと電話で催促する光景も目にして可笑しかった。(それなら最初から電話したら?)今や、文字通信が音声通信に優先される時代が到来(あるいは復活?)したのである。これはかなり衝撃的な時代の波である。常用漢字表などの漢字制限は今後鳴りをひそめるだろう。(日本語ワープロの、いわゆるJISコードは第二水準まで入れると6355字。実に常用漢字の3倍以上である。最早、漢字は判読さえ出来ればいい時代となったのだ)
7年半ぶりの日本。髪の色から新しいファッションなど予想通り色々変わっていたが、やはり日本は自分の祖国、文化的ルーツだと思った。食べ物や自然もそうだが、何と言っても言葉である。心ゆくまで日本語が話せたし、「宇宙人の言葉みたい」と大袈裟に言われる若者の言葉も、難なく理解出来るのを確認して安堵、いや、些か感動してしまった。(2002年6月)
応援のクリック、よろしくお願いいたします。
さて日本では家族や友人とも久々に会い、生まれて初めて金沢にも行って「ホタルイカの踊り食い」という恐ろしい料理にも(目を瞑って)挑戦してきた。仕事上の収穫もあり、すこぶる楽しく有意義だったが、カナダに戻る時にトラブルが続出。先ず、帰国便のエア・カナダ機が成田に飛んで来ず(整備上のトラブルとか)、一夜を航空会社提供のホテル(成田)で過ごし、一日遅れて帰路につくことになる。どうせモントリオールでは大学も夏休みだし、一泊余計に日本にいるのもいいか、と鷹揚に構えていたら、バンクーバーからモントリオールまでの乗換え便がこれまたメカニカル・トラブルで急拠別の飛行機に変更。その結果バンクーバー空港での待ち時間が倍となってうんざり。しかしトラブルはまだあった。「2度あることは3度ある」とはよく言ったものである。御丁寧にもモントリオールで荷物が一個出て来なかった。まさにW杯記念、ハットトリック・トラブルの帰国だった。
日本も7年半振りとなるとまさしく今浦島だが、最も印象に残ったことを書いてみよう。前回帰った時には電車の中での携帯電話の話声がうるさかったものだが、今回はそれががらりと変わって驚かされた。当然携帯は(以前にも増して)使っているのだが、異様に静かなのである。見れば画面の大きくなった携帯で、何と電子メールを読んだり、書いたり、送ったりしているのだ。マナーモードと言うらしいが、着信やキー操作にも音を出さない。つまり日本ではとっくにケータイ=電話+パソコンなのである。ある時など自分の向かいの座席に横並びで6人坐っていたが、5名までが親指でピコピコピコとケータイさんだ。そうか。彼等こそ「親指族」と言われる若者たちなのだ。残る一人は、と見ると初老の男性で無惨にも口を開けて寝ている。「どうやらオレはこっちの方か」とガックリ。写真まで撮れる機種もあるし、さらには動画まで送れるものがあるらしい。カナダでそうなる日もいつかは来るだろうが、日本のこの分野でのハイテクぶりは、噂に聞いていた以上のものだった。(ケータイで電子メールが送れてしまうせいだろう。東京でインターネット・カフェを探すのに苦労した)
電子メール現象と関係あるのかも知れないが、聞く所によれば日本では静かな漢字ブームであるらしい。以下は「漢字道楽」(阿辻哲治著:講談社選書メチエ)という本からの情報である。京都に本部をおく日本漢字能力検定試験協会が、毎年3回にわたって漢字の書き取り検定試験(略して「漢検」)を行っているが、平成二年(2000年)度の受験者数を知って驚いた。何と150万人!小学校などでまとめて受験させるのが大きな理由と思われるが、1級から8級までのランクで、合格すると貰える免状を集めるのが子供(と大人)に人気を呼んでいるらしい。同じ年の大学入試センターの共通試験の総受験者数が全国で60万人以下だったというから、これは大変な数だ。(もっとも「漢検」の方は一人何回でも受験出来る)
本来、電話は音声での伝達を可能にしたものである。その電話の発展であるケータイで、今では寧ろ文字を通じて伝達している様子をとても興味深く思った。確かに、電子メールには、いつ送っても迷惑をかけない、記録として残る、瞬時にして多数に発信出来る、編集機能がある、国境がない、料金は一定など大きなメリットがある。時には「さっきのメール読んでくれた?」などと電話で催促する光景も目にして可笑しかった。(それなら最初から電話したら?)今や、文字通信が音声通信に優先される時代が到来(あるいは復活?)したのである。これはかなり衝撃的な時代の波である。常用漢字表などの漢字制限は今後鳴りをひそめるだろう。(日本語ワープロの、いわゆるJISコードは第二水準まで入れると6355字。実に常用漢字の3倍以上である。最早、漢字は判読さえ出来ればいい時代となったのだ)
7年半ぶりの日本。髪の色から新しいファッションなど予想通り色々変わっていたが、やはり日本は自分の祖国、文化的ルーツだと思った。食べ物や自然もそうだが、何と言っても言葉である。心ゆくまで日本語が話せたし、「宇宙人の言葉みたい」と大袈裟に言われる若者の言葉も、難なく理解出来るのを確認して安堵、いや、些か感動してしまった。(2002年6月)
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でも、どの世代まで通じるかしら・・・・
と、心配にもなりました。
おっしゃる通り、当地モントリオールの日系、日本人コミュニティ紙「モントリオール・ブレテン」にこの記事が最初に載ったとき、数人の方から「あのタイトルは何ですか」と問い合わせがありました。次の18回はそのエピソードが枕になっていますので、このままにしておきました。
もう使われなくなった表現が何と多いことか。言葉は生き物だなあと思うことです。
前回お話しの「窓がすいている」も、昔からあった由緒正しい言い方でしたが、今は勢いを失いましたね。原意は「物の間にすきまが出来ること」で、だからこそ「すき+間」という訳です。源氏物語の「絵合」にも「艶にすきたる沈(じん)の箱」という箇所があります。「お手すきでしたら…」などと今日でも言いますが、これは原意に近いものでしょう。「空腹」の「空」も「から」と言うよりはむしろ「すく」の意味だったと思います。「腹がすく」とはお腹にすき間ができることですから。
この様に「すく」は漢字では普通「空く」と書かれましたので、そこからも「あく」と読まれる傾向があったのかも知れません。今後ともどうぞよろしく。
「すいている」というのは、私にとって、意味はわかるけど、自分ではあまり使わない表現の一つです。私の田舎では「あとぜきがすいとる」(あとぜき=戸を開けた後に閉めた状態、または閉めること。すいとる=開いているというほどではないが、少しスキマがある。)という風につかうのですが、長年、方言と思っていました。
ミリエさん、確か、私よりお若かったはず・・・でした・・・よね?
その語彙の豊富さはいったいどこからくるのでせう??
ミリエさん、「ケータイさんが行くよ」に反応してくださってありがとうございます。
実はこれが、第18回に続くのですが、ミリエさんのような反応が欲しくて、出し惜しみしておりました。