金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第48回 「敬語の落とし穴」

2007-12-04 22:28:37 | 日本語ものがたり
 最近発表された文化庁の国語世論調査によると、「自分の敬語に自信がない」と思っている日本人(成人)は何と4割に達するそうである。5人に2人の割合だから、これは大変な数だ。そんな不安を反映しているのだろうか、日本で本屋さんに行くと敬語に関する本が目白押しに並んでいる。どの本にしようかと立ち読みしている人たちも少なくない。若い会社員は会社で上司に言葉遣いを注意されたのだろうか。高校生は受験対策かも知れない。

 モントリオール大学東アジア研究所の図書館にもそうした「敬語本」が並んでいる。それらを借り出したり日本から取り寄せたりして10冊ほど読んでみた。敬語の歴史や比較文化的な研究など、新たな知識を得た著作も確かにあるが、どちらかと言うと少数で、文法項目の機械的な細分化とそれらの表現暗記を勧めるものが多かった。

 昨年(2006年)には政府の文教政策の一環として設置された「敬語小委員会」の指針案が発表された。その中で最も脚光を浴びたのが敬語を3段階から5段階へと増やすことだったことを知って、私の持っていた印象はさらに強まってしまった。敬語表現がますます細分化複雑化の方向に進むと、その使い方に自信のない人がますます増えるのではないだろうか。

 日本人にさえ難しいのなら外国人学習者はなおさらのことである。日本語教育の現場においても、敬語はしばしば最も学びにくい、教えにくい文法項目と見なされているのは当然かも知れない。多くの教科書が敬語を一番最後に教えるようになっているのもそうした理由だ。現在世界中で最も広く使われている「みんなの日本語」という教科書でも一番最後の49、50課を敬語を当てている。

 以上の状況を踏まえて今回は敬語表現、中でも「文法的には正しいのに実際には使えない敬語」の例を取り上げてみよう。上記の「みんなの日本語」も含め、こうした文は教科書や文法書でほとんど取り上げられていないのが実情なのだ。

 先ずは以下の3つの文をご覧戴きたい。 これらの文は、せっかく敬語表現を使ってはいても、言われた本人は喜ばず、むしろカチンと来る可能性が高そうだ。逆効果というものである。それはどうした訳だろうか。

(1)(客に対してホテルのフロントが)   
「レストランまでの行き方を教えて差し上げます」

(2)(ピアニストに対して弟子が)    
「今日のコンサートはとてもお上手でしたよ」

(3)(日本語をほめられた学習者が)   
「どうもありがとうございます」

 おそらくピンと来るものが読者にはあるのではないだろうか。構文、表現的には全て正しいから、答えは文法にはない。それでは何がいけないかというと、答えは「敬意」の方にある。これらの文のいづれにも話者の敬意があまり感じられないのだ。

 第一に、自分が相手に何かをして上げるという優位な立場からは敬語が表現しにくい。(1)がそうした例で、「教える」という動詞には優位性が含まれている。であるから「教えて差し上げる」であろうが「お教えします」であろうが、言われた方はいい気持ちはしないだろう。あまりに押しつけがましいのである。ここはせいぜい「行き方をお書きします」ぐらいがよさそうだ。

 次に、「評価」という行為だが、これは優位な立場でなければ出来ない。(2)はその例で、弟子がピアニストを、聴衆が講演会の講師を評価するのは、(たとえ絶賛であったとしても)やはり礼を失することになってしまう。「胸が震えました」「大変勉強になりました」 などと言うべき場面である。

  最後の(3)はどうだろう。ほめられた際にそのまま受け入れてしまっては、いかにも「どうだ、すごいだろう」と自慢してしるように聞こえる。たとえ片言の日本語でも日本人は褒めることが多いので、教え子には「心を鬼にして」お礼を言わないように勧めている。「いいえ、まだまだです」などと謙遜すると、日本人はますまその学習者の日本語に一目おくことだろう。  
(2007年11月)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ラジオの朗読番組で取り上げられています (とおりすがりのTBSラジオリスナー)
2007-12-06 18:37:08
はじめまして。
今週、TBSラジオの「ラジオブックス」という番組で
貴殿の「主語を抹殺した男」が取り上げられております。
(12/3から12/7まで)
http://www.tbs.co.jp/radio/radiobooks/

私はこの番組を聴いて、貴殿の本を購入し、
このブログを訪れました。
返信する
Unknown (たき)
2007-12-07 14:41:00
お知らせ下さってありがとうございます。早速連絡を取ってみました。

後日、局の方から録音が送られてくるということですので聴くのを楽しみにしております。

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