正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

防非止悪を意味する戒律の「戒」とは

2005-11-21 | 手引書⑦

 戒定慧の三学にあるのが「戒」です。仏法全般においてあるものです。仏法の中でも最高の三学が三大秘法の御本尊様です。
 世の中に多く知られているのが小乗の戒律が知られています。この戒律では成仏できません。自分自身を害するだけです。インドでは未だに小乗の戒律を持ち、熱心に修行している人がいます。比丘の二百五十戒や比丘尼の五百戒などがあります。現実に私達が行うとなると不可能です。生活を犠牲にしなければいけません。
 権大乗経の「戒」には、「十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)」「四十八軽戒(よんじゅうはちきょうかい)」「十無尽戒(じゅうむじんかい)」があります。小乗の「戒」よりも高度な戒律です。 
 今、末法時代は無戒です。「戒」を実際に持ち修行することは、ある一定の人は出来ても全ての人が行うとなると問題が生じます。そのため無戒であります。無戒という言葉の戒律を日蓮正宗では「金剛宝器戒(こんごうほうきかい)」といいます。日蓮正宗の「戒」であり最高の戒律です。具体的に事細かい「戒」ではありません。現実に即した戒律です。そのために日蓮正宗では、「信心即生活」といわれる由縁があります。生活や仕事場に支障がないように出来ています。それが信心です。「戒」といわれても広い意味があることを知ることです。
 「戒」を持つという本来の意味は、「防非止悪」といわれる非を防ぎ悪を止めるという意味があります。悪いことをしないようにするためのものが「戒」です。世間でも悪いことをしないように法律を設けて、悪いことをすれば罰則を受けたり、刑務所に入ることにもなります。
 仏法におけるところの「戒」は、私達の心の「法律」が「戒」であります。心の「戒」を実行すれば、世間法である法律を犯すことが無くなります。
 日蓮大聖人は「立正安国」を御指南されますが、「戒」を持ち実行することで法律を犯すことが無くなり、「立正安国」の実現に繋がります。日蓮正宗の寺院において、御授戒を受け御本尊様を持つことが「金剛宝器戒」である「戒」を持つことになります。そして信心をし勤行唱題と折伏をすることで「戒」を実行することが出来、心の悪を止めることにもなります。
 日蓮正宗においての「戒」は「本門の戒壇」で、三大秘法の一つです。つまり、御本尊様を御安置するところが戒壇であり、「戒」を持つところになります。世界で清浄で最高な「戒壇」は、富士大石寺に在す本門戒壇の大御本尊様が御安置されるところです。この大御本尊様の意義を具えた、御本尊様を持ち信心するところに「戒壇」という「戒」の意義が自然と具わります。本門戒壇の大御本尊様を忘れては、日蓮大聖人が仰せになる「戒」の意味はありません。
 『三大秘法抄』に、
 「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(御書1595)
と末法に一番相応しい「戒壇」を御教示であります。『日蓮一期弘法付囑書』に、
 「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり」(御書1675)
と仰せであります。日蓮正宗を信心する人は、日蓮大聖人の御指南を心に染めることが大事です。日蓮正宗の戒律は、易しい戒律で生活には一切支障がありません。反対に日蓮正宗の戒を持つことで生活が安定します。