正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

悪鬼入其身とは

2005-11-21 | 手引書④

 時として、人間がする事とは思えない事件があります。まさしくそれが「悪鬼入其身」した姿です。外見は人間であっても、命が人間ではなく地獄・餓鬼・畜生といった三悪道の生命になっています。悪い鬼が人間の身に入ったような言動をとることを「悪鬼入其身」といいます。己心の魔や師子身中の虫が大きく心の中で成長すると、ある日突然に「悪鬼入其身」の生命を露顕します。分かりにくい前兆があり、信心をして勤行唱題に励むところに、人の心の微妙な変化が五感で観じられるようになります。
 「悪鬼入其身」しているのが本人に、ほとんど自覚症状はなく、端から見る人には一目瞭然です。「悪鬼入其身」と併用していわれることが「頭破作七分(ずはさしちぶ)」です。御本尊様を信じないで誹謗し悪口罵詈すると「頭破作七分」という頭が七つに割れたような精神分裂症が起きます。「悪鬼入其身」も同じ様な状態です。
 『御義口伝』に、
 「悪鬼とは法然(ほうねん)・弘法(こうぼう)等是なり。入其身とは国王大臣万民等の事なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者を怨(あだ)むべしと云ふ事なり。鬼とは命を奪ふ者にして奪功徳者(だつくどくしゃ)と云ふなり。法華経は三世諸仏の命根なり。此の経は一切諸菩薩の功徳を納めたる御経なり」(御書1762)
と仰せでありますように、日蓮正宗以外の諸宗は、悪鬼が身に入った邪師が開祖となり宗派を立てているという御指南です。悪鬼は、第六天の魔王の手先であり、利根と通力に長けておりますので、神秘的で幻想的な方法を用いて人々を「悪鬼入其身」した宗教に引き込むこともあります。このような新興宗教が氾濫しています。
 『御講聞書』に、
 「無明の悪酒に酔ふと云ふ事は、弘法・慈覚・智証等、法然等の人々なり。無明の悪酒と云ふ証文は、勧持品に云はく『悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)』是なり。悪鬼と悪酒とは同じ事なり。悪鬼の鬼は第六天の魔王の事なり。悪酒は無明なり、無明即魔王、魔王即無明なり。其身(ごしん)の身とは日本国の謗法の一切衆生なり。入ると呑(の)むとは同じ事なり。此の悪鬼入る人は阿鼻(あび)に入る。さて法華経の行者は、入仏知見道故と見えて仏道に入る。得入無上道とも説けり。相構へ相構へて無明の悪酒を恐るべきなり云云」(御書1854)
と御指南の如く、「悪鬼入其身」するのは無明の悪酒に酔うからであります。つまり、私達の奥に潜む「元品の無明」という根本的な煩悩が私達の心を酔わせ、正しい判断力を狂わせます。「悪鬼入其身」を誘発させる「元品の無明」は信心をしなければ、その存在を完全に罪障消滅させることが出来ません。地道な信心修行で「元品の無明」を「無明即法性」という仏様の悟りに変えることが出来ます。
 『第六十七世日顕上人』は、
 「濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入って、我を罵詈毀辱せん」という文からは、三類の強敵が法華経の修行者を誹謗するところの理由が挙げられます。そして、その大きな理由は「悪鬼入其身」ということで、「悪鬼」には第六天の魔王、乃至その眷属としての魔鬼が存在するわけですが、悪鬼が入ると人間が人間でなくなります」
と仰せです。三類の強敵も「悪鬼入其身」した姿であるということです。「悪鬼入其身」にならないようにするには、正しい信心を持続させることです。心の根本的な迷い、煩悩の根本「元品の無明」を勤行唱題によって菩提へ転じる修行が大事です。