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"bokuttenani - ぼくってなに" هيا بنا إلى الاحلامات

"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

22th. Feb. 2020

2020-02-22 22:38:18 | homo - 人間
どんな時にイライラする
俺はイヤホンのコード自分の膝とかテーブルとかカバンとかに引っかかって耳が引っ張られたりする時と、コーヒーなどの汁物をひっくり返してしまったときは、最強に「きぃーっ!!!!!」って「うきゃー!!!」って叫びたいです。叫んでたけど最近隣に人が越してきたので自粛してる。
(未熟でごめんなさい)

つまり自分の想定してなかったことでつまづいた時とかかな。誰も悪くない。
(むしろ俺が悪い? 悪くはないよね)
後ろからいきなりクラクション鳴らされたりするのも、ほんと、怖いからびっくりするから、スーパーハンマーでその車を叩き壊したい!!!ってのは少し大袈裟だけど、5秒ぐらい、動きとまるから本当きらい。人の大きな声もやだ。怖いし。人の名前を呼ぶのはいいけどさ、呼びつける、のはどうかなー?って思う。自分が行けよって思う。
でも自分が行けない事情があるから、呼ぶのかも。
余裕がなさすぎて「呼びつけて」しまうのかも。

(あー、めんどくせー、人間なんかなら最初からいなきゃいいのに、ってちょっと、思った。でも取り消す。そんな風な極端な考えは、逃げだ。投げ出して楽な方に逃げてるだけだ)

違う世界に来たって思った方がいい。実際に違う世界だ。
経験してきたことが違う、親や教師の振る舞いが違う、気候が違う、言葉が違う、宗教が違う、価値観が違う、思考回路が違う、民族や国籍の多様性が桁違う、

だから、「自分の希望する世界の姿」と違うからってイライラしても仕方がないのだ
自分が望んでわざわざ違う世界に来ただけだ。
(そもそもどこにいても、自分の家でさえ家族の大きな声、特に人を呼びつけるが嫌だったけど)
今ある現実と自分の希望する世界とのギャップの埋め方を知ってるなら埋めればいい、
知らないなら考えたり相談したりすればいい。
周りの人々や生き物の理想の世界と談合しながらね。
そう、話し合う必要がある
それを、平静に淡々とこなすだけ。

それか、もう、他者といちいち話し合ったり調整しあったりしなくていい居場所を
いっそ探してしまいたいけど。

宗教について
なぜ勧誘される?
俺がはっきりと「僕は信徒にならないよ」と言わないからかもな
「私を変えようとしないでください」
「あなたの思う『正しさ』を私に押し付けないでください」
とはっきり言ったほうがいいんだろうな。
でもそれを、怖いと思ってる。

組織は守りすぎてくれなくてもいい
もっと大切なのは
戦いの準備を、訓練をすること
戦いといっても、拳をぶつける戦いじゃないもちろん
問題立ち向かってどのように対処するのか
自分の心の動揺にどのように対処するのか
そういう訓練・心構えが大切

違う世界にやってきたのだから
戸惑うことはたくさんある
2200年から日本にやってきた人はきっと
「ホウ酸ダンゴ」とか「カエルの解剖」とか「牛の搾乳」とか
そういうのをみて
「なんて残酷な、本当にこの人たちは 人間 なのか!?」
と目を疑うかもしれない
(未来人じゃなくてもそのような声を上げる人たちはすでにたくさんいる)

21th. Feb. 2020

2020-02-22 03:33:26 | homo - 人間
(自分は「正し目」なことを言いがちな傾向はあると思うので、
それは、今苦しんでる人を責めるつもりではない、それでも
追い込んでしまうことになるのかもしれない
自分にとって苦しいことから抜け出すための良い道筋が
他の人にとっても良い道筋とは限らない)

今は本当にいい機会なんだと思う。
なんで世界でこんなにたくさんの衝突や紛争がなくならないのか
いじめや差別がなくならないのか

違う世界にやってきて暮らしている今だから、気づくことがある
(もちろん嫌な気分になることはある
それを無理してポジティブな力に変換しようとがんばらなくてもいい)

なんで人は、人の意見や価値観は対立するのか
「多様性最高!」って日本にいる時思ってたけど、
「多様性」や「自由」が美徳じゃない
「統一」「唯一の道」そういうのを絶対的に信奉して他人にも広めることが素晴らしいと思ってる人たちがいる。
「育ってきた環境が違うから」言ってしまえばそうかもしれない。
ともかく、こんなにも人は違う世界を生きている
文字通り異なる体を通して、心を通して
違う世界を見て感じて、違う世界を生きている
価値観はぶつかり合うし、「普通」や「当たり前」がぶつかり合う

嫌なことがあったときに、ただ落ち込んだり怒ったりするんじゃなくて
なんでそんなふうになるのか、理想と現実のギャップあるいは、
自分の理想と他者の理想のギャップ、それを埋めたり解消したりするには
どうしたらいいのか、こちら側からの一方的な提案や解決ではなく、
相互に、みんながハッピーになるための道はあるのか、それを
独りよがりでなくて、話し合いながら考えたり、試したり、
逃げないで。
嫌な気分を適当にごまかしたり、別のことで紛らしてしまわないで。
(でも自分を守るために、そういう晴らし方が必要なこともあると思う)

でも動揺したり、落ち込んだり、怒ったりしなくてもいい
それが出来れば一番いい。
どんな嫌なこと、ネガティブな力が向かってきても、この自分が、それを正面から受け止めて、動揺する必要はないんだ。
理想の状態(それは一人一人違うかもしれないけど)と現実のギャップを埋めるために、どうしたら「良く」なるか考えて、平静に対処したらいい
(これが淡々と行えたらもうお釈迦様かもしれないけど!!)

僕らは同じ世界を感じていない、僕の感じていること、あなたが感じていること
他の色んな人々の感じること
生き物たちの感じる世界もある

雨は空から地に落ちる
ライオンは鹿を追って生肉を喰らう。
鹿は草を食べる。
光は直進する
原子核の周りを電子がグルグル回ることも、
人間が下らないことに楽しみを見出すことも。

「そういう風にできている」

だと思います。
そういう風にできているのだから、それは、どうしようもないこと
良くも悪くもない

でも、みんなが幸せになれるように変わる道があるなら、変わっていけばいいなー、と、思う。そのために自分ができることがあるならやればいい、淡々と。


どんな時にイライラする
俺はイヤホンのコード自分の膝とかテーブルとかカバンとかに引っかかって耳が引っ張られたりする時と、コーヒーなどの汁物をひっくり返してしまったときは、最強に「きぃーっ!!!!!」って「うきゃー!!!」って叫びたいです。叫んでたけど最近隣に人が越してきたので自粛してる。
(未熟でごめんなさい)

つまり自分の想定してなかったことでつまづいた時とかかな。誰も悪くない。
(むしろ俺が悪い? 悪くはないよね)
後ろからいきなりクラクション鳴らされたりするのも、ほんと、怖いからびっくりするから、スーパーハンマーでその車を叩き壊したい!!!ってのは少し大袈裟だけど、5秒ぐらい、動きとまるから本当きらい。人の大きな声もやだ。怖いし。人の名前を呼ぶのはいいけどさ、呼びつける、のはどうかなー?って思う。自分が行けよって思う。
でも自分が行けない事情があるから、呼ぶのかも。
余裕がなさすぎて「呼びつけて」しまうのかも。

(あー、めんどくせー、人間なんかなら最初からいなきゃいいのに、ってちょっと、思った。でも取り消す。そんな風な極端な考えは、逃げだ。投げ出して楽な方に逃げてるだけだ)

違う世界に来たって思った方がいい。実際に違う世界だ。
経験してきたことが違う、親や教師の振る舞いが違う、気候が違う、言葉が違う、宗教が違う、価値観が違う、思考回路が違う、民族や国籍の多様性が桁違う、

だから、「自分の希望する世界の姿」と違うからってイライラしても仕方がないのだ
自分が望んでわざわざ違う世界に来ただけだ。
(そもそもどこにいても、自分の家でさえ家族の大きな声、特に人を呼びつけるが嫌だったけど)
今ある現実と自分の希望する世界とのギャップの埋め方を知ってるなら埋めればいい、
知らないなら考えたり相談したりすればいい。
周りの人々や生き物の理想の世界と談合しながらね。
そう、話し合う必要がある
それを、平静に淡々とこなすだけ。

それか、もう、他者といちいち話し合ったり調整しあったりしなくていい居場所を
いっそ探してしまいたいけど。

宗教について
なぜ勧誘される?
俺がはっきりと「僕は信徒にならないよ」と言わないからかもな
「私を変えようとしないでください」
「あなたの思う『正しさ』を私に押し付けないでください」
とはっきり言ったほうがいいんだろうな。
でもそれを、怖いと思ってる。

組織は守りすぎてくれなくてもいい
もっと大切なのは
戦いの準備を、訓練をすること
戦いといっても、拳をぶつける戦いじゃないもちろん
問題立ち向かってどのように対処するのか
自分の心の動揺にどのように対処するのか
そういう訓練・心構えが大切

違う世界にやってきたのだから
戸惑うことはたくさんある
2200年から日本にやってきた人はきっと
「ホウ酸ダンゴ」とか「カエルの解剖」とか「牛の搾乳」とか
そういうのをみて
「なんて残酷な、本当にこの人たちは 人間 なのか!?」
と目を疑うかもしれない
(未来人じゃなくてもそのような声を上げる人たちはすでにたくさんいる)

大人になったからって

2020-02-19 02:09:39 | homo - 人間
大人になったからって

わからなかったことが
わかるようになったわけでもなく

わかったつもりになって
とりあえず進む

ってことを覚えたぐらいだけど
前か後ろか上かしたかもわかんないけど

とりあえず動く

4つの偏見(ベーコンの4つのイドラ) 自分の場合

2020-02-19 00:58:37 | homo - 人間
フランシス=ベーコンの4つのイドラ(偏見)という、とても耳の痛くて有難い話を、自分の具体例で書いてみました!
耳が痛い! = 有難い!


種族(自然性質)のイドラ:
(人間であることによる)物理的な制約から来る偏見
視覚による情報に頼りすぎて、目に見えるもの、もっと言ったら今見えている世界が全てだと思ってしまう。自分が見ていなくて他人が見ている光景を想定できない。自分が持っていて他人が持っていない情報を想定せずに話したり行動したりしてしまう。あと暗黒物質・暗黒エネルギーを想定できてない。

テレパシーが発展して、人間同士で感覚やイメージを共有できるようになったら、この偏見は小さくなるかも!

洞窟(個人経験)のイドラ:
個人の限られた体験から誤った類推・妄想をしてしまう偏見

自分が今日出会った人がたまたま意地悪だったからって、やりきれなくて「あーもうみんなみんな大嫌いだー!」ってなっちゃう。

ちょっと、落ち着いて、自分の大好きな人たちのことを思い出したら、治まるかも!
テレパシーが発展して「意地悪」だと思った人の本当の気持ちを共感できたら治まるかも!

市場(伝聞)のイドラ:
人から聞いた話をそのまま受け取ったり、誤解・妄想して解釈することから来る偏見
誰かが出会った嫌な経験を伝え聞いて、実際にどれほどのことだったのかを体験したわけでもないのに、「あーそれはなんて酷い話だ!酷いことだ!」って、無闇に怒ったり動揺したりしてしまう。

テレパシーが発展して、話の元になった体験を共有できたら治まるかも!

劇場(権威)のイドラ:
「偉い」人、自分が溺愛している人の言葉をそのまま信奉してしまう偏見

(権威とちょっと違うけど)アインシュタインとか忌野清志郎とかの言うことだったら無条件で信仰しちゃう。内容を自分で吟味しないで、無条件で溺愛しちゃう。

忌野清志郎もスキャットマンジョンもシュヴァイツァーも大好きなで、無条件で溺愛しちゃうので、これは治まらないかも!


=====

テレパシーが発展しなくても、深呼吸して、落ち着いて、空を見上げたり、静かに坐ったり、みんな一人一人それぞれにそれぞれの生と体験と感覚があるんだって思ったり、自分を大事にしすぎることをちょっとやめてみたり、自分にこだわり過ぎることをちょっとやめてみたり、膨張し続ける宇宙を想ったり、宇宙から見える地球を想像してこの広大な闇の中のほんの小さな青い星むしろ小さ過ぎるその一点の上でみんなわちゃわちゃやってるんだとか想ってみたり、床に寝っ転がって気持ちの良い方向に「うーん・・・・」て好き勝手に体を伸ばしてみたり、お風呂に入ってまったりしたり「あー」ってオペラごっこしたりしてら・・・・・

治まるかも!


======= ======= =======


ベーコンの4つのイドラと自分の場合でした。
倫理の資料集に載ってたけど、あまりに耳が痛くて、つまり有り難かったのでなんとなく覚えてる。

何時でも何処でも「全てが見えているわけではない」「私は全能ではない」「そもそも、僕らみんな、仕組みも使い方もよくわかってない脳や体というハイパースペックだけど謎のスーパーデバイスで走り続けるデンジャラスドライバーなんだ!」とかって、想ってみることは大切だと思う。

======= ======= =======
倫理の資料集には他にも今でもずっと心の師匠の 山田かまちさん とか、5分前宇宙創造説のバートランド=ラッセルさんとか そのラッセルさんの周りをぐるぐる歩き回って「僕はもうすぐ自殺します自殺します」って呟き続け「今まで何千年も前からみんなで『無』とか『人生の外側(死後)』とか『世界を作っている要素は究極的には一体何なのだ(世界の仕組みではなくて)』とか色々考えて話し合ってきたけどそもそも言葉で表現できないものについては哲学の議論の領域じゃないよね!!」ってばばばバッサリと切り捨てたルートヴィヒ=ウィトゲンシュタイン天才とか 「死に至る病 それは絶望である」そしてなんで婚約を破棄しちゃっったの?のセーレン=キルケゴールさんとか偉大な先輩たちの逸話がたくさん載ってて本当に面白かった。

毎朝同じ時間に正確に散歩しすぎて時計がわりになっちゃうカント先輩、粘菌とかマニアックな研究しまくった南方熊楠博物学先輩、「ナポレオン=ボナパルトは馬に乗って走る世界精神なのだ!」そして偉大な偉大な弁証法 テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ(命題とその否定とそれらの交歓による昇華)を提唱して今でもきっと出来るビジネスパーソンたちの大いなる武器の一つである弁証法を発明(発見?)したフリードリヒ=ヘーゲル先輩、そしてそして、「なんて過酷なのだ人生とは よしもう一度生きようではないか」偉大なるニヒリズム(虚無主義・無意味主義)のフリードリヒ=ニーチェ先輩

===== ===== ==== ==== =====
僕も思います。目標のある人生・存在意義を生々と感じる人生は充実して素晴らしいと思います。しかし、目的も目標も存在意義もわからない、というかそんなのなくていいけど、それでも、生きている、今この一瞬を大切に、生きていることの全てを大切に感じて生きることに充実する生は素晴らしいと思います。

判断しないこと・思考を一旦止めてみること

2020-02-15 15:31:36 | homo - 人間
僕も「科学」を信仰してる様なものけどね
自分で確かめたわけでも考え出したわけでもないのに
ビッグバンとか素粒子理論とか信じてる
ダークマターとか観測者問題とかに信憑性を感じてる



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なにも確定させず
なんの 拠り所 もなく
どんな目的地もなく
前も後ろも上も下も
なにもない世界を

ふわふわ生きていけたら
それが 自由 
そんな気がしますが
それは
怖いだろうな
そんなに強くないな

自由じゃなくても
いいんだけど
平和ならば
幸せならば





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同族嫌悪ということばがあるけれど
「僕が僕が!」
「なんで僕にくれないの!?」
っていう、こんなにも「自分が自分が」って主張する子供のことを
疎ましくて憎たらしく思うのは
自分の幼稚な部分をそのままそっくり見ているからかなー

こんなにもストレートに他人や世界のことなんて一切差し置いて、眼中にもなく
「自分が自分が!!」
って、素直に言える人たちのことを羨んでいるのかもしれない

======== ======== ========

すごい「わがまま!」に見える人や
乱暴な運転をしたり
大声で何かを叫んだり人を呼んだり
自分が呼びに行かずにその場でただひたすら名前を呼んで「早く来て!」ってどなったりする先生たちとか

そういうのに出会うと凄く嫌な気分になって
「なんて粗雑で我がままで身勝手な人たちなんだろう?
 世界はあんたを中心に回ってないよ」
ぐらい言いたくもなっちゃうんだけど

きっとその人なりの事情があるんだろな
急いでる理由
その場を離れられない理由
大きな声で誰かを呼んでいる理由

みんな自分が育った環境や時代やいろんなものに影響されて
自分が形作られている
私が育った時間とあなたが育った時間は違う
私が見ている世界とあなたが見ている世界は違う