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"bokuttenani - ぼくってなに" هيا بنا إلى الاحلامات

"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

「無知の知」

2020-04-01 07:18:40 | homo - 人間

自分の知識の範囲で・理解の及ぶ範囲で・能力の範囲で 物事を 考え解釈し判断し、「自分にとっての」正しさと誤りを自分の中に作り出す。(無意識のうちにやってることかも)。それを基準にして他者を評価・排除・攻撃するということは何て恐ろしいことなんだろうと思う。人間がずっとやってきたことだと思うけど。自分が怖い。。。。 自分が知っていることは自分が知っていることだけなのに。自分が見ているものは自分が見ているものだけなのに。そして同じ一つの対象に対してでも、知ることも見ることも、あり方は一つではない。
じぶんじぶんじぶんじぶん・・・・ ========= ====== 森の中に逃げ込みたい! それは人間関係において努力することからの逃避かもは知れませんが。 ========= ======
本はいつも借りすぎ、まだ「セミくじらのぬけがら」しか読んでない
この本のイラストを描いてる 「コマツシンヤ」さんのオリジナル漫画もめっちゃおすすめ。優しくて可愛くてファンタジーで素敵。

「動物」にはして良くて、「人間」にはしちゃだめ?

2020-03-11 23:16:24 | homo - 人間
すごく単純で簡単なことで
戦争や暴力や差別が憎いと思ったら、
肉を買ったり、毛皮を買ったり、本皮の三線を買ったりするのをやめればいいんじゃないかと、思ったりもする。
それが出来たら、人間同士の暴力だって無くなるかなー。
俺は全然出来てないですが。

「命に感謝していただく」とは言っても
鳥や獣の肉に対して言える人も
人間の肉に対してはそんなこと言えないと思うけど。

引かれると思うから普段こんなこと言わないけど
普段からそういうことを考えている者です、私は。

自分もだから、傷つけまくり踏みにじりまくって生きているけど。



「肌の色や瞳の色が違っても、障害があっても、みんな同じ人間です」

?????

姿形は違う、食べるものも生活のスタイルも全然違うけど
ぼくらみんな同じ「動物」だよね、「いきもの」だよね

分かり合えなくても共存できる

2020-02-28 19:17:51 | homo - 人間
平和共存するために必要なことは理解し合うことではなくて、
理解し合うことができなくとも、
平和共存する、その努力をすること

わからないものを憎んだり傷つけたり攻撃したりしないで
平和共存する努力をすること

傷つけられた時は

2020-02-27 23:37:39 | homo - 人間
自分を傷つけられるのは自分だけかもしれないけれど
どうかな。わからないな。

嫌な目にあった時の対処方法は色々あります。
中には自分に対して有害なものもあると思われるけど。


・相手を憐む
これはちょっと有害。自分を傷つける者がいったら、人を傷つけるような下らないことにしか喜びを見出すことが出来ない哀れな存在であることを憐みましょう。だけど、自分が物事を極端に解釈することを助長することにもなるので注意。



・ただ平坦な心でいる。
雨に怒っても仕方ないだろう。強風に怒っても仕方ないだろう。宇宙線に怒っても仕方ないだろう。そういう風に出来ているものは、そういう風にしかならないのだから、反応しない、動揺しない。ただ平坦でいる。「ああこういうことが起こったんだな」ってただ、無感動に観測する。雨は地に落ちるし、月は地球の周りを周る、磁力も電力も流れがある。そういう風に出来ている。



・想像する
生まれ育った環境というものがる。
いま私はこちらにいて、いま彼はあちらにいる。私だってあちら側で生まれて育っていたら、きっと彼のように振る舞っていると思う。大きい人たちが自分を叱る言葉や条件も、自分を褒める言葉や条件も周りにいる人々が大事にしているものも、気温や湿度や食べ物や土壌環境も全部違った。それは彼から私をみても同じこと。抗えないものがある。抗えたならば抗ってもいただろう。抗うことが出来たのに抗わなかったのならば、つまりそれが出来なかったんだろう。だから憎んでもしょうがない。見ている世界が違う、感じている世界が違う、言葉の意味が違う、世界の解釈が違う、使ってる物差しが全然違う。もっと「良い」状態があると思うのならば、現実からその良い状態へと至る道を階段を探して築いて辿り着くように試みればいい。だけど私が「良い!」と思った世界を彼も「良い!」と思うかはわからないけれど。

自分の体験を偏った「意味」「物語」の色眼鏡で解釈してること

2020-02-27 04:00:03 | homo - 人間
辛いものは辛いとして、「マイノリティ」の辛さを身をもって体験できる貴重な機会であることは確かだから、それは忘れずにいよう。普段自分が知らずに、または知らないふりをして踏みにじっているものがある、ということ。または例えば色眼鏡で自分の体験をフィルターしてみてしまうこと(偏った意味や物語を自分の体験に適用して解釈したり。この場合は「マイノリティーである」という物語。「○○人は嫌い」という物語)。それが日本で一番社会還元できることかも。