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"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

形のないものについて考えるのは楽しいな!

2019-11-30 17:57:59 | mundus - world - 世界
3文字語幹 فعل = ف، ع، ل の場合
動詞の派生型と分詞・動名詞

0 فعل، فاعل، مفعول
، فعل، فعلة، مفعل، مفعلة، فعالة، فعيل، فعول،

1 فععل، مفععل، تفعيل \ تفعلة،
2 تفعل، متفععل، تفععل،
3 فاعل، مفاعل، مفاعلة \ فعال
4 تفاعل،متفاعل، تفاعل،
5 أفعل، مفعل، إفعال،
6 انفعل، منفعل، انفعال،
7 افتعل، مفتعل، افتعال،
8 افعلل، مفعلل، افعلال
9 استفعل، مستفعل، استفعال

あと、2文字語幹、4文字語幹の言葉もある、ちょっとパターンがかわる

DNAみたいだ
文字1文字1文字にいみはない
3文字セット(2文字セット・4文字セット)で初めて意味を持つ

最初は、一つの文章のなかで、どれが動詞でどれが形容詞かもわからず、どの単語がどの単語とどのように作用してるのかその関係が全然意味不明だったけど、10の派生型と分詞・動名詞などのパターンを把握しとくと、だいぶ見通しが良くなる。文字は1文字1文字対等じゃなくて、文法上の機能を担う文字と、単語そのものの意味(語幹)を担う文字があるから


アラビア語はとても複雑だとか思いそうだが
日本語も相当クレイジーな言語だ 笑
漢字1文字の中にすでに物語がある

言葉に限らないけど学習に必要なことは
「理解」よりも「慣れ」のような気がする
自分がそのシステムにどれだけ馴染むか
そのシステムが自分の中にどれだけ馴染むか

言葉は例えば言語同士の翻訳・変換は厳密には正確じゃない
(でもとっかかりにはなる。あとで体験を通して言葉の意味を確かめ修得するための)
言葉は事象・物語・感覚・感情などの体験を表すものだから(と思う)その言葉が具体的にどのようなシチュエーションでどのような体験の中で使われているのか、色んな色んな具体的な場面のなかからその言葉が表す抽象的な本質、エッセンスを感じ取っていく。机の上で学んだことは体験を通して確かめればいいだけだ。

日本人同士だって本当にある言葉を同じ意味で使っているかは疑わしい。実際に共通認識を得られておらず異なった意味で使われている言葉もいっぱいある。

言語における「間違い」とは何か
いつのまにか「辞書」のルールの世界に閉じ込められて生きている
いつのまにか「法律」のルールの世界に閉じ込められて生きているのと同じように
(いや法律様には多大に守ってもらっておりますが)

まあでも「人間」「日本人」であることを押し付けられてるからね
「パスポート」がないと地球上を自由に移動できない世の中だからね
(それで守られておりますから、有難いことだから)

言葉と心:表面と内面:表れる言動と心情の対応人それぞれ違う

2019-11-09 17:44:40 | homo - 人間
人に何か言われた時に凄く、嫌な気分になったり、凄く怒ってしまうことは自分はよくあるんだけど、それは、その言葉を使うときの自分の心境や状況を相手に当てはめて想像しちゃってるからではないかと。

自分がいま例えば誰かに「中指を立てる」としたら(そんなことしないけど!)それは相当な状況・心境なわけで、だから自分が「中指を立てられた!」時に相手がそういう心境・状況になってるんじゃないかって、思っちゃう?感じちゃう?けど、相手はもっと軽はずみだったりする。

表に現れる言葉や行動・仕草・表情と心の奥で感じている思考や感情は各人の間で一致してない。当たり前だけど。人それぞれ。(こんな易しそうで難しいことをを理解して実践して振る舞えたら「えらい!」大人たちの無益な争いも減るのではないかと) 「中指を立てた!」(しないけど!)時の俺の心情と、近所の悪ガキ!(ごめん)の心情は違う。どんな気持ちかは知らんけど! ================
でもごめんなさい。ぼくも小学生の時にバスの中から外を歩いている外国人に中指を立ててしまいました。その人はめっちゃ怒っていたので、こんなことはもう2度とすまい、と、思った。そして申し訳ない。その時のクソガキ(私)の心情は、漫画で読んだか友達がやってるの見たかはわすれたけど、ちょっと「やってみたかった」だけ。ごめんなさい。公園でデートしてるカップルに遠くからなんか叫んで逃げたりもしていたごめんなさい(なにを叫んだかは覚えてない)。「ふぁっきゅー」とかも友達同士で言ってたし、友達じゃない人にも言ってたかも知れない。それはなんか外国語の響きが面白かっただけな気もする。ごめんなさい。

想像以上に、度を越して馬鹿だった(というか、空っぽ?。なんも考えてない?わけでもない。なんか、「カッコいい!」とか思ってた。やっぱり馬鹿だ。休み時間の度に繰り返される戦闘ごっこは、髪の毛掴まれても、太もも蹴られてめっちゃ痛くても止むことはなかったですが、ある時、思ったよりも軽かった友達を投げ倒してしまって、顔面から床に激突させてしまった時に、「もうこんな恐ろしいことはやめよう」と思った気もする。 ======================
あと空気銃でチームに別れて撃ち合うやつとか、ジャンケンで負けた子から、前面にでて、一列に後ろ向きで並んで、ボール蹴りつけるやつとか。なんでそんなことしてた。それは、怖いガキ大将みたいな奴がいて、誘いを断れなかったからかも。子供の世界は恐ろしい。大人だけじゃなくて、自分の力ではどうにもならない、謎の、未知の、無気味な力がいっぱいある。
話がとても逸れました。。。 ====================== あと自分はもう一個気をつけたい。嫌なことがあった時に「この人たちに期待しても甲斐がない」って必要以上に、決めつけて心を閉ざしてしまうことがある。それは自分の心を守ためではあるけど、やりすぎだ、やっぱり。事実、というか、現実、起こる事を脚色せずに、素直に受け入れることもそれではできなくなってしまう。変な色眼鏡で、ネガティブな設定で物事を解釈してしまう。それは寂しい。

だからなにが怒っても、平静に!穏やかに! 動揺せずに受け流すというか、反応しないというか、したいけど、むずかしいけど。 =================
怒っちゃうけど。へこんじゃうけど。
ぼちぼちで!