2006-2015 ひねくれた日常

資本主義の欲望にまみれた日常生活はとても楽しい。いつまで楽しく暮らせるのだろう?いつまでも楽しく暮らすために考えよう。

学級崩壊の全体像

2006年12月03日 | Weblog
昨日は、具体的な現場のことでした。

今日は、今まで考えていて全体的に分かったことを書いてみようと思います。

これは、6年生のクラスの見て感じたことなので、低学年は違うと思いますが、

実は、最近になって隣のクラスも荒れはじめました。

荒れている子ども達を見て、「同じだ」と思ったことがあります。

荒れる子どもは、やはり3,4人です。クラスの1割から2割。

そして、一貫して荒れる子どもではない、時々調子を合わせる子が1,2人。

他の子どもは、荒れません。きっと、どんな先生でも荒れないのだと思います。

荒れる子は、どんな子かと言うと、ずば抜けて運動ができる子です。隣のクラスが荒れはじめて、あまりの荒れる子の人物像に共通性があることに驚きました。

公立の小学校ですから、地域からランダムに集まっています。何のフィルターもかかっていません。

もしかしたら、どこかの小学校のクラスが荒れた場合、荒れる子どもは、運動がすごくできる子で、クラスに15パーセントくらいいるのではないかと思ってしまいます。

この子達は、意欲があって、能力も高い。優れた子どもと言っていいのではないかと思います。

普通だったら、クラスのリーダーになって、皆に尊敬されるかもしれないのに。

暴れて、騒いで、毎日怒られています。どうしてこんなことになってしまったんでしょう?



ここで、、私が今まで、ネットで調べて分かったことですが、

学級崩壊は、はじめて確認されたのは1993年、か1994年のことだそうです。

今から12年くらい前です。

その前は無かったとすると、学校の何がその前と後で変わったのでしょう。

そのころ、土曜日は、隔週の休みだったと思います。それがだんだん土曜は休みと言う風に変わってきたころです。

ゆとり教育が言われ始めたのだと思います。

あと、そのころは、うちでは長男が小学校に通っていたのですが、あるとき、工作がよくできたということで、展覧会に出してもらえると言うことがありました。

そのときのことはよく覚えているのですが、「展覧会に出品します」というお知らせをもらっただけで、特に特別な賞のようなものは無かったのです。

私が子どものころは、よくできたものがあったりすると、全学年の会のときに賞状をもらったりして、かなりの晴れがましさがあったものです。

運動会などは、1等の子はノートをもらい、2等のこは鉛筆をもらうと言う風でした。運動の得意な子はスターでした。ノートや、鉛筆をたくさんもらっていました。

そして、みんなが必死に走っていました。

今どきの学校はは、子どもに優劣をつけないようにしていると聞いたことがあるので、良くても、悪くても平らなんだ。と思ったことでした。

子どもは、何かで頑張ったときには認めてもらいたいのではないでしょうか?

そうでなくても、叫びたいくらいに認めて欲しいのではないでしょうか?

こんなにすごいのに、頑張っているのに、何で認めてくれないんだ。と思っている気がするんです。

もちろん、子どもにははっきり言葉にできないと思うのですが、そんな気がします。

運動がずば抜けてできる子は、負けず嫌いで競争意識が強いと思うので、ある意味攻撃性も強いのではないでしょうか。

だから、ほんの何人かの子どもの言動でに、クラスは簡単に崩れてしまう。

だから先生は、何人かの強い子ども達と心を通わせられなかったら、クラスは荒れてしまうかもしれないと思うのです。

ベテランも新人も関係ないかもしれないと思うのです。


学級崩壊とは、ほんの2,3人の子どもに、クラス全部が1年間振り回される現象を言うのだと言っていいと思います。



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