2006-2015 ひねくれた日常

資本主義の欲望にまみれた日常生活はとても楽しい。いつまで楽しく暮らせるのだろう?いつまでも楽しく暮らすために考えよう。

和歌の時代 勉強の時代

2007年09月03日 | Weblog
貴族と言うのは、庶民から税を徴収して政治をするのが仕事でした。

そして、特権階級なのでとても贅沢な暮らしをしていました。

それから、芸術、文化の発展にも尽くしたと思います。

道楽にうつつを抜かしただけだったかもしれませんが。

苦しい下々の暮らしに比べたら極楽です。

貴族ですから、戦争に行って戦ったりしません。

陰惨な後継者争いは熾烈を極めたみたいですが。

戦ったりしない集団は、何で競争するかと言えば教養なのですね。

平安時代は戦いの時代ではなかったので、喧嘩が強くて乱暴な人はあまり出番がなかったかもしれません。

そのかわり、頭がよくて、話が上手な人などはもてはやされたのではないでしょうか。

特に、和歌は重要な教養だったみたいです。

今でも百人一首は有名ですが、平安時代は他にも色々な歌集が編纂されたり、特に上手な歌人が選ばれたり、すごい力の入れようです。

歌の内容はというと、子供用の「漫画で学ぶ百人一首」という本の受け売りですが、恋の歌が圧倒的に多いです。

「あなたが来ると言うから待っていたのにこないのね。待っているうちに朝になっちゃったじゃない!」

とか、

「あなたを恋し始めたばかりなのに、もううわさになっている」

とか、歌の内容ははどうでもいいようなことばかりです。

平安時代の貴族って、一日の大半をそういう考え事に浸かっていたんでしょうか?

そういうことを、和歌でいかにうまく表現できるかを競ったんですね。

でも、そういう価値の時代なら、当時の人は必死に勉強したのだと思います。


それから、年月は流れて、武士の時代もありました。

いまは、民主主義の世の中になり、貴族はいなくなりました。

昔、贅沢をしていたのは貴族だけでしたが、今は民主主義になり、庶民が贅沢をできるようになりました。

贅沢はしていないと思っているかもしれませんが、子どもが働かないで勉強したり、音楽を習ったり、絵を描いたり、スポーツを習ったりするのは、昔は貴族だけに許されていることでした。

今の日本の庶民は、昔の貴族よりおいしいものを食べて、文化活動をして、旅行に行って、と、いい暮らしをしているのです。

みんながやっているので当たり前になっているのです。

それで、幸せなことに日本は戦争もしていない。

戦わなくてよいのです。

だから、日本の庶民は戦わない集団なのです。

戦わない集団でも、集団と言うものは順位付けをするために競争をするのですが、何で競争するのがよいでしょう?

勉強です。

平安時代、和歌が上手だと社会生活に有利でした。

同じように、今は勉強ができると社会生活に有利になるシステムです。

平和な時代は勉強の時代。

力の弱い道徳的で小心な人も、勉強すれば認められる時代なのです。

いったん戦いの時代になれば、勉強どころではないはずです。

体を鍛えてお国の為に戦うのだ!!!

と言われます。

そのときは、力が強くて、乱暴ができたほうが役に立つのです。

今の日本は勉強に価値が偏りすぎていはしないでしょうか。

平和になりすぎているのでしょうか?

何事も程よくないと、どこかに不満がたまりますね。

日本には不満な人が増えてきていないでしょうか?

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