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獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その47

2024-12-20 01:30:19 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 □変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 ■山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

山本譲司さんインタビュー

(つづきです)

――累犯障害者の問題について、今はどのような活動をしているのか。

出所後しばらくは、ゼロから福祉の勉強をやり直そうと、知的障害者の入所施設で支援スタッフとして働いていた。重度の障害がある人への生活介助だ。もちろんそれとは別に、 触法障害者といわれる人への支援活動にも取り組んだ。
現在は、2つのPFI刑務所(民間のノウハウを活用した刑務所)で、アドバイザーとして運営に携わっている。いずれも障害のある受刑者を収容する「特化ユニット」というものを設けており、主に私は、彼らに対する福祉的な視点での日常処遇や社会復帰支援に関わっている。
また「東京都更生保護就労支援事業者機構」というNPO法人の役員も務めている。しかし、すぐに一般就労というわけにはいかない人も多く、そこで4年前に、「ライフサポートネットワーク」というNPO法人を作り、就労のみならず、出所者を医療や福祉につなぐ活動もしている。さらには出所後の地域生活も含めずっとフォローできるよう「同歩会」という更生保護法人も設立した。ここではこれまでホームレス支援に取り組んでいた人がスタッフとなり、単に就労や福祉につなぐだけではなく、その後の地域生活支援を活動の中心に据えている。

――南高愛隣会は「入り口支援」として地域社会内訓練事業の制度化を求めている。山本さんは就労支援など「出口支援」に力を入れているようだが、考え方に違いはあるのか。

入り口が変われば出口も変わる、出口が変われば入り口も変わるのだろうから、やろうとしていることに大きな違いはないと思う。特に南高愛隣会が取り組んでいる「入り口支援」は、結果的に刑務所への入所者を減らすことになるから、重要な試みだととらえている。
ただしそこは、あくまでもトレーニングセンターやシェルター的な位置付けにとどめるべきで、絶対に福祉施設を終の棲家にしてはいけない。そうした歯止めがしっかりしていないと「危ない障害者はずっとそこに入れておけばいい」という短絡的かつ本末転倒な話になる。刑務所ではないものの、また別の隔離施設に行くことになるのではまったく意味がない。
私も今、PFI刑務所の中で同じような訓練事業をしているが、いつもジレンマを抱えている。いくらいろいろなトレーニングや回復プログラムを実施しようと、やはり社会の中でやらないと、身につけたスキルを試すことができないという点だ。それでも、より社会生活を送りやすくなるようにとさまざまなメニューを取り入れ、彼らへの社会復帰支援をしている。その成果は今後、綿密に検証しなければならないだろうし、有効だと判断できたプログラムは、福祉の場でもどんどん活用してほしい。だが、そうした訓練の場をつくることは、決して最終目的ではなく、社会生活を送るためのスタートの場にすぎないという意識を常に持っておかなければならない。大切なのは、彼らを支援者の言うことを聞く人に変えるのではなく、彼らが生き甲斐を持って社会生活を送れるように支援していくことにある。
いずれにせよ必要とされるのは、福祉全体の改革だ。さらに言えばこれは単に福祉や矯正施設の問題ではなく、この国全体の在り方が問われている問題なのだ。ちょっと異様なことを言ったり、突飛な行動を取ったりする人を、いとも簡単に切り捨てる世の中でいいのか、という問い掛けだ。「KY」という言葉に象徴されるように、日本社会は今、異質と思えるような人をすぐにエクスクルージョン(排除)してしまう、そんな風潮に覆われているのではないか。障害者の地域移行と言いながら、世の中全体の意識としては、むしろ隔離する方向に動いているのではないか。こうした流れを非常に危惧している。本来なら福祉は、それに真っ向から異議を唱えていくべきだ。
おそらく知的障害者、それに発達障害の人も加えると、その人数は、全人口の1割以上になると思われる。社会や他人と折り合いをつけることが苦手な人だ。しかし必ずしも、社会生活を営めない人ばかりではない。いや、ほとんどの人は働くこともできる。にもかかわらず、現在わが国では、障害者手帳を持っている人の中でも、ちゃんと仕事に就いているのは、十数パーセントにすぎない。要するに、「障害者は障害者年金や生活保護を受けさせておけばいい」という発想で、結局は、障害のある人を社会の外に追いやってしまっている。先進国の中で、こんな国はないのではないか。果たしてそれが国全体にとってプラスになるのだろうか。障害者であろうと、やり甲斐があり、かつ社会にとって有用な仕事はたくさんあると思う。しかし、障害のある人の職場は、なかなか見つからないのが現実だ。
これは福祉にも大きな責任がある。福祉自体が率先して隔離政策をして障害者を施設の中に囲い続けてきたのだから。

(つづく)


解説

いずれにせよ必要とされるのは、福祉全体の改革だ。さらに言えばこれは単に福祉や矯正施設の問題ではなく、この国全体の在り方が問われている問題なのだ。ちょっと異様なことを言ったり、突飛な行動を取ったりする人を、いとも簡単に切り捨てる世の中でいいのか、という問い掛けだ。

重要な指摘だと思います。

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その46

2024-12-19 01:46:08 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 □変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 ■山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

山本譲司さんインタビュー

――ここ数年で累犯障害者に対する社会の支援が進んだように映る。『獄窓記』でこの問題を初めて社会に問うた者として、この変化をどのように見ているのか。

この問題はまだ緒に就いたばかりだ。とはいえ隔世の感がある。2003年の12月に『獄窓記』を出版したが、当時は、福祉関係者や障害者団体から猛烈な抗議を受けた。「被害者になる障害者のことならいざ知らず、加害者となる障害者のことを取り上げるとは何事か」という批判だ。さらには06年、『累犯障害者』を出版したときには、「とにかく、その題名がけしからん」「障害者は罪を犯しやすいと思われてしまう」など、まさに非難の嵐だった。「障害者への誤解や偏見を助長しかねない人権問題であり、あなたには福祉を語る資格はない」という言葉すら突き付けられた。
しかし、それでもこの問題を取り上げることをやめなかった。その原点は、言うまでもなく自分自身の受刑経験だ。01年から02年までの服役期間、私は多くの障害者の人と寝食をともにする中で、日々反省させられた。議員在職中、「障害者福祉の問題についてはライフワークとして取り組んでいる」と自負していたものの、本当のところ、福祉の現実がまったく見えていなかったことを思い知らされた。
彼ら障害のある受刑者は、福祉が機能していれば、あるいはきちんとした居場所があれば、刑事司法の世話になる人ではなかった。多くのケースは軽微な罪であるだけに、福祉関係者や家族としっかりとつながっていることが分かれば、たぶん警察も、彼らを立件しようとすら思わなかったのではないか。そんな人ばかりだった。
刑事司法で裁かれる障害者となると、どうしてもモンスター的なイメージがつきまとうが、決してそうではない。彼らの場合は、矯正施設が居場所をつくってあげないとまた同じ事を繰り返す、もっと言えば、「このまま社会にいても食べていけない、生きていけない」という、そんな生存権に関わる問題を抱えている人がほとんどだ。 本人たちからすれば、刑務所という場所への「避難」である。社会にいたときは厄介者扱いされ、虐待やネグレクトを受け、「変わり者」「生産性がない」などと言われ差別され続けてきた。そういう人がたくさん刑務所に保護されている。それが塀の中の実態だ。
私自身、服役するときは、刑務所の中にはどんな悪党がいるのかと戦々恐々としていたが、実際は障害のある人であふれていた。刑務所が福祉の代替施設になってしまっていたのだ。『獄窓記』や『累犯障害者』を出版するたび、福祉関係者から「まずは被害者になる障害者のことを書きなさい」と言われたが、もしかしたら彼ら塀の中の障害者は、「社会に居場所がないがゆえに受刑者に成り果ててしまった」という意味で、世の中における最大の被害者かもしれない。社会からもっとも排除される人たちだ。
そこで、ここに焦点を当てて考えれば、福祉のさまざまな問題点が見えてくるのではないかと思い、この問題を訴え始めた。すると、すぐに田島良昭さんという福祉のオーソリティーが現れ、この問題を理解してもらい、動き出してくれた。04年の春ごろのことだ。それでも福祉全体としては、厚労省も含め、しばらくは様子見といった状況だった。一方で同じ行政機関でも、法務省は、もっと切実な問題としてとらえていたように思う。「果たして、こういう人たちを刑務所が抱え込むのがいいことなのか」と。
そうした中、05年に田島さんが呼び掛け人となり、私もメンバーになって私的勉強会「触法・虞犯障害者の法的整備のあり方検討会」を発足させた。田島さんが厚労省に、私が法務省に働き掛けた結果、それぞれの役所の担当者も加わってもらうことになり、約1年間にわたり勉強会を重ねた。過去こうした問題について、厚労省と法務省との間にまったく情報の共有がなかったらしく、厚労省からすれば、驚きの連続のようだった。そして06年、この勉強会が「罪を犯した障がい者の地域生活支援に関する研究」として厚労省の正式な研究班となる。この研究班が、「地域生活定着支援センター」の設立をはじめ、国に対しさまざまな提案をしてきた。
その後の動きは、思っていたよりも速かった。ただしスピードが速い分、問題点がたくさんあることも事実だ。地域生活定着支援センターにしても、矯正施設や更生保護施設におけるソーシャルワーカーの働きについても、多くの課題を抱えていると思う。
しかしいずれもスタートしたばかりなので、それも仕方ない。今後よりよい施策となるために、今は失敗を恐れず果敢な取り組みをしてほしい。

(つづく)


解説

私は別のところ(獅子風蓮の青空ブログ)で、山本譲司氏の『獄窓記』の読書感想文の連載をしています。

長い前置きが終わってやっと「塀の中の掃き溜め」と言われる累犯障害者の収容されている寮内工場の章が始まりました。

併せてお読みくだされば幸いです。

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その36)

2024-12-18 01:16:39 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

(つづきです)

実は1930年代初頭、大川周明もこれと似た危機意識を抱いた。そして、1932年5月15日に決起し、時の首相らを暗殺した。陸海軍の青年将校がこの決起に加わったが、青年将校たちは軍の武器や兵員を用いなかった。五・一五事件で決起した人々は、軍人も民間人も、あくまで1人の日本人として、社会の側から、世直しを試みたのである。
これに対して、五・一五事件の4年後に起きた1936年の二・二六事件は、官僚によるクーデターだ。二・二六事件の青年将校たちは、陸軍の武器を用い、命令で下士官・兵を動かして世直しを試みたのである。大川周明は二・二六事件に対して極めて批判的である。戦後、1953年に執筆した「北一輝君を憶ふ」の中で大川周明はこう述べている。

〈北君は、二・二六事件の首謀者の一人として死刑に処せられ、極めて特異なる五十五年の生涯を終へた。私は長く北君と往来を絶つて居たから、この事件と北君とのに如何なる具体的関係があつたかをしらない。北君が西田税君を通じて多くの青年将校と相識り、彼等の魂に革命精神を鼓吹したこと、そして彼等の間に多くの北信者があり、日本改造法案が広く読まれて居たことは事実であるから、フランス革命に於けるルソーと同様、二・二六事件の思想的背景に北君が居たことは拒むべくもない。併し私は北君がこの事件の直接主動者であるとは金輪際考へない。
二・二六事件は近衛歩兵第一聯隊、歩兵第三聯隊、野戦重砲兵第七聯隊に属する将兵千四百数十名が干戈を執つて蹶起した一大革命運動であつたにもかからず、結局僅かに三人の老人を殺し、岡田内閣を広田内閣に変へただけに終つたことは、文字通りに竜頭蛇尾であり、その規模の大なりしに比べて、その成果の余りに小なりしに驚かざるを得ない。而も此の事件は日本の本質的革新に何の貢献もしなかつたのみでなく、無策であるだけに純真なる多くの軍人を失ひ、革新的気象を帯びた軍人が遠退けられて、中央は機会主義、便宜主義の秀才型軍人に占められ、軍部の堕落を促進することになつた。
若し北君が当初から此の事件に関与し、その計画並びに実行に参画して居たならば、その天才的頭脳と支那革命の体験とを存分に働かせて、周匝緻密な行動順序を樹て、明確なる具体的目標に向つて運動を指導したに相違ない。恐らく北君は青年将校蹶起の覚悟既に決し、大勢最早如何ともすべからざる時に至つて初めて此の計画を知り、心ひそかに『しまつた!』と叫んだことであらう。支那革命外史を読む者は、北君が革命の混乱時代に必ず来るべき外国勢力の如何に恐るべきものなるかを力説したを看過せぬ筈である、北君は日本の国際的地位を顧みて、中国並びに米国との国交調整を国内改造の先決条件と考へて居た、昭和十年北君は中国行を計画して居たと聞くが、その志すところは茲に在ったと断言して憚らない。果して然らば二・二六事件は断じて北君の主唱によるものでないのみならず、北君の意に反して尚早に勃発せるものである。二月二十七日北君は直接青年将校に電話して「一切を真崎に任せよ」と告げたのは、時局の拡大を防ぎ、真崎によつて犠牲者をできるだけ少くしようとしたもので、真崎内閣によつて日本改造法案の実現を図ろうとしたのではない、現に北君は法廷に於て「真崎や柳川によつて自分の改造案の原則が実現されるであらうとは夢想だもして居らぬ」と述べて居る。北君を事件の首謀者といふ如きは、明かに北君を殺すための口実にすぎない。而も北君は冤枉(えんおう)に甘んじて従容として死に就いた。私は豊多摩刑務所で北君の処刑を聞いたのである。〉(橋川文三編集『近代日本思想大系 21 大川周明集』筑摩書房、1975年、366~367頁)

政党がしっかりせず、社会の側から国家に対する効果的な働きかけができないと、国家の生き残りを考えた官僚が「世直し」を行う。特捜検察による「国策捜査」、海上保安庁保安官による尖閣諸島沖漁船衝突事件のビデオ映像流出などは、官僚による「世直し」の序章なのである。二・二六事件の効果について大川周明は、〈此の事件は日本の本質的革新に何の貢献もしなかつたのみでなく、無策であるだけに純真なる多くの軍人を失ひ、革新的気象を帯びた軍人が遠退けられて、中央は機会主義、便宜主義の秀才型軍人に占められ、軍部の堕落を促進することになった〉と厳しい評価をする。過去の負の遺産から真摯に学び、官僚による「世直し」が国民に不幸をもたらし、日本国家を弱体化させることを自覚し、社会の側から日本国家を立て直す働きかけを強めることが重要だ。
本書が文庫化できたのは、小学館の衣袋丘氏の御尽力によるものです。深く感謝申し上げます。

 (2011年1月3日記)

 


解説
政党がしっかりせず、社会の側から国家に対する効果的な働きかけができないと、国家の生き残りを考えた官僚が「世直し」を行う。特捜検察による「国策捜査」、海上保安庁保安官による尖閣諸島沖漁船衝突事件のビデオ映像流出などは、官僚による「世直し」の序章なのである。

ここまで読んで、ちょっと驚きました。
佐藤氏は自分を陥れた特捜検察による「国策捜査」を、官僚による「世直し」と肯定的に捉えているのかと。


過去の負の遺産から真摯に学び、官僚による「世直し」が国民に不幸をもたらし、日本国家を弱体化させることを自覚し、社会の側から日本国家を立て直す働きかけを強めることが重要だ。

二・二六事件も官僚による世直しであるが、大川周明が指摘するように、この事件は国民に大きな不幸をもたらしました。
官僚による「世直し」は、国民の信託を受けることがないので、失敗したとしても無反省に繰り返されることがあります。
厳しく監視していく必要があるでしょう。

佐藤氏の言いたかったことも、そこなのですね。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その35)

2024-12-17 01:13:59 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

(つづきです)

本書を上梓してから5年が経った。その間に国際関係はより帝国主義的になっている。帝国主義国は、相手のことなど考えずにまず自国の利益だけを徹底的に主張する。そして、相手国が強く反発せず、国際社会も沈黙しているならば、そのまま自国の権益を拡大する。これに対して、相手国が激しく反発し、国際社会からも「いくら何でもやりすぎだ」と顰蹙を買うようになると、このままゴリ押しを続けても、結果として自国が損をするという見通しから、帝国主義国は妥協し、国際協調に転じる。一種の勢力均衡ゲームが行われているわけだ。それだから帝国主義国である中国は、尖閣諸島を中国の実行支配下に置こうと種々の画策を展開するのだ。ロシアもメドベージェフ大統領が国後島を訪問し、北方領土の「脱日本化」を進め、不法占拠を固定化しようとしている。中国もロシアも帝国主義の文法に従って行動しているのだ。米国も帝国主義政策を露骨に進めている。現在の「悪い円高」は、米国が事実上、為替ダンピングを行っているからだ。帝国主義の文法に従った近隣窮乏政策である。

帝国主義のゲームのルールは、「食うか食われるか」だ。日本の政治エリート(国会議員、官僚)には、この現実が見えていない。そして、各帝国主義国が建前として掲げている国際協調や戦略的互恵などを額面通りに受け取り、事実上、日本は米国、中国、ロシア、EUによって、「食われる」状態になっている。
客観的に見た場合、日本は一級の帝国主義国である。日本が生き残るためには、品格のある帝国主義政策を展開できるように国家体制を改造する必要がある。社会の力(それは国民の力でもある)によって国家を改造しなくてはならないのである。国民が集合的無意識のレベルでこの改造を強く望んでいるから2009年に自民党から民主党への政権交代が起きたのだ。政党は、社会に基盤を置く。しかし、どうもこの原点を民主党も自民党も忘れているようだ。特に政権党である民主党は、当事者にとっては深刻なのであろうが、日本国民と日本国家の利益とは関係のない権力闘争、政治抗争に明け暮れている。こうしている中で日本の地盤沈下が進んでいく。「何とかしなくてはならない」という危機意識を私を含む多くの日本人が持っている。

(つづく)


解説
本書を上梓してから5年が経った。その間に国際関係はより帝国主義的になっている。

文庫版が発行されたのは2011年2月ですから、現在はそれよりもさらに各大国は帝国主義的になっているといえるでしょう。

政権は民主党から自公連立に代わりましたが、世界の中で日本の地盤沈下が進んでいることには変わりがありません。

 

「何とかしなくてはならない」 という危機意識を私を含む多くの日本人が持っている。

私も同感です。

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その34)

2024-12-16 01:02:32 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

(つづきです)

話を元に戻し、本書が私が職業作家になる上でどのような意味をもったかについての説明を続ける。私の第2作は、2005年9月に産経新聞出版から上梓した『国家の自縛』(その後、扶桑社文庫)だった。これは、私が尊敬する産経新聞の斎藤勉氏(モスクワ支局長、編集局長を経て現在産経新聞社常務取締役)が聞き手になってくださり、あの時点でまだ混沌としていて形をなしていなかった私の考えを言語化したものである。『国家の罠』は当事者手記で、『国家の自縛』は対談である。しかし、これだけでは、職業作家になる条件を満たしていない。第三者ノンフィクションを書くことができて、はじめて職業作家として独り立ちすることができるのである。
私の第3作は、2006年に新潮社から上梓した『自壊する帝国』(その後、新潮文庫)で第4作が同年7月に上梓した本書『日米開戦の真実』である。実は原稿は、本書の方が『自壊する帝国』よりも早くできていたのである。『自壊する帝国』は、新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞を同時受賞し、私の代表作と見なされるようになった。確かに『自壊する帝国』は私にとって重要な作品だ。ただし、書き進める上での苦労はそれほどなかった。なぜなら、第1作の『国家の罠』と同じ当事者手記だったからだ。本書『日米開戦の真実』は、私が初めて書いた第三者ノンフィクションなのである。

本書の単行本あとがきに記したが、私が大川周明について「書きたい」という強い衝動を持ったのは、2002年9月17日、私が手錠、捕縄(ほじょう)をかけられて小菅の東京拘置所から東京地方裁判所第104号法廷に連行され、傍聴人とマスコミ関係者の好奇の目にさらされながら、検察官による起訴状朗読を聞いているときだった。私以外の3人の被告人は罪状を「認めます」と裁判官に告げることになる。私だけが無罪主張をしているので、公判は分離される。このときテレビで見た東京裁判のときの大川周明の姿が突然、私の脳裏に浮かんだ。
極東軍事裁判(東京裁判)の初公判にパジャマ姿で出廷し、検察官による起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩いた。裁判長が休廷を宣告すると大川周明は「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだ。
今になって振り返ると、私が大川周明についてこのとき思い出したのではなく、大川周明の魂魄は東京地方裁判所に浮遊してきて、私の魂をとらえたのだと思う。

ところで、ダンテの『神曲』を直訳すると「神のコメディー」になる。『神曲』の翻訳者である平川祐弘氏はこう述べる。
〈ダンテ自身はこの作品を単に「コンメーディア」と呼んでいた。めでたい結びを持つ作品はCommmediaなのであり、至高天に昇ることで終わるこの作品がめでたいことは論をまたない。「神々しい」という形容詞はボッカッチョに由来する由だが、 Divina Commediaという題名は1555年のヴェネチア版で決定されたといわれている。日本ではコルリイルの『西洋易知録』(河津祐之訳、明治2年)に「ヂヒナコ メジヤ」の名が見える。「神曲」という訳名は森鴎外が『即興詩人』の中でそう訳したため人口に膾炙した。〉(平川祐弘「ダンテと『神曲』の世界」『神曲 天国篇』河出文庫、2009年、509頁)

確かに私に関しては、逮捕、勾留の経験が「めでたい結び」を持ったといえる。この経験を経て、どのような状況でも私を信じ、支えてくれる本当の友がいることを確認できたからだ。
大川周明があの奇矯な立ち振る舞いをしなかったならば、東京裁判の本質を私は理解することができなかった。「勝者の裁き」という茶番を大川周明が可視化したのである。この意味は大きい。東京裁判をめぐってはシンボルを巡る闘争が展開されている。率直に言うが、すでに有効性を喪失して久しい左翼、右翼というレッテルを貼りながら展開されているこのシンボルを巡る闘争に私はまったく関心がない。しょせん「勝者の裁き」とはこんなものだ、と東京裁判を突き放して見ている。

ここで興味深いのは、A級戦犯を巡って、定義をよく詰めないまま空中戦が行われていることだ。すなわち1946年1月19日付極東国際軍事裁判所条例第5条に基づき、平和の罪で訴追された者をA級とした。そして、通常の戦争犯罪で訴追された者をB級、人道に対する罪で訴追されたものをC級とした。このような見方が現時点における多数派の見解といってよいと思う。念のため『世界大百科事典』(平凡社)の記述を引用しておく。

(中略)

東京裁判が行われていた当時は、極東軍事裁判所条例第5項の規定と関係なく、「平和に対する罪」に問われた国家指導者をA級戦犯 class A war criminal、それ以外のB項とC項の犯罪を犯した者をBC級戦犯class B & C war criminalと呼んでいた。これは米国式の呼称で、英国式ではA級戦犯を主要戦犯major war criminal、BC級戦犯を軽戦犯 minor war criminalと呼んでいる。さらにBC級戦犯に、B級は指揮監督にあたった士官・部隊長、C級は直接捕虜の取り扱いにあたった者、主として下士官、兵士、軍属であるという解釈もある。この点について、何人かの読者から感想と意見を頂いた。文庫化にあたって、読者からの意見を踏まえた改訂を当初試みたが、それを行うと本書の主要論点からはずれると考え、断念した。私の力不足のため、読者の要望に十分応えることができていない部分があることについてお赦しを乞いたい。

(つづく)


解説

私が大川周明について「書きたい」という強い衝動を持ったのは、2002年9月17日、私が手錠、捕縄(ほじょう)をかけられて小菅の東京拘置所から東京地方裁判所第104号法廷に連行され、傍聴人とマスコミ関係者の好奇の目にさらされながら、検察官による起訴状朗読を聞いているときだった。私以外の3人の被告人は罪状を「認めます」と裁判官に告げることになる。私だけが無罪主張をしているので、公判は分離される。このときテレビで見た東京裁判のときの大川周明の姿が突然、私の脳裏に浮かんだ。
極東軍事裁判(東京裁判)の初公判にパジャマ姿で出廷し、検察官による起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩いた。裁判長が休廷を宣告すると大川周明は「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだ。

このような経験があったので、佐藤氏の大川周明への思い入れは強くなったようです。

 

獅子風蓮