というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。
(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
■七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記
七杯目の火酒
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__そういえば、いつだったっけ、あれ、ほら、詐欺の犯人と芸能界の連中とが付き合いがあったとかなかったとか問題になったとき、週刊誌にあなたの名前が挙がっていたような気がするんだけど、あれはどういうことだったの?
「うん、あれか……あれはね……そう……その人はね、カルーセル麻紀さんの知り合いだったんだよね。ある晩、麻紀さんの家で麻雀をやってたの、千点二百円くらいの安い麻雀を。そのとき、その人から麻紀さんのところに電話がかかってきたわけ。遊びに来いと言ってるらしいの。麻雀してると言ったら、そんなのうちでやればいい、さみしいからみんなで来ないかって。麻紀さんが十年来のお客さんで決して変な人じゃないから行ってくれないか、と言うわけ。別にどこでやっても麻雀にはかわりないんだからというんで、みんなでその人の家に行ったんだ。それが知り合ったきっかけなの」
__どんな人だったの。
「ドツキ漫才で庄司ナントカというコンビの人がいたでしょ、そのひとりの男の人をもっと不細工にしたような、ボヤッとした人だった」
__それが詐欺師だったわけか。
「そうなの。でも、麻紀さんが変な人じゃないと言うし、大阪のビル会社かなんかの息子だということで……確かにうすぼんやりした人なもんだから、金持ちのボンボンだとばっかり思ってた」
__銀座で凄まじい金を使ってたんだって?
「そうなの。それはすごい金のばらまき方なんだ。今日は金を少し持ってきたからなんて言って、財布に300万くらい入れて銀座に出てくるわけ。ところが帰るときには3万しかないの」
__ほんと?
「ほんとなの。あたしが一回、実際に見てるんだから、ほんと。それを連日、3ヵ月くらいにわたってやり続けたんだ」
__それじゃあ、何億かになるね、使った金は。
「そう、あの人は何億か銀座に落としているはずだよ」
__一緒に呑んだの。
「うん、何度か呑んだ」
__どうして、そんな風采のあがらない男と呑んでいたの? まさか金じゃないだろうし……。
「とんでもない、あたしがそんな女に見える? 失礼しちゃうなあ。お金ならいくらだって自由になるわ。……そうじゃなくて、可哀そうだったの」
__その人が?
「うん、とても可哀そうだった。呑むの付き合ってくれませんかって頼まれたときも可哀そうだったけど、銀座で呑んでいる姿を見たら……もっと可哀そうになっちゃった」
__札ビラ切って、大尽遊びをしてるんでしょ?
「そう、銀座の一流のクラブに行ってワッとやると、いろんなのが群らがり寄ってきて、その人からお金をふんだくっていくっていう感じなの。しかも、風采のあがらない人だからみんなが馬鹿にしてるの。そのことが横で呑んでいるとよくわかるの。口先ばかりで調子のいいことを言って、軽蔑してるの。30分いて、勘定を30万なんて、平気で取るんだよね。そんな店を6、7軒はしごして、店から店までのタクシーに1万円札をあげるんだよ」
__馬鹿な。
「千円札を持たない人なんだよ。だから、あたしとか麻紀さんが一緒のときはオツリをしっかと取って、ポケットに入れてあげたりしてね。でも、いま考えれば、そんなことあの人にとってはどうでもよかったんだろうね」
__……。
「さみしい人なんだろうな、といつも思ってた。呑んでいると、ふっと財布から写真を出してあたしに見せるんだよね。可愛いだろって。子供が奥さんに抱かれて写っているんだ。可愛いだろって……」
__少しは変だと思わなかったの?
「うん、思わなかった。すごくぼんやりしてそうだったんで、まさか詐欺ができるような人に見えなかったし、それに物のよしあしがすごくわかっていた人なの」
__物?
「男物の服でも持物でも、女物のバッグや靴でも、グッチとかディオールとか誰でも知っているようなブランド品じゃなくて、本当の金持しか身につけないようなものについてよく知っていたんだ。そして、その人もそういうものしか選ばなかった。ああ、やっぱり金のある家に育ったからかな、なんて思えて……」
__本当はその逆なんだけどね。
「そうかもしれない」
__そんなにボンボン然としていたの。
「でもね、みんなには馬鹿にされていたけど、二度くらいこの人は頭がいいんじゃないんだろうか、馬鹿なふりをしているだけなんじゃないのだろうかって、一瞬、思ったことがあった」
__どういうふうに?
「どうしてだったんだろう。そう思ったことだけしか覚えていないんだ」
__あなたは一緒に呑んだだけ?
「もちろん。一緒に呑むと、ベロンベロンになって、わけがわからなくなるらしくって、あたしにも5万とか10万とかくれようとするの。ホステスさんと間違えるらしくって。だから怒ったことがあるの、そんなハシタ金をもらうために一緒に呑んでいるんじゃないんだよ、そんなつもりならもう呑むのはやめにしよう。そうしたらゴメンナサイと言うけど、また次は同じことを繰り返すんだ。銀座から六本木に来れば、店の弾き語りに何万かやり、取り巻きのタレントさんに金品をばらまき……」
__麻紀さんやあなた以外にも知り合いのタレントがいたのか……。
「タレント好きの人だったんだろうね。麻紀さんを通したりして、いろんな人と知り合っていたみたい。いろんな人がいろんなものをもらってたみたい。何百万円もするような時計をしていたけど、つかまる直前には2万円くらいのセイコーしか持っていなくて、それすらもどっかのタレントにせびられて、何もはめていなかったらしい、捕まったときは。ひどい奴がいるよって、麻紀さんが怒ってた」
__あなたは、なんとなくその人に同情的だったわけだ。
「アル中なんだよね、朝から呑むんだけど、呑む前は手が震えてるんだ。恐かったんだろうな。その恐さを紛らわすために、あんなに呑んで金を使っていたんだと思う。いつだったか、麻紀さんたちと麻雀をやっているところにその人がいて、見ていたんだ。そうしたら、その人が、そんな友達同士で金をとったりとられたりなんてやめなさい、というわけ。どのくらいのお金をやりとりしてるのというから、2、3万かな、と言うと、じゃあこの10万をみんなで分ければ取り合いをしなくてもすむわけだ、といってテーブルにお金を置くの。そういうことのために麻雀をやってるんじゃないんだって言って続けたけど、急に阿呆らしくなってみんなシラケてやめたことがある」
__ハハハッ、そいつはいいや。
「だけど、みんなあの人から、金をむしり取っていたなあ。あたしも一度だけ、プレゼントだと言われてブラウスを買ってもらったからえらそうなことは言えないけど……」
__そのくらいなら、人と人との付合いの中じゃよくあることさ。気にするほどのことはない。しかし、その人はいったいどんな詐欺をしていたの?
「よく知らないんだけど、一種のネズミ講らしいよ。人から十何億かの金を集めて、そして関西から東京に逃げてきていたらしいんだ。でも、いい人だった。詐欺をされた人には悪いけど、あたしは憎めない。捕まる3日前に、どうしても会いたいって電話してきたの。まさかそのときは詐欺師だなんて知らなかったけど、とても必死そうだったんでどうにか時間を作って会ったの。そうしたら、近くパリへ行くと言うわけ。日本にいると大変だし、少し疲れたので外国にいって少し遊んでくるって。そう、それもいいね。そうしたら馬鹿なお金の無駄づかいをしなくてもすむと思ったから、それもいいねといったんだ。そうしたら、その3日後に麻紀さんから電話が掛かってきて、大変だ、あの人が指名手配されてる、ごめんなさい変な人を紹介して……」
__そいつは驚いたろう。
「驚いたよ。でも、もっと驚いたのは、その人が捕まって、その直後に週刊誌や何かに出た、銀座のママやホステスさんのコメントよ。どうも変だと思ってた……悪いことをしているんじゃないかとうすうす感じてた……あの客はむしろ店には迷惑な客だった……馬鹿だ阿呆だと言うわけ。それには腹が立ったなあ。あの人がどれほど金を使ったか、あの人からどれほどむしり取ったか、それをほっかぶりして、ひどいことばかり言うんだから」
__しかし、その人は、どうして、まだ手元に何億かあるうちに、外国に高飛びしなかったんだろう。
「ほんとだね、それで一生、生きていけないことはなかったのに……3ヵ月で使い果してしまったんだからね、まったく」
__狂ったように使ってみたかったのかな。
「どうなのかなあ」
__でも、使ってても、虚しかったろうな。
「うん、とても虚しかったと思う。誰にも愛されないで、ただ金だけのために、人に寄って来られたんだからね」
__しかし、彼もそのことはわかっていたんだろうね。どうでもよかったんだよ。タクシーの運ちゃんに1万円やろうが千円やろうが同じだったんだよ。同じように無意味なことだったんだろうな。
「そうかもしれないね。そういうことだったのかな。悲しいね。奥さんにも見離されて、子供の写真を胸に入れて……詐欺して……」
__それはいつのことだったの?
「去年の4月」
__一年半前?
「どうしてそんなにはっきり覚えているかと申しますと、そのときちょうど、3年間一緒だった人と別れたんだよね。別れたというより離れたんだ、必要があって……だから……」
【解説】
銀座で、ちんけな詐欺師と一緒に飲んだりしていたころの話です。
金遣いは荒かったけど、みじめな哀愁のただよう男だったようです。
獅子風蓮