というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。
(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
■三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記
三杯目の火酒
3
__あなたは、確か、RCAというレコード会社からデビューしたんだよね。そこから出ることになったのは、どういういきさつだったの?
「沢ノ井さんのとこから受けに行って、まず東芝に落ちたでしょ。次にコロムビアを受けたわけ。でも、コロムビアに受かっちゃったの。だから、本当は、コロムビアからデビューするはずだったんだ、あたし。ところが、夏のはじめの頃、沢ノ井さんとRCAの若いディレクターと会ったわけ。クラブみたいな、ちょっと暗いとこで。それがそのディレクターとの初対面だったんだ、あたしは。沢ノ井さんの方は何回か会ってたらしいけど。もちろん、RCAでやりたいとか、そんなんじゃなかったんだ。話しているうちに、夜中の12時が過ぎたんだよね。7月4日から7月5日になったわけ。7月5日はあたしの誕生日なの。だからみんなに、冗談で、あたし、今日、誕生日なんだ、なんかプレゼントくれない、って言ったの。そうしたら襄(じょう)さん……そのRCAの ディレクターは榎本襄っていうんだけど、襄さんが、今日は何日って訊くわけ。12時が過ぎたから、7月5日だよ、って答えたんだ。そうしたら、襄さんが、ああ、ぼくも誕生日だ、って言い出して、はじめは冗談と思ってたんだ。ところが、本当に、10歳ちがいの7月5日生まれだったの。同じ誕生日の二人が、その誕生日の日に会ってたわけ。びっくりしたなあ、それは」
__なるほど、それで、その榎本さんは、あなたに入れ込むことになったんだね。
「不思議なんだよね、そういうのって」
__そのときまでは、RCAでデビューするなんて決まってなかったのか……。
「うん。だから、9月25日のデビューまで、バタバタだよね。コロムビアを断わって、 レコーディングして……無理やり出したっていう感じだった」
__どうして、そんなに急いだの?
「新人としては、その年度に間に合わなくなるからって、急いだんじゃないのかな」
__あなたも早くデビューしたかった?
「何も考えてなかった。歌えと言われれば歌い、行けと言われれば行った……」
__いつ歌をもらったの、〈新宿の女〉は。
「さあ、いつだったかな」
__そんな大事なことも忘れているんですか、あなたは。
「うん。譜面をいつもらったかは忘れたけど、そういう歌ができたって言われたときのことは覚えてるんだ。夜中に電話が掛かってきたの。すばらしい曲ができたよ、純ちゃん、すばらしいのができた、って。沢ノ井さんが名古屋に行っているときじゃなかったかな。あの人……沢ノ井さんて、夜中に電話するのが大好きな人でね、大事な話があるからっていうんで、急いで駆けつけると、肩が凝ったからもんでくれないかとか、ほんとに変な人なんだ」
__そのとき、沢ノ井さんが電話を掛けてきて、教えてくれたのが〈新宿の女〉だったの?
「そうなの。これから歌うから、聞いて、すばらしいから、って」
__詞だけじゃなく? ああそうか。〈新宿の女〉は沢ノ井さんが作曲もしてるんだ。 沢ノ井さんと言おうか、石坂まさを、と言おうか……。
「歌詞はね、本当は他の人が作ったの。そういう歌詞を作っている人たちの同人誌みたいのがあって、名古屋へ行ってすばらしい詞を見つけたからって言って、その場でメロディーをつけて、電話で歌ってくれたわけ」
__そうか、この歌詞カードにも、みずの稔・石坂まさを共作詞、とあるね。
「はじめ、同人誌の人の歌詞は、いまみたいのじゃなかったんだ」
__なるほど。つまり、沢ノ井さんが補作したわけだ。〈新宿の女〉の一番の詞は……と。
私が男になれたなら
私は女を捨てないわ
ネオンぐらしの蝶々には
やさしい言葉がしみたのよ
バカだな バカだな だまされちゃって
夜が冷たい 新宿の女
この詞が、もともとは、少し違っていたわけだ。
「電話を掛けてきたときは、最初の2行がこうなってたの。
灯りをともして吹き消した
あなたは気まぐれ夜の風
それを、沢ノ井さんが、あとで変えたんだよね」
__もともとの詞でも、悪くはないね。でも、比べてみると、沢ノ井さんの詞の方が力が感じられるね。荒っぽいけれど。
「それにしても、あたしが男になれたなら、あたしは女を捨てないわ、なんて、普通の人の発想じゃないよね。直接的すぎるし、言葉の言いまわしも変だしね」
__でも、妙に力強いんだよね。もらったとき、いいと思った?
「いいとも悪いとも思わなかった……と思うな」
__〈新宿の女〉をレコーディングした、RCAのスタジオって、どこにあったの?
「どこだったかなあ……」
__だって、初レコーディングでしょ、あなたの。
「そうだよ」
__そんなことも覚えていないんですか。ほんとに欠陥商品ですね、あなたの記憶装置は。……しかし、考えてみると、すごいね、逆に。
「そうだよ、そこがあたしのいいとこなんだよ」
__そうかもしれないね。
「そんなことくらいで、緊張して、何から何まで覚えているようだったら、もう歌手としてはそこで終ってたよ。そうじゃなかったから、よかったんだよ」
__あるいは、ね。演歌の星を背負った宿命の少女、なんていうキャッチフレーズは誰が考えたの。やっぱり、沢ノ井さん?
「そうだろうね、きっと」
__白いギターを持ったりしたのも?
「それは、みんなで。はじめはね、ギターを当り前に持ってもつまんないからって、金色にするつもりだったんだ。金粉まぶしたり、いろいろやってみたけれど、ベタベタするばかりでうまくいかなかったから、それじゃ白く塗ってみようということになって……白いペンキを塗っただけなの、安物のギターに。衣装が黒いパンタロン・スーツだったのも、沢ノ井さんたちに言われたとおりにしただけなの。別にどうでもよかったから、異議なし、って感じ。ただひとつ、デビューのときにいやだったのは、年齢をごまかしたことなの。ひとつ、低くしたんだ。それには抵抗したなあ、ほかのことはどうでもよかったけど。初期の頃のパンフレットには、17歳でデビューしていることになっているんだよ。昭和26年なのに、27年生まれになってるの。パンフレットができあがってから知らされて、絶対に嘘つくのなんかいやだって頑張ったんだけど、それは通らなかったの。やっぱり、18歳より17歳の方が語呂がいいからって、襄さんがやっちゃったらしいんだ。いやだいやだといったけど、駄目だった。そのことは、ちょっとつらかったなあ」
__しかし、仮に、ぼくが榎本さんの立場だったとしても、あるいは17歳ということにしたかもしれないな。7月生まれの9月デビューなんだから、嘘をつくのもほんの2ヵ月分だしね。やはり、17歳という響きの方が、人に訴える力を持っていたような気がするな。
「それはわかるけど、嘘をついてまでやることはないと思うんだ」
__これも、かなり意外なんだけど……会うまではわかんなかったんだけど、あなたは、すごく潔癖性なんですね。
「そういうとこはあるね。性格じゃなくても、生理的っていうのかな、そういうとこも変に潔癖でね。小さいときから、どんな山奥に興行で連れて行かれても、便所に入ったら、手を洗うまで、水の流れているところを探さないと気がすまなかったり、人の箸では絶対にものが食べられなかったり、そんなだった」
__年齢の件は、いつ正常に戻されたの?
「前川さんと結婚するとき」
__そうか、婚約が46年の6月だから……あなたが19歳のとき。嘘ついたままなら18歳! 若すぎるもんね。
「うん。でもね、その前にも、ラジオに出たりしてるときは、27年生まれということになっておりますが、ほんとは26年なんですなんて、よくしゃべってたから……」
__でも、〈新宿の女〉は、すぐには売れなかったよね。
「うん」
__新宿音楽祭、とかいう新人歌手のコンテストにも、落ちたとか……。
「そうなんだ。テープ審査の段階で、もう落とされたらしい。古めかしいとか、なんとかいう理由で」
__口惜しかった?
「ぜんぜん。沢ノ井さんが頭にきて、よおしそれなら、こっちはこっちでやろう、というんで新宿25時間キャンペーンを考え出したの。あたしなんか、別に口惜しくもなかった。当り前じゃないか、と思ってた。最初からそんなにうまくいくはずないよ、と思ってた」
__いやな子ですねえ、そんな冷やかに……
「だってそうじゃない。うまくいかないのが普通じゃない」
__それはそうだけど……その、25時間キャンペーンというので、どんなことをしたの?
「25時間ぶっつづけに新宿をスタッフのみんなと練り歩いたの。いろんな店に入っていって、〈新宿の女〉を歌わせてもらいながら、ね」
__何回くらい歌った?
「100回は歌わなかったかな……でも、50回以上は歌ったな」
__すごいね。
「それでも、御飯を食べる時間はあったし、そう大変でもなかったよ」
__結局、その年は、なんとか新人賞とかいうのには、引っ掛からなかったんだっけ、ひとつも。
「そう」
__〈新宿の女〉が売れ出したのは、翌年?
「次の年の2月に〈女のブルース〉を出したんだよね。出したら、それはすぐ売れて、それに引きずられて、また〈新宿の女〉が売れたっていう感じかな」
__ぼくは、正直いうと、〈新宿の女〉があまり好きじゃなかった。好きじゃない、というより、嫌いだったな、はっきりと。アクの強い、ザラッとするような……そのアクの強さに、アレルギーを起こしたのかもしれないね。
「あの歌はね、本人が余計なことを何も考えず、ただの歌と思って歌っていたところに、いいとこがあったと思うの。あたしが男になれたなら、あたしは女を捨てないわ、なんて、考えはじめたら歌えるような歌詞じゃないよ、実際」
__しかし、〈女のブルース〉っていうのは、いい歌だと思った。歌詞が変っててね。
「そうなの。メロディーに乗せて聞くと自然に耳に入ってきちゃうけど、それを眼で見ると、やっぱり驚くよね。
女ですもの 恋をする
女ですもの 夢に酔う
女ですもの ただ一人
女ですもの 生きて行く
初めてこの歌詞を見たときは……震えたね。すごい、と思った。衝撃的だったよ」
__どこで見せられたの?
「見せられたんじゃないんだ。沢ノ井さんの家の、茶の間みたいなところに、テーブルがあるんだよ。いつも、ゴチャゴチャ、いろんなものがのっかっていたりして、汚ないテーブル。その上を何気なく見ていたの。週刊誌とか、漫画とか乱雑にのっかっているから。そのとき、走り書きのしてあるザラ紙が、ポンとそこにのってたんだ。それを見て、ワァーすばらしい歌詞だな、誰が歌うんだろう、って思ったわけ」
__そうしたら、あなたの歌だったのか。
「そう、純ちゃんのだ、って。そのときは〈女のブルース〉じゃなくて、〈花のブルース〉っていうタイトルだった」
__三番の歌詞がいいんだよね。
ここは東京 ネオン町
ここは東京 なみだ町
ここは東京 なにもかも
ここは東京 嘘の町
実に単純な言葉を繰り返し使っているだけなのに、少しずつ情感が盛り上がっていく。演歌の歌詞って、不思議な力があるね。
「ここは東京、なんて当り前の歌詞が、みんな味が違うんだよね、歌にすると。四つが四つ違うんだ。あたし、これを歌うとき、聞いている人に、四つの東京を見せることができる、と思ったもん。思わない? なんで、ここは東京、という言葉が4回出てくるだけで、こんなドラマになるんだろう、って。沢木さん、思わない?」
__思う。
「すばらしいですよ、ほんとうに」
__冴えておりましたね、石坂まさを氏、は。
「そうなんです。 冴えていたんです。
何処で生きても 風が吹く
何処で生きても 雨が降る
何処で生きても ひとり花
何処で生きても いつか散る
ほんとに……何処で生きたって、いつか散るんだよね……」
【解説】
ただひとつ、デビューのときにいやだったのは、年齢をごまかしたことなの。ひとつ、低くしたんだ。それには抵抗したなあ、ほかのことはどうでもよかったけど。初期の頃のパンフレットには、17歳でデビューしていることになっているんだよ。昭和26年なのに、27年生まれになってるの。パンフレットができあがってから知らされて、絶対に嘘つくのなんかいやだって頑張ったんだけど、それは通らなかったの。
インタビュアーの沢木耕太郎さんも言っていますが、藤圭子さんはとても潔癖な人でした。
獅子風蓮