というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。
(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
■三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記
三杯目の火酒
1
__おっと、もう、二杯目のグラスが空になってる。 同じものをもらいますか?
「そう、まだ呑めそうだな」
__まだまだ。だって、チラッとでも顔に赤味がさしてないもの。
「あたし、あんまり赤くならないんだ」
__そうなの。
「赤くなる前に、引っ繰り返っちゃう」
__ほんと?
「冗談。でも、昔、よく引っ繰り返ったなあ」
__ほんとに?
「ほら、お父さんが呑まないから、あたしも呑んだことがなかったわけ。いたずらとか、そんなのでも。だから、17になるくらいまで、ビールって甘いものだと思ってた。 真面目に、よ」
__一度も呑んだことなかったんだね。
「うん。流しをしてるとき、初めて口に入れてびっくりした」
__客かなんかに呑まされたの?
「いや、そうじゃなくて。流しやってると、40曲とか50曲とか、どうしても数多く歌うでしょ。だから喉が疲れるわけ。どうしてもよく声が出なくなったときがあって、ビールでうがいするといいよって教えられて、勢いよく口に入れたら、苦いじゃない。慌てて吐き出した」
__それ以来、酒は……。
「ぜんぜん呑まなかったんだ。よく呑むようになったのは、デビューして、だいぶ経ってから」
__そうなんだ。
「一度、デビューして、間もない頃、呑んだことがあるんだ。仕事先で何かいやなことがあって、そういうときにはお酒でも呑んで忘れなさい、なんて勧められて。ウィスキーをコップにこんなに注がれて、グッと一息で呑むといいっていうから、ウィスキーがどういうものなのかも知らずにクィーと呑みほしたらコテッと引っ繰り返っちゃった」
__可愛いね。そんなときもあったわけだ。
「それからも、だいぶ引っ繰り返ったな、呑みすぎては」
__あなたがさ、デビューするきっかけになったものといったら、やっぱり、岩見沢で行なわれた雪祭り歌謡大会、ということになるのかな?
「そうだろうね」
__どうしてあなたがそんな大会に出ることになったの?
「東京から来るはずだった歌手が急に来られたくなったとか、そういうことで……」
__その歌手って、誰?
「知らない。無名の人でしょ。有名な人であるわけないよ。田舎のただの歌謡ショーだったんだし、頭数だけで集められたような歌手だったと思うよ。だいいち、あたしがその人のかわりに長靴はいて歌えたんだから」
__数が足らないから、きらく園のあの女の子にでも歌わせてみるか、なんて感じだったんだろうな。
「そうなんじゃないかな、きっと」
__会場は?
「岩見沢の市民会館」
__大きいの?
「かなり。 千人くらい入るんじゃないかな」
__何を歌ったの?
「北島三郎さんの〈函館の女〉を歌ったんだ」
__そのとき、どんな気分だった? 初めて、そんな大勢の前で歌ったわけでしょ?
「何も覚えてない」
__まったく?
「うん」
__あなたは、大事なことを、まるで記憶してないんだから、まったく。こっちの身にもなってほしいよ。
「エヘへ。すみません、と謝まらなくてはいけないんだろうか、あたしは」
__まあ、謝ってくれなくても結構ですが、ほんとに弱ります。で、その歌謡ショーで歌って、その直後に、八洲(やしま)さんという作曲家が……。
「来たわけ。 歌手になる気はないかと言って、あたしに会いに来てくれたわけ」
__それを聞いてくれていたんだね。
「そうらしいの。プロになる気があるんなら、東京に出ていらっしゃい、と言ってくれたの。勉強してみないか、って」
__その八洲さんという人は……。
「八洲秀章という人で、〈あざみの歌〉とか〈山のけむり〉とか、お母さんたちがよく知っている、古い大ヒット曲を作った人なの。紳士な、立派な人だった」
__そうか、その言葉で、東京に出ていくことにしたのか。雪祭りといえば、1月か2月だよね。すぐに卒業の時期になる。
「だから、卒業してから東京へ行くことにしたの」
__不安はなかった?
「別に……」
__ああ、また、あなたお得意の、別に、だもんな。
「だって、しょうがないよ。別に、何てことない成り行きで東京へ出ていったんだから。何がなんでも歌手になるとか、スターになるとかいう考えがあれば、それはいろいろ不安だろうけど、あたしには何もなかったもん。ただ、お父さんお母さんが決めたことに従っただけ」
__東京に出てきて、初めて住んだのは西日暮里だったということだけど、それはなぜ?
「なぜなのかなあ」
__週刊誌によれば、お兄さんが見つけておいてくれた、とか。
「それはないと思うよ。だって、東京に出てきたのは、まずお母さんとあたしの二人だけだったんだから」
__何月何日だか覚えてる?
「覚えてる」
__珍しい!
「だって、それは卒業の日だもん」
__えっ? どういうこと。
「中学の卒業式の日に、旭川を出てきたの」
__当日!
「そう。卒業式に出て、卒業証書をもらって、それから汽車に乗って、東京に向かったの。だから、よく週刊誌に、中学もろくに出ないでなんて書かれるけど、それは間違いなの。中学はちゃんと卒業してるんだ、あたし」
__それまで、どんな遠くに行っても、北海道の外に出ることはなかったわけでしょ? 少なくとも物心がついてからは。
「うん」
__青函連絡船に乗ったとき、寂しくなかった?
「別に」
__で、とにかく、西日暮里にアパートを借りて、やがてお父さんも出てきて……それでどうなったの?
「あたしは、八洲先生のところでレッスンを受けたわけ」
__レッスンっていうのは、どんなふうなことをやるのかな。
「普通に発声の練習をしたり……歌謡曲の歌手の場合は、先生が作曲して、まだ世に出てない曲をもらって、歌いこんでいくというようなことをするんだ。だからって、それが自分の曲になるとは限らないんだけどね」
__でも、それだって、毎日じゃないだろうから、暇なときはどうしていたの?
「それがね、結構、忙しかったんだ。八洲先生が、歌だけじゃなくて、いろんなものを習わせてくれたから。踊りとか、演技とか……」
__踊りって、日本舞踊?
「舞踊アカデミーっていうところで、いろんなことをやらされるの。モダン・ダンスとか……」
__モダン・ダンス? あなたが?
「ほんとに、恥ずかしくて、参りましたよ。ひとつ、やっと覚えたかなと思うと、もう次にいってるし。芝居のレッスンでも、台詞なんて恥ずかしくて言えないじゃない、ほんとに困った」
__八洲さんっていう方は、あなたにとっては、とても感謝すべき人なんだね。
「そうなの。でも、オーディションがうまくいかなくて」
__オーディション?
「新人歌手として取ってもらう前に、レコード会社でテストを受けるわけ。八洲先生はビクターの専属だったから、ビクターでオーディションを受けたんだけど、落とされちゃったんだ。 二度も、ね」
__落ちた理由は?
「よくわかんないんだけど……声があまりにも、齢にしては幼なすぎるとか、ふけすぎてるとか、どっちかで」
__どっちかと言ったって、その二つではえらく違うじゃないですか。しかし、幼なすぎるということはなかったろうから、きっとふけすぎてるということだったんだろうな。
「そうかもしれないね。それに、あたしたちみたいな声って、森進一さんや青江三奈さんが認められるまで、ぜんぜんよくないと思われていたしね」
__あなたが東京に出てきたのは、昭和42年だよね。そうか、それがちょうど声の価値基準が変化する、はざかいの時期だったんだね。
「それに、流しをしていて、声が荒れてただろうし……」
__あなたが流しをしていたって話、よく聞くけど、あれ、ほんとなの?
「うん」
__どこで?
「錦糸町と浅草」
__流しって、呑み屋のノレンをくぐって、お客さん一曲いかがですかっていう、あれでしょ?
「そうだよ」
__流しは、東京に来て、すぐ始めたの?
「そうじゃないんだ。しばらくはモデルをやったり……」
__モデル! あなたがファッション・モデルやってたの?
「すぐ、そういうひどい言い方をするんだからな、沢木さんは」
__いや、そういうことじゃないんだけど、意外だったから、あまりにも。
「フフフッ。でも、ファッション・モデルなんかじゃないんだよ。誰の紹介だったのかな、小さい、いい加減なプロダクションに入っていたことがあって、バイトをしたりしてたんだ。女の子の雑誌の実用記事なんかの、髪型のモデルとか……」
__そうか、髪のモデルか。
「それとか……歌謡番組で、昔、テレビでブルー・コメッツなんかが歌うと、雪景色のセットに、スキーの恰好をした女の子が、白樺の木の横に立ってるとか、暖炉にあたってるとか、そんなのがあったじゃない。横顔とか、後姿だけとか……そんなアルバイトもしたな」
__ハハハッ、後姿だけ……。
「でも、それだけじゃあ、いくらにもならないし……だから、一度はおそば屋さんにつとめたこともある」
__そば屋の店員に?
「日比谷の帝国劇場の地下に、おそば屋さんがあるんだよね。店員募集っていうのを見て働きに行ったの」
__へえ。
「でも、一ヵ月くらいでやめちゃった」
__つらくて?
「そんなことでやめるわけないじゃない。そこの店長っていうのかな、責任者の男の人が……誘うわけ。制服みたいの貸してくれて、それをロッカーで着換えるんだけど、終わるとその入口で待っていて、毎晩、誘うんだ、お茶を呑みに行こうとかなんとか。いつも断っていたんだけど……それがいやで、やめちゃった」
__そうか。当然そういうことがあったろうな、あなたなら。
「それ、どういう意味?」
__えーと、だからさ、その頃のあなたは、一生懸命で、健気に生きている、可愛い少女だったろうから、ぼくが店長でも……そのそば屋の店長だったとしても、毎晩、同じように張り込んでいたろうな。
「いまだったら?」
__ハハハッ。それは、一考の余地があります。
「変ってないんだけどな、あたしは。あの頃も、いまも……」
__そうかな?
「そうでもないのかな……」
__どうだろう……。
「そうだ、それに、北海道に歌いに行ったこともある、その頃」
__デビューする、ずっと前の話でしょ?
「そう。八洲先生がね、北海道の温泉の歌を作って、その発表会に連れて行ってくれたの」
__あなたが歌ったわけ?
「うん。層雲峡音頭とか小唄とかいうんだけどね。そうだ、その帰りに、どこかのキャバレーで仕事もしたなあ。夜は、ホステスさんたちが泊っているところに、八洲先生と泊ったの。同じ部屋なんだよね、これが。あたし、まだ子供だったけど、なんとなく危険を感じて、八洲先生に言ったんだ。あたし、あっちでおねえさんたちと寝ます、って。もちろん、八洲先生って、絶対そんな変なことをするような人じゃないんだよ。でも……恐かったんだろうね。初めてだったから、よその人と二人だけで、寝るなんて。だから……」
__そうしたら、八洲さんは、何とおっしゃったの?
「ああいう人たちは、女の人でも恐いんですよ、って」
__ハハハッ、そいつはいい。
「ほんとに、そう言ったんだよ。だから、あたし、子供で何も知らないから、そうなのか、こういう女の人たちは恐いのかって、その理由もわからないままに、そう思ったの」
__で、八洲さんと同じ部屋で寝たわけか。
「うん。固くなって、横になってた。別に何もなかったけど、ね。 八洲先生がそんなことするはずないもん」
__そうか……そんなこともやってたんですか。
「やってたんだ」
__そのうち、流しをするようになったんだね?
「そう」
__あなたが16か、17の頃……。
「そうだね。沢ノ井さん家に下宿するまでやってたから、そう、16から17歳のときだね」
__ひとりで流してたの?
「そうじゃないんだ。お父さんとお母さんと3人でやってたの。お父さんとあたしがギターでしょ、それにお母さんが三味線を持って、一軒一軒まわってたんだ」
__はじめは、お父さんとお母さんだけでやってたんでしょ。どうしてあなたも一緒に流すことになったの?
「それはね、簡単な話なんだ。つまりさ、お父さんとお母さんだけじゃ稼げないわけ。生活できないわけ。あたしも歌手になれそうもないし、あるとき、お母さんに、純ちゃんすまないけど、一緒に流しをしてくれないかいと言われて、あたしも別にかまわなかったから、その翌日から錦糸町に出たんだ」
__いやじゃなかった?
「仕方ないよ、いやなんて言えないよ」
__それはそうだよね……。
「なんか、流しにも元締めみたいな人がいるでしょ。その人に話を通してみたら、遠くから出てきて可哀そうと思われたらしくて、やらせてくれることになったらしいんだ」
__初めての夜は、どうだった?
「それは……恥ずかしかったよ」
__どんな恰好で流したの?
「どんなって?」
__服装。
「ああ、普段、着ているようなボロ」
__ギターは?
「これもガタガタのやつでね」
__そのギターで、お客さんの伴奏をつけてたの?
「そうじゃなくて、ほとんど自分が歌ってた。3曲歌って、二百円もらうの」
__変な客はいなかった?
「変なって?」
__からかったり、さわったり。
「それはあんまりいなかったなあ」
__お父さんと一緒にいたせいかな、それは。
「そうかもしれないね」
__どんな歌を歌ってた?
「いろいろ……言われて歌えないのも口惜しいし、歌詞カードを見ながら歌うのもいやだから、家で懸命に覚えたな、いろんな歌を」
__しかし、あなたみたいな女の子がギター抱えて店に入ってきたら、これはびっくりするだろうなあ。
「そんなことないよ。そんなことで驚くような世界じゃないよ、夜の世界なんて」
__でも、あたなみたいな女の子の流しなんて、錦糸町にも、浅草にもいなかっただろうからなあ。
「そりゃあ、そうですよ。だから、どんな不景気でも、仕事はあったんだから」
__やっぱり、びっくりするよ。……錦糸町までは国電で通ってたの?
「うん。西日暮里の駅から電車に乗って……そう、よく通ったなあ。親子3人で、ギターと三味線を抱えて……錦糸町まで……」
【解説】
八洲秀章さんに見出されて東京で歌手の修行。
生活を支えるために両親と一緒に流しで歌う。
けなげな藤圭子さんのデビュー前の姿が浮かび上がります。
獅子風蓮