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獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その63

2025-04-22 01:17:35 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
■第4章 「国策捜査」開始
 □収監
 □シベリア・ネコの顔
 □前哨戦
 □週末の攻防
 □クオーター化の原則
 □「奇妙な取り調べ」の始まり
 □二つのシナリオ
 □真剣勝負
 □守られなかった情報源
 □条約課とのいざこざ
 □「迎合」という落とし所
 □チームリーダーとして
 □「起訴」と自ら申し出た「勾留延長」
 □東郷氏の供述
 ■袴田氏の二元外交批判
 □鈴木宗男氏の逮捕
 □奇妙な共同作業
 □外務省に突きつけた「面会拒否宣言」
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


第4章 「国策捜査」開始

袴田氏の二元外交批判

袴田氏の供述は、私の背任を裏付ける上で、検察庁に少なからぬ貢献をした。
「テルアビブの京都という日本料理屋で、今回の出張は支援委員会からカネが出ていて、前島君が努力したという話は学者たちにしているぜ。少なくとも支援委員会の仕組みに通じている袴田さんはわかっている筈だ」
「学者はみんなそんなことは知らないと言っているよ」
「変な話に巻き込まれて、迷惑千万といったところか」
「そんなところだな。そもそも大学教授といった連中は、普段はエラそうなことを言っているんだけれど、警察や検察にはとっても弱いんだよ。特に昔、学生運動で捕まったことのある連中にその傾向が強い。あんたの関係でもみんな全面協力だったな」
「袴田さんはどうだったかい」
「はじめ、えらく口が重いんだ。何度も『被疑者は誰ですか』、『被疑者は誰ですか』と聞いて、なかなか供述に応じようとしない。供述調書にするときも、『容疑が書かれていないけど何に使われるのか』とえらく気にしていたよ。蓋を開けてみてよくわかったけれど、袴田はこの件に深く関与している。だからこんなに気にしていたんだ」
「自分のことしか考えていないんだ」
「そういうこと。嫌な奴らだね。大学教授って」
「今回の事件を通じて日本の大学に就職するつもりはなくなったよ。もっとも今の大学は前科者はとらないだろうから、いずれにせよ就職できないだろうけどね」
「そうでもないと思うよ。大学は最も前科者の多い所じゃないかな。安保や全共闘世代にはほんとうに前科者が多いよ。あなたなら再就職なんて心配ないよ。この公判を早く終わらせて、とりあえず外国に2、3年行ってほとぼりを冷ましてから、きちんとした日本の大学に戻ってくればいいじゃないか」
「その気にはならないな。ああいう人たちとはもう極力付き合いたくない」
「わかるよ。袴田なんか野中広務が北方領土問題で変な発言をして、それを袴田が批判したら、その後、君と鈴木宗男にひどい目に遭わされたので、あの二人は徹底的にやっつけてくださいという話だったぜ」
ここでいう「変な発言」とは、2000年7月27日、野中広務自民党幹事長が講演会で、「一つの前提を解決しなければ友好条約なんてありえないんだという考えではなしに」と北方領土交渉へプーチン政権を誘う発言をしたことを指すのだろう。私は続けた。
「具体的に何をされたって言っているの」
「青山学院大学との交流を妨害されたと言っている」
「とんでもない言いがかりだな。小渕さんのイニシアティブではじめた日露青年交流の窓口が青山学院に独占されている状態だったことには、外務省内からもアカデミズムからも批判が強かったんだぜ。青山学院にはロシア学科もなく、ロシア語を話せる学生もあまりいないのに、何で外務省は青山学院の学生との交流だけにそんなに梃子入れするのかとね。
ロシア学科ならば東京外国語大学、早稲田大学、上智大学など老舗があるし、東大にだってロシアを勉強している学生はいる。青年交流の訪問先が青山学院から東京外国語大学に変わったのは確かだけど、それは恨まれる筋合いの話じゃないな。現に外語大学の方がロシア語を話す学生も教師も多いから、交流の目的合理性からしても十分説明のつく話だ。それに僕はこのことで袴田さんに文句を言われたことはないよ」
「向こうはどこかに君を呼びつけて、厳しく非難したと言っているぜ」
「僕は記憶力はそれほど悪くないけれど、そんな記憶は全くない。2001年になってから在京ロシア大使館の幹部が、袴田さんが『実は私の考えは末次一郎先生よりも鈴木宗男さん、佐藤優さんに近いのですが、その辺が関係者によく理解してもらえないので』との釈明をしたので、その幹部は『袴田先生の言動はきちんとフォローしていますが、今の日本政府の考えとは相当開きがあるようですね』と対応しておいたという話を聞いたことはよく覚えているよ。
それで、対露政策については何と言っている」
「鈴木や佐藤はとんでもない二元外交をしていたと非難していたよ」

現役時代、日露関係のオピニオンリーダーである袴田茂樹青山学院大学教授に対しては、私も最大の配慮をしていた。極秘裏に進められていた2000年12月25日の鈴木宗男―セルゲイ・イワノフ会談についても、袴田氏には12月24日、成田空港からヘルシンキ経由でモスクワに向かう際に、「私はちょっと機微な用事でこれからモスクワに行く」という電話をして、ヒントを与えている。
その時、袴田氏は「雑誌原稿の締切があるので、至急鈴木宗男さんと会いたいのだけれど、どうして実現してくれないのだ」と詰問調だった。鈴木氏にそのことを伝えると「学者先生の雑誌原稿の締切に俺の日程を合わせることはできないな」と苦笑していた。
検察側の主張によれば、国際学会の帰路に、末次氏、袴田氏のモスクワへの私的旅行に支援委員会の資金を拠出したことが私の背任の論拠のひとつになっている。しかし、私がいくら袴田氏と親しくともそれが私的旅行であった場合に公金を支出するような乱暴なことはしない。それにもし、袴田氏が私的旅行に公金支出を要求したとすれば、その要請自体が違法であり、もしそのような経緯でカネが支出されたならば、刑事責任が追及されるべきである。私はこのときの袴田氏のモスクワ訪問は、公的なものであり、ロシア情報収集の観点から、そしてその情報が対露支援に役立つとの観点から全く問題ないと考えた。
現にモスクワで袴田氏は、コスチコフ元大統領報道官、サターロフ元大統領補佐官、シェフツォバモスクワ・カーネギーセンター上級研究員、ルシコフ・モスクワ市長、プリマコフ元首相などと会見し、その報告電報も外務省に送られている。この点について袴田氏はどのように供述しているのであろうか。
袴田氏の02年5月29日付供述調書が私の公判で、証拠に採用されたので、興味深い部分を正確に引用しておく。因みに、この調書には、〈お示しの新聞記事の写しは、先日、私が提出したものです(12頁)という記載があるので、5月29日以前に少なくとも一回、袴田氏は検察と接触している。

〈……私も末次氏とともに、日露専門家会議等で交流のあったロシアの専門家との意見交換や、下院議員である私の妹(イリーナ・ハカマダ国家院議員)もモスクワにおりますので、私の方から、国際学会終了後、モスクワを訪問したい旨の希望を、佐藤さんか、前島さんだったという記憶ですが話をしたと記憶しています。その際、私は、プライベートに関わる滞在でもあり、モスクワでの宿泊代は私が負担すると申し出たのですが、結局、佐藤さんか、前島さんからでしたが、ロシアへの専門家への派遣として、費用は外務省で負担するとの話があったと記憶していますし、そう言っていただけるのであればという気持ちでおりましたが、私のモスクワの宿泊費や日当についても外務省が負担してくれるのだと思っていました〉(8頁)

私は袴田氏から直接、あるいは前島氏を経由しても「プライベートに関わる滞在でもあり、モスクワでの宿泊代は私が負担する」という話を聞いたことはない。この点は記憶がはっきりしている。

袴田氏の二元外交批判については西村検事の話と以下の部分が符合する。

〈……私が勤務する青山学院大学では、積極的に外務省が行う日露青年交流事業に協力してきたのですが、それすら、圧力をかけられ、交流事業が行えない状態になりました。そのため、私は、同年(2000年)12月に、ロシアを巡る二面外交(供述調書のママ)として新聞紙上をにぎわせた問題が起きた際、12月30日との記憶ですが、都内のホテルで佐藤さんと会い、佐藤さんや鈴木議員の対ロ政策を強く批判するとともに、大学の交流にまで圧力をかけるやり方を強く非難したことがありました〉(4―5頁)

この日、袴田氏の要請に応じて、私がホテル・ニューオータニ本館ロビー階のコーヒーショップ『サツキ』で会ったことは事実だ。袴田氏の主たる関心は、同氏が今後、マスメディアで発表する際の参考として、オフレコ・ベースで鈴木・イワノフ会談の内容を教えて欲しいということだった。私はぎりぎりのところまで袴田氏に説明した。
袴田氏からは「末次一郎氏と鈴木宗男氏の対立に憂慮している。私と末次氏の考えが全面的に一致しているわけではない。目標は一緒なのだから、私と佐藤さんが仲介役になろう」という話があったが、私は「二人とも政治家で、政治家の対立の仲介役に少なくとも私はなれません。それにロシア人は『二つの椅子に同時にすわることはできない』と言うが、私は鈴木宗男の椅子にすわっています」と答えた。
大学交流について非難されたことはない。決して険悪な会合ではなかった。しかも、2600円のコーヒー代は私が負担している。一般論として、相手に本気でクレームをつけているにもかかわらず、相手方に費用負担をさせることはない。
それではこの国際学会の意義について袴田氏はどう供述しているのであろうか。

〈今回のテルアビブで行われた国際学会は、先程も述べたように、我々学者にとっては、純粋にロシア認識を深めるものでしたし、この目的から見てこの学会は極めて有意義であったのは間違いないことです。この深められたロシア認識をどう利用するかは政策レベルの問題であり、われわれ学者の関与すべきことではないと考えています〉(17頁)

袴田茂樹教授は、現在も日本外務省の対露政策策定における有力なブレインで、「政策レベルの問題」に深く関与している。外務省からの委託に応じてロシアのみならず中央アジア諸国にも頻繁に出張している。

 


解説
私も末次氏とともに、日露専門家会議等で交流のあったロシアの専門家との意見交換や、下院議員である私の妹(イリーナ・ハカマダ国家院議員)もモスクワにおりますので、私の方から、国際学会終了後、モスクワを訪問したい旨の希望を、佐藤さんか、前島さんだったという記憶ですが話をしたと記憶しています。その際、私は、プライベートに関わる滞在でもあり、モスクワでの宿泊代は私が負担すると申し出たのですが、結局、佐藤さんか、前島さんからでしたが、ロシアへの専門家への派遣として、費用は外務省で負担するとの話があったと記憶しています……

この袴田氏の供述は重要です。
袴田氏自身が、国際学会終了後のモスクワ訪問を私的なものと認めているのです。
それなのに佐藤氏あるいは前島氏が、支援委員会の費用を使って、わざわざその費用を出したというのです。
税金の使い方として「背任罪」に問われてもしかたのないことかもしれません。

 

獅子風蓮



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