友岡さんが次の本を紹介していました。
『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)
出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。
さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。
■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第1部「福祉との出合い」
□第2部「司法と福祉のはざまで」
□第3部「あるろうあ者の裁判」
□第4部「塀の向こう側」
□第5部「見放された人」
□第6部「更生への道」
□第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに
第1部「福祉との出合い」
=2011年7月2日~8月2日掲載=
(つづきです)
3)母の死
ただ一人の味方失う
「二度と来るなよ」
刑務所を出所する日には刑務官が見送ってくれた。刑務作業の報酬に当たる「作業報奨金」も一緒に渡される。月数千円。3年服役しても8万円ほどにしかならなかった。
身寄りも、定職もない受刑者が自ら衣食住を調え、社会復帰するには到底足りない。高村正吉(60)=仮名=はしかも、解放感に任せて、出所するとすぐにその金をパチンコで使い果たしてしまった。
自暴自棄とは少し違う。「金を使っちゃダメだって頭では分かってるんです。でも、自分ではどうしても止められなくて」。高村は、子どもが叱られたときのように首をすくめた。出所後はいつも、無一文からのやり直しだった。
高村は20代半ばから、五島市の母の実家で暮らした。父を早くに亡くしてからは母と2人暮らし。実家に戻っても働き口は見つからず、母のわずかな年金が生活の糧だった。金が底を突き、後先考えずに、近所の家に盗みに入ったこともある。
実家の近くに住む男性は今も、高村に対する嫌悪感を隠そうとしない。
「貯金箱を取られたり、香典を持って行かれたり。みんな被害に遭った。昔はのどかな集落だったのに、あいつが来て変わってしまった。もう二度と、ここには戻って来てほしくなかね」
誰も、高村の障害や貧しさなど知る由もない。「生きたい」ともがくほど、疎まれ、周りの人たちは離れていった。貧困、孤立、そして犯罪―。「負の連鎖」を断ち切るすべは、高村にはなかった。
長崎刑務所で11度目の服役中だったある日。刑務作業で風呂掃除をしていた高村に、刑務官が近付いてきて言った。
「おふくろさんが亡くなった」
刑務所や拘置所に度々面会にやって来ては、着替えやお菓子を差し入れしてくれた母。わずかな年金から搾り出したのだろう、刑務所に時々、一万円札が2枚ずつ届いた。たった一人の「味方」を失った気がして、高村は独房で、布団をかぶって涙を流した。
悲しげな母の面影ばかりが浮かんで、また泣いた。
「罰が当たった」と自分を責めた。
見知らぬ男が面会にやって来たのは、ちょうど失意に沈んでいたころである。 面会室で向き合ったスーツ姿の若い男は、
「長崎県地域生活定着支援センターの者です」 と名乗った。
(つづく)
【解説】
知的・精神障害があるのに、福祉の支援を受けられず、結果的に犯罪を繰り返す人たち……
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」たちの多くは、社会で孤立し、生活に困窮した挙げ句、罪を重ねている。
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」を支えるのは、法律でしょうか。
制度や組織でしょうか。
ボランティア活動でしょうか。
宗教でしょうか。
友岡さんは、どういうアプローチができると考えていたのでしょう。
獅子風蓮