★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

いじめと寒さ

2023-12-30 18:35:33 | 文学


藤壺・弘徽殿との上の御局は、ほどもなく近きに、藤壺の方には小一条の女御、弘徽殿にはこの后の、上りておはしまし合へるを、いとやすからず、えやしづめがたくおはしましけむ、中隔ての壁に穴を開けて、のぞかせ給ひけるに、女御の御かたち、いとうつくしくめでたくおはしましければ、「むべ、時めくにこそありけれ。」と御覧ずるに、いとど心やましくならせ給ひて、穴より通るばかりのかはらけの割れして、打たせ給へりければ、帝のおはしますほどにて、こればかりにはえ堪へさせ給はず、むつかりおはしまして、「かうやうのことは、女房はえせじ。伊尹・兼通・兼家などが、言ひもよほして、せさするならむ。」と仰せられて、みな殿上に候はせ給ふほどなりければ、三所ながらかしこませ給へりしかば、その折に、いとど大きに腹立たせ給ひて、「渡らせ給へ。」と申させ給へば、「思ふにこのことならむ」とおぼしめして、渡らせ給はぬを、たびたび、「なほなほ。」と御消息ありければ、渡らずはいとどこそむつからめと、恐ろしくいとほしくおぼしめして、おはしましけるに、「いかでかかることはせさせ給ふぞ。いみじからむ逆さまの罪ありとも、この人をばおぼし許すべきなり。いはむや、まろが方ざまにてかくせさせ給ふは、いとあさましう心憂きことなり。ただ今召し返せ。」と申させ給ひければ、「いかでかただ今は許さむ。音聞き見苦しきことなり。」と聞こえさせ給ひけるを、「さらにあるべきことならず。」と責め申させ給ひければ、「さらば。」とて、帰り渡らせ給ふを、「おはしましなば、ただ今しも許させ給はじ。ただこなたにてを召せ。」とて、御衣をとらへ奉りて、立て奉らせ給はざりければ、いかがはせむとおぼしめしてこの御方へ職事召してぞ、奉るべきよしの宣旨下せ給ひける。これのみにもあらず、かやうなることども多く聞こえ侍りしかば。

村上天皇と安子の争いの場面は教科書にも載っていたような気がするが、どういうつもりの話なのか昔からわからない。すくなくともわたくしは全く笑えないからだ。女の嫉妬ばなしというのは嘲笑のネタでもあるが、また桐壺の例のように度を過ぎると嘲笑ですらなくなる。ポイントは話のもっていき方にもあるだろうが、ここでは瓦の切れ端を壁の穴をあけて投げるのと、通り道にウンコをぶちまけておくことの違いがやっぱり問題だ。

平安朝の貴族達が排泄物の問題をどうしてたのかはいろいろ研究があるのだろうが、身近であったことは確かであろう。案外、おまるが主流の社会では、いまの水でヨコの配水管のなかのウンコを押しながしてゆきますよ、みたいな身近さに近かったのではなかろうか。我々は近いものに影響を受ける。最近の★便はあまり落下せずに水に流れながら自己崩壊して行くのであるが、まさに現代人みたいだ。むかしのぼっとんでは決死に落下したあげく仲間と団結してバキュームカーとの決死の対決をする。冬なんか凍っても更にガンバル。考えてみると、むかしの「このクソ野郎」という罵倒は火野葦平の「糞尿譚」程度のリスペクトはあったとおもうのだが、いまやほんとの蔑視に成り下がってしまった。

そういえば、――風上に置くと臭気がながれてきて堪えられないから風上に置けないというんだとおもうが、むかしの人は実際に臭うものはさしあたりどかさなきゃならなかった。いまは消臭マシーンや芳香剤とかでごまかせる。平安朝もそうやってお香を使っていたのかも知れないが、いまよりはいろいろ臭っていたに違いない。匂いと光が我々の生と関係がある程度には重要なのは、源氏物語に端的に表れていよう。

枕草子には、
  またさらでもいと寒きに
  火など急ぎおこして
  炭もてわたるも
  いとつきずきし
  昼になりてぬるく
  ゆるびもてゆけば
  火桶の火も白き灰がにちに
  なりてわろし

という有名なところがあり、なにが「わろし」なのか平民のわしには全く理解できないが、寒いよ寒いよと歎きがないのはなんとなく推測できなくはない。むかしの暖房?は焚き火の延長で暖まるというより、体を芯から炙るかんじであった。これが温風で空気を暖める方式に変わってるわけだが、頭がぼうっとして体は冷えてる感じがおさまらない。

ただの風邪かもしれない。


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