★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

闇の世界における安易さ

2024-05-25 23:17:50 | 文学


私は建築のことについては全く門外漢であるが、西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く高く尖って、その先が天に冲せんとしているところに美観が存するのだと云う。これに反して、われわれの国の伽藍では建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇が作り出す深い廣い蔭の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にたゞよう濃い闇である。時とすると、白昼といえども軒から下には洞穴のような闇が繞っていて戸口も扉も壁も柱も殆ど見えないことすらある。

――谷崎潤一郎「陰影礼讃」


仕事の時間まで藤原安紀子の詩集を読んでいた。現実に内属しすぎると何が何だかわからなくなる。最近の世の中は、皮膜がわからなくなった白夜の段階をすぎて、谷崎の言う闇の世界になっているのではなかろうか。

家庭も労働も勉強もすべて、当初おもっているよりも簡単じゃなく、ものすごく難しいものだ。特に最初にやつにかんしては、労働を平等に分配すれば即カンタンになるほど楽なことではない。もともと技術や方法論が複雑になっていた分野なのである。家事労働とカンタンに片付けたリベラル風な思想は処方箋化してもそれ自体はつかえない。障害者差別などにもおなじことがいえる。

吹奏族として経験で学んだことと言えば、どんなに人が「協力」しようとしても、個人の力量が上がらない限りどうにもならないという身もふたもない現実である。

教育実習で多くの学生が経験するのは、人を注意するというのも予想してたよりかなり難しいことだという現実である。まだ教師の立場に僅かに残っている権威とかでどうにかなることもあるが、それがない場合はとても大変である。家庭や会社でもそもそもその前提が安易に考えられすぎている。で、気がついたときには組織をピラミッドにしたり評価をちらつかせたりする手に出てしまう。こういう傾向と、人間よりも自然だとか環境だとか暴力的な転倒に影響を受けているインテリの傾向は、関係がある。――むろん、いまは「手に出てしま」った自覚すらなくなった段階である。


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