★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

リップヴァンウィンクルの嫁はん、いや花嫁

2017-12-12 12:49:02 | 映画


まあ観とくかという感じで観たら、結構な傑作だった模様の「リップヴァンウィンクルの花嫁」。黒木華は新たな岩井俊二の脳内ミューズといったころであろうが、このひとは「小さなおうち」だったか?のお手伝いさんの印象が強くて、花嫁というより「嫁はん」と言った方がよい感じでイメージしていたが、さすが岩井俊二先生、三時間の黒木さんの大CMを撮った。すごい。

黒木さんを「日本的美人」みたいなくくりで世の中の空気を操作しようとしたそこのあなた

「あなたはん地獄に行きなはれ」


というか、岩井氏の映画の妙なところは、主役の女子がお人形さんみたいに撮られているにもかかわらず、妙に我々観客の鈍くささみたいなみたいなところが奇跡的に美しく出てきたような夢のような感じを体現していることである。この映画の黒木さんも、えーあっ えっと すみません、みたいな反応の人であるのであるが、きわめて我々に似ている。別に「不思議ちゃん」ではない、もっと我々に似ている。えーあっ えっと すみません、というあり方は一種の「世間」への絶望の表現なのであって、それがひょっとすると絶望自体が夢を見ることがあるかもしれないみたいな――そんな感じが我々の自意識に似ているのである。それが、もっと世間を泳ぎ切る自意識の形をとると、黒木さんをだましてCoccoさんに会うように仕向ける綾野剛みたいな詐欺師的キャラクターになる。二人は若い世代の象徴であり、われわれでもある。

だから、いつもこの人の映画は、人々の救済がテーマである。

Coccoが出ていたのもちょっとびっくりしたのであるが、このひとまだちゃんとしてたんだというか、もう行く末を心配するほどの歌声だったので……。この人の役は、ちょっと以前の女の人という感じだろう。この人が、死ぬ前に黒木華にしゃべっていた恐れがすごかった。それは、昔風過ぎてめまいがするほどの、――すなわち、金銭的なやりとりすべてが優しさのやりとりであるという夢である。これはある意味恐ろしいことである。そんなコミュニケーションをとっていたら人は大変だ。彼女がやっているAV女優とかの仕事はできなくなってしまう。一方、彼女は末期ガンなので、最後に黒木さんに優しさを送られて死んでゆくことを選べた。死が夢でもあることがあるのである。

わたくし個人は、この結末はいやだった。

八〇年代に青春時代を送った我々は、このように若い世代に優しく葬送されよと言われている気がしたからである。確かに、黒木華みたいな学生は大学にあふれている。われわれだってそんな感じになりつつある。綾野みたいな男もいそうだ。もっとも、あれほど鋭くはない男も多いので、男版黒木さんみたいな者が多い。

――絶望やら希望やらの混じったお人形さんのふりではないもっと直截な生き方があるはずである。実際、仕事はただするのではなく「いい」仕事をしなきゃならんのだから……


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