住吉神社は女木島。鳥居には「住吉太神宮」とあり。
この神社はこのお祭りで有名。
女木島 住吉神社大祭 @住吉神社
神輿まくりじゃないかっ
既に八幡と元宮社で記したように、神功皇后が「三韓征伐」のときに嵐に遭って女木島に寄って無事を祈念したという。「三韓征伐」自体が、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神が皇后に神がかりして「俺たちを祀れば熊襲なんてほっといて三韓はすぐ降伏だ」とかなんとか言ったので行われたのだ。最近なんかもたぶん政府のいくらかは神かがりして「セクシーとは魅力的である」とか言っているのであるが、それはともかく、「三韓征伐」が熊襲殲滅よりセクシーだと思われたのであった。(たぶん、どっちも自信がなかったとみた……)この三神は、イザナギが黄泉国の汚れを禊ぎしたときに、瀬の深いところ、中間、表面から生成されたのであった。確かに、水の恐ろしさは、深さが分からないところがある。海が荒れてるというのは、表面なのか、深さからなのか……。よく分からんが、これは、津波の場合と嵐の場合の双方を考えていたことになるのではなかろうか。たぶん違う。我々の意識のなかには、こんな海のような二枚舌的なものがあるのではなかろうか。二枚舌というのは、恐怖がそのひとにとって二回あったのだと思う。
拝殿。
陶器狛犬さん。
本殿
『香川県神社誌』によると、これは猿田彦神社である。明治四四年に合祀。八幡も、境内社が合祀されたのは四四年であった。『善の研究』の頃である。漱石も博士号を辞退した。鷗外は「妄想」で海をぼーっと眺めていた。
その翁の過去の記憶が、稀に長い鎖のやうに、刹那の間に何十年かの跡を見渡させることがある。さう云ふ時は翁の炯々たる目が大きく睜られて、遠い遠い海と空とに注がれてゐる。
これは走馬燈ではない。海の深さみたいなものを拒否した、「思想」の時間なのである。