★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

神の斎垣を超えた道長を逮捕せよ

2024-02-13 20:09:49 | 文学


ちはやぶる 神の斎垣も越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに

道長に横恋慕され、紫式部と結婚したいわたくしですが皆様いかがおすごしでしょうか。


十二単衣をきてみたい。

子どもの頃の読解力というのはおおらかでいいこともある。魯迅の話はたいがい日本のものだと思ってたし、ジョン・トラボルタの「グリース」みて高校ってこんなに踊ったり跳ねたりしてるのかと思って恐怖を抱いた。つい、緻密な読みとか言っているとそういうものを忘れる。考えてみると、いまも大してかわっていない読解力であるようだ。

研究の練習擬きをしたから、ユングが易経引いた部分どこだっけと思って、1分後に見つかるという僥倖、こういうのは一年に一回ぐらいある。わたくしが、紫式部オタクさんたちと違うのはこのような部分だけであろう。

「グリース」とかを思い出してみるに、日本でのギャップ萌えみたいなのは、性格と行うことの違いのような表象である思うが(適当)、アメリカの女子高校生は、お姫様とストリートガールのごとき、恐ろしい両面性が期待されてそうだ。そりゃ女学生も暴れざる得ないわけだ。Taylor Swiftを初めて聴いたが、実に体幹がしっかりしていると思った。アメリカの女性スターはなんか馬の下半身みたいなものをもっているような気がする。我が国では、両腕がだらんとして腰までがふにゃっとしている。何かに掴まるか、地面に手をつきそうな感じがでている。

清・少納言であって、清少・納言にあらずと大河ドラマを見た人は気づいたであろう。しかしまあどっちでもまあいいかである。わしは、ただ、枕草子の作者はだれですかという問題に「奥の細道」とか答えてほしくないだけなのだ。また、逆に、発音が一緒だからと言って、「破戒」を「破壊」と書いてはいかん。世の中には超えてはいかんものがあるのだ。

神の斎垣を超えた道長を逮捕せよ。


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