★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

はかなきほどの下衆

2019-04-13 23:16:31 | 文学


「誰が詣でたまへるぞ」
と 問ふめれば、
「内大臣殿の御願果たしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」
とて、はかなきほどの下衆だに、心地よげにうち笑ふ。


源氏が中央に復帰した。で、御願果たしの住吉詣でをした。たくさん引き連れていった。そこに明石の君の一行も来てしまった。で、明石の君の従者が聞いたら、「源氏の君が御願果たしに来てるのを知らない奴もいるんだ(笑)」と下っ端の下人が笑ったのである。まったく、下衆どもはいつの世にもいるものである。

「最後に問う。弱さ、苦悩は罪なりや。」(如是我聞)と言ったのは太宰だが、太宰は罪の定義をしようとして案外失敗する。明石の君の場合は、こういう目に遭ってしまうこと自体が罪であった。

何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ、かかりける御響きをも知らで、立ち出でつらむ

この前ハイエクの『隷属への道』を読んでいたら、「なぜ最悪の者が指導者となるのか」という有名な章があった。――確かに、源氏は別に独裁者ではないが、それなりの理由があって下野していた人が再び偉くなると周りにいた人々のうちのゲスな人々が息を吹き返し、下手をすると、そのゲスにおだてられているうちに自分もゲスに……、ということになりかねないのであるが、さすが源氏は明石の君とは別次元で(つまり現実で)罪を多数犯しておる男、自分が正義だとは信じられず、ゲスどもは相手にせず、明石の君に歌など贈ってしまうのであった。政権復帰した自民党が前よりもゲスになっているのとは違う。

みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな


しかし何が「えには深しな」じゃ。こういうことを言っているから源氏は沢山の縁を結んでしまうのだ。ここまで行くとうらやましくなってくる。民主党その他はもしかしたら本能的に源氏になりたいのかもしれない。


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