★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

【地獄的】口頭試問+【謝恩会】

2024-02-09 23:26:16 | 大学


卒業論文口頭試問と謝恩会が終わって一段落である。

コスパ的卒業論文はありえない。授業のためとはいえ、なにゆえわたくしが「推しが武道館いってくれたら死ぬ」をかわにゃならんのだとはわたくしも思うわけだが、すべて様々なもののために必要なのである。以前から申し上げているように、コスパ的生き方というのは誰かに仕事を押しつけている/そして自分の体力のためにさまざまな人の仕事を無視する、という意味で卑怯なのだ。――というわけで、わたくしは、上のマンガから、推しに崇高さがあるとしてそれはやはり崇高さに止まるのではなかろうかという認識を得た。

しかし、思うに、いろんなことをしておりますみたいな人物がどことなく信用できないという若者達の感覚もわかるような気もするのだ。昨日は、『週刊東洋経済』に載っていたアニメの特集をみていたら、なんとか証券のなんとか審議会のなんとかいう人物が1文字も役に立たなさそうな記事を載せていた(文章は、「構成」の人のもの)。所謂「マルチ」みたいなキャラクターが例外なくやばいやつであるというのはイメージ以上の現実を構成している。

押見修造というのはどうみても現代最強のリア充(獣)作家である。彼の作品は、同じ路線で恐竜のような進化を志向している。マルチなのではない。

「夜半の寝覚め」の主人公の娘って、太政大臣の娘であった。まあすごい世界である。政治と色好みが空間的につながっているかんじなのだ。しかし、この作品の音楽の位置づけが途中でそれほど意味を持ってないようにみえるのも、作者がマルチみたいな人間を信用しない証拠のように見える。


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