なるほど、そう言えばそんなことがあつたのを、佐太郎は記憶の底から引ツぱり出した。あの神明社のお祭の少しあと、稲刈にかかる前の山の草刈で、馬の背に刈草をつけての戻り路、佐太郎は途中で自分の家の馬におくれて歩いている初世を追い越した。
初世の手には、何本かの真赤な山百合の花が握られていた。
「きれいだな」
と、思わず振り返つた途端、初世はバタバタと追いかけて来て、黙つて百合の花を差し出した。
「呉れるツてか」
何気なく受けとつて、佐太郎はドンドン馬を曳いて行つた。
今になつて考えてみると、なるほど初世はそのとき、何か思つている顔つきであつた。
「そうかそうか、百合の花なあ」
佐太郎は語尾を長くひつぱつて、深くうなずいた。
――伊藤永之介「押しかけ女房」
関係ないのだが、夢野久作がその多くの作品の中に何回「馬鹿」と書いたのか気になった……。