★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

The Inner Light

2011-06-26 03:39:13 | 映画


「スタートレック」は実はあまり見ていない。傑作選ぐらいしか……。日本であまりこのドラマが大衆性を持たなかったのは、このドラマが「世界とわたくし」の問題を扱う私小説的なものではなく、「おれたちとかれら」の問題を扱う政治小説的なものであるからだろう。民主主義はおしつけていいのか、正義とは何だろう、暴力とは何だろう……リーダーとは何だろう……、理性と感情とは何だろう……といった問題が、異星人との交渉にあたって、戦争を回避するための決断の必要上現れる。エンタープライズに乗っている頭脳集団は、船長の下一生懸命働くわけだが、故に、その船長は、副長とともにかなりのインテリであり、行動力がある、というのが前提である。これに較べれば、円谷プロのドラマで、怪獣と闘う人達など、あまりにも智慧がなさそうな武力集団であり、侵略者と交渉する以前にすぐぶっ放してばかりいる。こんなガキだから、超人がいつも助けに来るのである。

私は、カーク船長とミスター・スポックがでてくる最初のシリーズの方が好きな気がしていた。カークもスポックも「大人」っぽかったからである。対して、「新スタートレック」にでてくる、ゲオルク・ショルティピカード艦長は、すぐ拉致されるし、だいたい、ブリッジにカウンセラーがいて、心のケアをしているのが気に食わぬ。軍人の癖にテメーの心の傷は自分で何とかせい、といいたい。というのは冗談であるが、「むかしはやんちゃだったが、いまは冷静沈着になった。人生は意味があるっ」と言いたげなピカード艦長が、「子ども」に見えたのである。

とはいえ、この前、「新スタートレック」の「225話 The Inner Light」という話を観て、やっぱり脚本を作っている連中は智慧があるなあ、と感心した。

ある滅びた星の人類が打ち上げた衛星からの通信がピカードの頭に作用し、別の人生(──その滅びる前の星での人生)に連れ出す。独身のピカードは、そこでは結婚しており、笛の演奏が好きな職人である。子どもをつくり、妻と死別し、孫と遊ぶ様な年齢まで次第に老いて行く。その幻は、その星の人間が自分たちの生を伝えるために仕組んだことであった。通信が途絶え、我に返ったピカードが何を思うかははっきり表現されているわけではない。衛星内部には笛が残されていた。彼は、窓から見える宇宙に向かって、幻想の中で上達したその腕前で演奏する。

とても良くできた脚本なのであるが、描かれているのは、ピカードの経験したもう一つの幸福な人生では必ずしもないと思う。つまり、滅びた星の人々が、何を伝えたかったのかが問題なのだと思う。どうもそれは、危機に瀕した場合の民主主義のありかたではなかろうか……。ピカードは、星を調査して、星が危機であることを科学的に証明しようとする。そのことを意を決して為政者に訴えるが、為政者の側もピカードに言われるまでもなく賢明であるらしく、着々と衛星打ち上げ計画を練っていたのだった。また、訴えるピカードに対して為政者が弾圧するわけでもない。村長みたいな人も「我々の一員に完全になったね」と褒めるし、一市民としての調査が結局あまり意味を持たず自分の行為が意味を持っているのかわからない状態であるピカード自身も、子どもが自分の得意分野を受け継いだりして、あまり絶望しているようにみえない。自分たちの生存の危機が迫っている状態で、人々はパニックにならず穏やかである。ここにあるのは、人々が死に瀕しても幸福であることを信じられるような政治のありかたである。そういえば、ここの人々はあまり無理に生きようともしていないようであった。自分たちの生き様を宇宙に発信することだけを選んだのである。

私は、このようなものが本当に理想の名に値するかどうか分からず、逆に、裏で展開している不幸を隠蔽するものではなかろうかとも思う。私に限らず、そういう意味で、アメリカはもはや政治的に信用はされていない。しかし、このドラマには否応なく我々を理想に導こうという強い意志があり、苦い経験を昇華しようという願いもあるに違いないと思った。これに較べて、苦い経験も過ちも、なかったことにしようとしているだけの我々の社会は、どうしようもない。

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