けふのBGM
砂の器 「宿命」
昨晩放映されたTVドラマ「砂の器」を観た。
同作品が映像化されるのは、これで5度目であるらしい。
私が一番印象深いのはやはり、この映画だ。
それは、ベテラン刑事の丹波哲郎と新米刑事の森田健作が田んぼの畦道をこちらに向かって歩いてくるシーンで始まったのではなかったか。
中でも強烈にその存在感を放っていたのは、和賀英良こと本浦秀夫の父、本浦千代吉を演じる加藤嘉だ。
世捨て人として放浪するしかない所在なさを体全体で表現していたように思う。
しかし、今日こうしてこの過去の映画に触れるのには他に、ある訳がある。
それは、本浦親子の放浪の理由。
昨晩のそれでは、一家惨殺強盗の冤罪でいたたまれなくなって村を出てお遍路の旅を続けているとの設定であった。
また、それ以前のドラマでは、本浦千代吉は実際にその大罪を犯したことになっていた。
しかし、原作では本浦千代吉はハンセン病、すなわちらい病に罹り、配偶者には逃げられ、村人からは伝染病の感染源として忌み嫌われ、追い立てられるように住み慣れた村を出ざるを得なかったということになっている。
私がまだ餓鬼の頃に聞いた話では、当地でもそうした話があったことをかろうじて知っている。
らい病患者の隔離病棟があったという場所もある。
その病気に罹ると、「顔から何から溶けていって、醜いまま死んでいく」と聞かされてきた。
だから、一家から一人でもそれに罹った人間が出ると、一家全体が村八分にあうというとも聞いた。
でも、実際は空気感染はしないのである。
しかし、そういうことに無知な庶民は、とにかく忌み嫌ったらしい。
今ではその治療方法も見つかり、その病名自体を耳にすることがなくなった。
要はそういう時代背景の小説なのである。
それはそれで、時代考証の一環と考える訳にはいかないものなのだろうか。
それともまだ、「差別」のファクターなのだろうか。
少なくとも、一家惨殺の犯人よりはらい病患者の方が筋立てとしては納得しやすい。
それに、お遍路というが、四国のことならいざ知らず、全国を巡るお遍路なんてあったのだろうか?
あったのなら仕様がないが、この辺りも私にはしっくりこないのである。
いずれにしても、らい病病みのお遍路という際だったキャラクターをこれだけ見事にこなせる役者は、そうそういない。
あの痩せぎすな体、窪んだ眼窩、顔の染み、異様な風体、そしてその薄気味悪さ・・・まるで本物だ。
加藤嘉は凄い役者だ。
なにはともあれ、原作者である松本清張の作品が今も尚こうして愛されているのはどういうことか?
それは、推理小説という枠を超えたところにある人間描写なのではないか?と思っている。
犯罪のトリック的には、例えば「点と線」なんぞは、キーワードは飛行機だということを読んでる最中に思った。
「まさかそんな他愛ないもんじゃないだろう」と読み進めると、果たしてその通りだった・・・などということがある。
それは、随分以前に書かれたものを後年読むから起こりうるアイロニーで、当時は飛行機が一般的なものではなかったから有り得たトリックなのであった。
その裏付けを取ろうと調べてみたらそれは、
『旅』1957年2月号から1958年1月号に連載され、1958年2月に光文社から単行本が刊行された。
とある。
私がまだゼロ歳のことであり、実際に私がそれを読んだのは確か18歳の頃だから、世情が激変しているのだから致し方なかろう。
実は私はご本人を目の当たりにしたことがある。
確か私が大学2年の頃だったと思うから、20歳?
明治大学和泉校舎の階段教室で、何故か講演会があった。
私は最前列に陣取って興味深くその人気作家の表情を眺めた。
やはり、写真で見る通りのたらこ唇であった(失敬)。
話はさほど上手くなかったのではないか。
何故なら、その内容を露程も覚えてないからである・・・
追記
「予断」なく思いを書くことを旨としているため、事前には調べなかった「ハンセン病」とこの作品との関わりについて、以下に引用する。
それと、5度目というのはTVドラマとしてとのことらしい。
従って、映画1本+ドラマ5本ということのようだ。
この映画において、ハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン氏病患者協議会(のち「ハンセン病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する他、映画の上映によって“ハンセン氏病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。しかし最終的には製作者側との話し合いによって「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、上映が決まった。
なお、2001年に小泉純一郎首相(当時)がハンセン病国家賠償訴訟の熊本地裁判決に対する控訴断念を政治決断するにあたり、以前見た『砂の器』の映画が、この決断を促す要因の一つとなっていたという。
砂の器 「宿命」
昨晩放映されたTVドラマ「砂の器」を観た。
同作品が映像化されるのは、これで5度目であるらしい。
私が一番印象深いのはやはり、この映画だ。
それは、ベテラン刑事の丹波哲郎と新米刑事の森田健作が田んぼの畦道をこちらに向かって歩いてくるシーンで始まったのではなかったか。
中でも強烈にその存在感を放っていたのは、和賀英良こと本浦秀夫の父、本浦千代吉を演じる加藤嘉だ。
世捨て人として放浪するしかない所在なさを体全体で表現していたように思う。
しかし、今日こうしてこの過去の映画に触れるのには他に、ある訳がある。
それは、本浦親子の放浪の理由。
昨晩のそれでは、一家惨殺強盗の冤罪でいたたまれなくなって村を出てお遍路の旅を続けているとの設定であった。
また、それ以前のドラマでは、本浦千代吉は実際にその大罪を犯したことになっていた。
しかし、原作では本浦千代吉はハンセン病、すなわちらい病に罹り、配偶者には逃げられ、村人からは伝染病の感染源として忌み嫌われ、追い立てられるように住み慣れた村を出ざるを得なかったということになっている。
私がまだ餓鬼の頃に聞いた話では、当地でもそうした話があったことをかろうじて知っている。
らい病患者の隔離病棟があったという場所もある。
その病気に罹ると、「顔から何から溶けていって、醜いまま死んでいく」と聞かされてきた。
だから、一家から一人でもそれに罹った人間が出ると、一家全体が村八分にあうというとも聞いた。
でも、実際は空気感染はしないのである。
しかし、そういうことに無知な庶民は、とにかく忌み嫌ったらしい。
今ではその治療方法も見つかり、その病名自体を耳にすることがなくなった。
要はそういう時代背景の小説なのである。
それはそれで、時代考証の一環と考える訳にはいかないものなのだろうか。
それともまだ、「差別」のファクターなのだろうか。
少なくとも、一家惨殺の犯人よりはらい病患者の方が筋立てとしては納得しやすい。
それに、お遍路というが、四国のことならいざ知らず、全国を巡るお遍路なんてあったのだろうか?
あったのなら仕様がないが、この辺りも私にはしっくりこないのである。
いずれにしても、らい病病みのお遍路という際だったキャラクターをこれだけ見事にこなせる役者は、そうそういない。
あの痩せぎすな体、窪んだ眼窩、顔の染み、異様な風体、そしてその薄気味悪さ・・・まるで本物だ。
加藤嘉は凄い役者だ。
なにはともあれ、原作者である松本清張の作品が今も尚こうして愛されているのはどういうことか?
それは、推理小説という枠を超えたところにある人間描写なのではないか?と思っている。
犯罪のトリック的には、例えば「点と線」なんぞは、キーワードは飛行機だということを読んでる最中に思った。
「まさかそんな他愛ないもんじゃないだろう」と読み進めると、果たしてその通りだった・・・などということがある。
それは、随分以前に書かれたものを後年読むから起こりうるアイロニーで、当時は飛行機が一般的なものではなかったから有り得たトリックなのであった。
その裏付けを取ろうと調べてみたらそれは、
『旅』1957年2月号から1958年1月号に連載され、1958年2月に光文社から単行本が刊行された。
とある。
私がまだゼロ歳のことであり、実際に私がそれを読んだのは確か18歳の頃だから、世情が激変しているのだから致し方なかろう。
実は私はご本人を目の当たりにしたことがある。
確か私が大学2年の頃だったと思うから、20歳?
明治大学和泉校舎の階段教室で、何故か講演会があった。
私は最前列に陣取って興味深くその人気作家の表情を眺めた。
やはり、写真で見る通りのたらこ唇であった(失敬)。
話はさほど上手くなかったのではないか。
何故なら、その内容を露程も覚えてないからである・・・
追記
「予断」なく思いを書くことを旨としているため、事前には調べなかった「ハンセン病」とこの作品との関わりについて、以下に引用する。
それと、5度目というのはTVドラマとしてとのことらしい。
従って、映画1本+ドラマ5本ということのようだ。
この映画において、ハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン氏病患者協議会(のち「ハンセン病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する他、映画の上映によって“ハンセン氏病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。しかし最終的には製作者側との話し合いによって「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、上映が決まった。
なお、2001年に小泉純一郎首相(当時)がハンセン病国家賠償訴訟の熊本地裁判決に対する控訴断念を政治決断するにあたり、以前見た『砂の器』の映画が、この決断を促す要因の一つとなっていたという。
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