この図は、明治20年11月に出版された陸軍服制図解。
肩章には明治19年に改正された各兵を見分けるために定められた
色・兵科色が出ている。歩兵、憲兵、屯田兵は緋色、砲兵は黄色、
工兵は鳶色、輜重兵は藍色、騎兵は萌葱色、軍医部は深緑色、会計
部は花色藍となった。
次の資料は、「陸軍戦時服服制」で、明治37年2月10日、日本が
ロシアに対して宣戦布告した同日、陸軍の軍服を茶褐色と定められ
た。これは日清戦争や北清事変により白色の夏服が狙撃の標的にな
りやすいため改定されたもの。
日露戦争末期の明治38年7月に、勅令第196号により陸軍戦時服
制が定められ、茶褐色(カーキ色)と制定。また、編上靴と巻脚絆が
支給。ここに戦前でのカーキ色が陸軍カラーとして定着した。
(国立公文書館 千代田区北の丸公園3-2)
肩章には明治19年に改正された各兵を見分けるために定められた
色・兵科色が出ている。歩兵、憲兵、屯田兵は緋色、砲兵は黄色、
工兵は鳶色、輜重兵は藍色、騎兵は萌葱色、軍医部は深緑色、会計
部は花色藍となった。
次の資料は、「陸軍戦時服服制」で、明治37年2月10日、日本が
ロシアに対して宣戦布告した同日、陸軍の軍服を茶褐色と定められ
た。これは日清戦争や北清事変により白色の夏服が狙撃の標的にな
りやすいため改定されたもの。
日露戦争末期の明治38年7月に、勅令第196号により陸軍戦時服
制が定められ、茶褐色(カーキ色)と制定。また、編上靴と巻脚絆が
支給。ここに戦前でのカーキ色が陸軍カラーとして定着した。
(国立公文書館 千代田区北の丸公園3-2)