先ほど(8日16時6分)、祖父が亡くなりました。
老衰でした。
ちょっと前から、あまり体調がよくないときかされていて、先日、見舞いに行ってきたのですが、そのときはもうかなり衰えてしまって、話もまともにできないような状態でした。
ほとんどまともに話せない祖父が、見舞いに行った僕たちに行った僕たちに話した言葉の中で、唯一僕が聞き取れたのは、『一緒に行きたい』と言う言葉でした。
もう自分の命がそれほど残されていないことを悟って、最後の時は自分の家で迎えたいと言う意思表示だったのでしょうか?
祖父は、最後の何日間か、全く食べられずに過ごしたそうです。
今日見た祖父の姿は、僕の心の中にある祖父のそれとは全く違った、完全にやせ細った小さな老人の姿でした。
僕は小さな頃、その祖父の背中に負ぶさったり、自転車の後ろに乗せられて良く買い物に出かけたものでした。
今思い出すのは、何故か小さな頃に街のおもちゃ屋でゲームソフトを買ってもらって、楽しそうに遊んでいる僕に祖父が『伸也がそんなに嬉しそうな顔をするんだったら、このゲームは値打ちだったな』と言って笑っていた祖父の顔です。
ずっと忘れていたことなのに、何故かさっきから、ずっとその時の祖父の顔や声が頭の中を回り続けているんです。
何でその時のことばかりを思い出すのか分からないけど、その時のことが、ずっとずっと、頭の中から離れないでいるんです。
祖父の遺体が病室から運び出されて、そこで祖父が使っていたものを片付ける手伝いをしていても、何故か僕は全く現実味を感じることができないでいました。
今、葬儀場から一時的に帰宅して、風呂なんかに入っていろいろと明日の通夜の準備なんかをして、blogも明日、明後日はいつ書けるか分からないので、今書いているんですけど、今も全く『祖父を亡くした』と言うことを、全然現実味を持って感じられていないんです。
さっき葬儀場で見た祖父の姿は、きれいに化粧をしてもらって、入れ歯も入れてもらって、生きていた頃の姿とあまり変わらなかったからなのかもしれません。
あるいは、まだ祖父は祖父の姿でそこにいるからなのからなのかも知れません。
いずれにしても、まだ全然、祖父の死を現実のこととして受け入れられていないのは確かです。
僕は無神論者ですが、せめて祖父の葬儀までは、祖父のためにお経くらいは見よう見まねで読んで、精一杯供養したいと思います。
老衰でした。
ちょっと前から、あまり体調がよくないときかされていて、先日、見舞いに行ってきたのですが、そのときはもうかなり衰えてしまって、話もまともにできないような状態でした。
ほとんどまともに話せない祖父が、見舞いに行った僕たちに行った僕たちに話した言葉の中で、唯一僕が聞き取れたのは、『一緒に行きたい』と言う言葉でした。
もう自分の命がそれほど残されていないことを悟って、最後の時は自分の家で迎えたいと言う意思表示だったのでしょうか?
祖父は、最後の何日間か、全く食べられずに過ごしたそうです。
今日見た祖父の姿は、僕の心の中にある祖父のそれとは全く違った、完全にやせ細った小さな老人の姿でした。
僕は小さな頃、その祖父の背中に負ぶさったり、自転車の後ろに乗せられて良く買い物に出かけたものでした。
今思い出すのは、何故か小さな頃に街のおもちゃ屋でゲームソフトを買ってもらって、楽しそうに遊んでいる僕に祖父が『伸也がそんなに嬉しそうな顔をするんだったら、このゲームは値打ちだったな』と言って笑っていた祖父の顔です。
ずっと忘れていたことなのに、何故かさっきから、ずっとその時の祖父の顔や声が頭の中を回り続けているんです。
何でその時のことばかりを思い出すのか分からないけど、その時のことが、ずっとずっと、頭の中から離れないでいるんです。
祖父の遺体が病室から運び出されて、そこで祖父が使っていたものを片付ける手伝いをしていても、何故か僕は全く現実味を感じることができないでいました。
今、葬儀場から一時的に帰宅して、風呂なんかに入っていろいろと明日の通夜の準備なんかをして、blogも明日、明後日はいつ書けるか分からないので、今書いているんですけど、今も全く『祖父を亡くした』と言うことを、全然現実味を持って感じられていないんです。
さっき葬儀場で見た祖父の姿は、きれいに化粧をしてもらって、入れ歯も入れてもらって、生きていた頃の姿とあまり変わらなかったからなのかもしれません。
あるいは、まだ祖父は祖父の姿でそこにいるからなのからなのかも知れません。
いずれにしても、まだ全然、祖父の死を現実のこととして受け入れられていないのは確かです。
僕は無神論者ですが、せめて祖父の葬儀までは、祖父のためにお経くらいは見よう見まねで読んで、精一杯供養したいと思います。