この間は、スーパーとデパートの境界線ってどこにあるのかなと言う事を考えてみたんだけど、知人と友人の境界線はどこにあるのかな?
メールのやり取りをするだけの間柄でも『メル友』で友達のくくりだし、学校のクラスメートであまり話した事のない人とか同じ職場の人は『知人』に分類されたりする事もあるわけで、顔を知っている・いないは知人と友人の境界線の定義には外れるような気がする。
どれくらいの頻度でその人に会うかと言うくくりはどうか?
そうなると、あまり話さないけど毎日会う人は知人だし、ほとんど会わなくとも友人と言うくくりの人もいる。
となると、共有できる話題とか感情がある・ないというくくりはどうか。
メル友同士は共通の話題のみがその接点だし、あまり話さないクラスメートや同僚には共通の話題とか感情はあまりないといって良いだろう。
これは正解っぽい。
結論
友人=共通の話題もしくは共有できる感情を持ちうる人
知人=存在を認識している人
と言う定義にしてみよう。
とすると、知人だった誰かは、共有できる話題や感情を持つことによって友人に昇格する事ができるし、友人はその接点だった話題や感情を消失する事で知人に格下げされる事になるんだね。
今、俺には厳密に『友人』と言える人が何人いるのかな?
メールのやり取りをするだけの間柄でも『メル友』で友達のくくりだし、学校のクラスメートであまり話した事のない人とか同じ職場の人は『知人』に分類されたりする事もあるわけで、顔を知っている・いないは知人と友人の境界線の定義には外れるような気がする。
どれくらいの頻度でその人に会うかと言うくくりはどうか?
そうなると、あまり話さないけど毎日会う人は知人だし、ほとんど会わなくとも友人と言うくくりの人もいる。
となると、共有できる話題とか感情がある・ないというくくりはどうか。
メル友同士は共通の話題のみがその接点だし、あまり話さないクラスメートや同僚には共通の話題とか感情はあまりないといって良いだろう。
これは正解っぽい。
結論
友人=共通の話題もしくは共有できる感情を持ちうる人
知人=存在を認識している人
と言う定義にしてみよう。
とすると、知人だった誰かは、共有できる話題や感情を持つことによって友人に昇格する事ができるし、友人はその接点だった話題や感情を消失する事で知人に格下げされる事になるんだね。
今、俺には厳密に『友人』と言える人が何人いるのかな?