今日は、友人のダンスを見に行った。
映画よりも小説の方が、小説よりも歌のほうが、歌よりもインストゥルメンタルの音楽の方が、より抽象的な(言い換えれば受け手に捕らえ方をたくされる部分が大きい)芸術だと考えているんだけど、ダンスはこの序列の中でどの辺りに属するんだろうか。
あるいは小説と歌の中間かもしれないし、歌とインストゥルメンタルの中間なのかも知れない。
もしくは、全く別のものとしてこの序列には属さない芸術なのかもしれない。
ダンスと音楽は切っても切れない関係にあるのかと思っていたけど、今日見たものの中には、音楽が全くない物もあったし、ミュージカル仕立てのものもあったし、結構幅が広かった。
抽象的なものは、きっと受け手に捕らえ方の大部分を託している作品なんだろうし、ある程度具体的な作品については、製作者やパフォーマーの意図する捕らえ方を受け手である俺たちは限定的に受け取る事になる。
幻想的で抽象的な作品について、俺たちが製作者やパフォーマーの意図を汲み取った上で、彼らの納得する理解の仕方をするためには、おそらく製作サイドの技量はもちろんの事、受け手であるこちらサイドの感性のレベルをかなり高いレベルまで持っていかないと難しいんだろうと感じた。
ただ、どういう風に理解するかという事は別の問題としても、音楽とシンクロして動く人の姿を漫然と眺めているだけでも、結構楽しかった事は本当だ。
映画よりも小説の方が、小説よりも歌のほうが、歌よりもインストゥルメンタルの音楽の方が、より抽象的な(言い換えれば受け手に捕らえ方をたくされる部分が大きい)芸術だと考えているんだけど、ダンスはこの序列の中でどの辺りに属するんだろうか。
あるいは小説と歌の中間かもしれないし、歌とインストゥルメンタルの中間なのかも知れない。
もしくは、全く別のものとしてこの序列には属さない芸術なのかもしれない。
ダンスと音楽は切っても切れない関係にあるのかと思っていたけど、今日見たものの中には、音楽が全くない物もあったし、ミュージカル仕立てのものもあったし、結構幅が広かった。
抽象的なものは、きっと受け手に捕らえ方の大部分を託している作品なんだろうし、ある程度具体的な作品については、製作者やパフォーマーの意図する捕らえ方を受け手である俺たちは限定的に受け取る事になる。
幻想的で抽象的な作品について、俺たちが製作者やパフォーマーの意図を汲み取った上で、彼らの納得する理解の仕方をするためには、おそらく製作サイドの技量はもちろんの事、受け手であるこちらサイドの感性のレベルをかなり高いレベルまで持っていかないと難しいんだろうと感じた。
ただ、どういう風に理解するかという事は別の問題としても、音楽とシンクロして動く人の姿を漫然と眺めているだけでも、結構楽しかった事は本当だ。