NPO九州森林ネットワーク

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個性を繋ぎ合わせる技術 個性を読む技術

2003年10月26日 17時15分20秒 | <九州連絡会議(旧コメント)>
お名前: 吉弘 辰一 [p74-dnb12tenjmi.fukuoka.ocn.ne.jp] 2003/10/26/(Sun) 21:03
佐藤先生、私は別に現場の実態を知らないから駄目とは論じるつもりはありませんよ (^_^;)  誤解なく。

25年近く製材業をやり、市場に於いても3年間原木販売をしてきた自分自身から出る木材に携わる人達への警鐘なんです。
実は、私が働いていた原木市場には、かなりの目利きの上司が居ました。彼曰く、木はそれぞれが個性豊かに、自由に育っている。この個性を繋ぎ合わせる技術や個性を読む技術が和風建築の醍醐味バイ!
これは、昔から教科書は無いが経験と失敗によって職人に伝授されているから、これが無くならない様にしなくちゃいかん!

ここで言う職人とは、山の現場技術者、出材業者、製材加工、販売店、大工...など技術の伝承者なんです。  

これ等の関係が、時代の流れと言いましょうか流行の流通の簡素化によって
ズタズタにされていました。  結果として林業全般へ良い結果が残れば問題視致しませんが。  どうも見る限りにおいて残ったものは悲惨さのみの様な気がしております。  以前 売り手と買い手の思い違いの中で書いておりましたが、もっと早くから専門的な立場からそれぞれが発言する必要がありました。  これ等を怠ってきた事は結果として技術の伝承の連鎖を停めてしまいました。 人によって受け継がれる技術は人の連鎖が途切れれば止まります。 私はどんなに立派な計画を立ててもそれを実行する現場に最後は委ねられると思います。

今、本来あるべき住まいとは何かが問いかけられる中で木に焦点を当てるのであれば現実の木を理解する事から始める必要があるということです。
以前は、先ほどに書いた山から大工への技術への信頼の連鎖が成されていましたから消費者は安心して任せていましたが、経済が優先されてきて信頼の連鎖が切れかけようとしています。 これは木材を日々の糧にしている者が現実に感じている実感でしょう。

私は木を利用される方へ真実を話そうとしています。
これを、お望みですが経験から申せばこちらの方が先々の補修や経年変化を考えればお勧めでしょうと...。場合によっては、お客さんの言うとおり、ごもっともは自分の技術の無さの暴露になります。

院生への講座の中で現場を見られることは大事と考えます。
私も2回に渡ってお手伝いを致しましたが、姿で見る木と料理した結果の違いを目の前で証明できるのも技術や職人感だと思っています。

団地化については、そのうちお手合わせを.......。(^。^)y-.。o○

沖縄報告と現場について考えたこと

2003年10月26日 17時08分10秒 | <九州連絡会議(旧コメント)>
お名前: 佐藤宣子 [global-ip.usuki.gr.jp] 2003/10/26/(Sun) 15:40
 授業の合間を縫って、先週は学会で沖縄に、今週は東北宮城県に行っていたので、返事が遅れました。沖縄では、本会会員の小渡さん、金城さんと会って、盛り上がりました。大変お世話になりました。岡本太郎の話で意気投合し、今はコンクリート住宅一色である沖縄でも、従来イヌマキなど木造住宅であったこと、コンクリート住宅は結露がひどく20年くらいしか持たないこと、しかし沖縄の木で家を作ろうと思っても使える木がなく、従来住宅利用していた樹種の植樹を呼びかけていることなどを教えてもらいました。その木が使い物になるのは300年先かなあとも。やはり沖縄は時間の流れが違っていました。

 さて、吉弘さんのご意見に対してですが、研究者は現場を重視すべきだと考えているので、あなたは現場の実態を知らないからそんなことが言えるのだ、といわれれば、そうですか、すみませんでしたと答えるしかありません。

 私が吉弘製材所から学んだことは、住宅用材として適当な木材は人工林の一部であり、「顔の見える産直住宅」といった耳障りよい掛け声だけではだめで、その住宅作りの中に木材のことをきちんと知っている技能者が不可欠だということです。当然、それは市場流通(産直住宅が広がっても主流は市場流通です)を考える上でも同様です。市場流通のおかしさを是正するには、ニッチ(隙間)流通が重要であり、それは木材加工の現場と家造りの現場を、森を守るという視点で繋ぐことです。建築関係者は木材や森林について、製材業者や所有者は家造りの現場を知ることの重要性を学びました。

 森林所有のことについては、私が見てきた山村の実態という限定つきですが、団地化は必要だけれども所有を大規模化すれば解決できるという問題ではないことです。地域によって所有や担い手の構造は多様ですが、おおむね森林がきちんと管理されているのは所有規模でいうと30~200haの規模の所有者に多いです。一気に600haぐらいが適当だという結論に飛躍するのは私にとっては現場を無視することに他なりません。

 と少々議論も煮詰まってきました。沖縄の風に吹かれ、そして蔵王連山の初冠雪と紅葉を見て、頭がチャンプルー状況になっているので、ぐだぐだと書いてしましました(西村さんから、いいよなあ研究者は気楽で……という声が聞こえてきそうです。東北の秋の味覚、野生きのこ(むき茸、くり茸、なめこ、アカモミ茸等々)を始め、おいしいものも食べましたが、ちゃんと仕事もしました。)

視点の違い

2003年10月17日 17時05分24秒 | <九州連絡会議(旧コメント)>
お名前: 吉弘 辰一 [p1173-dpb02harasi.oita.ocn.ne.jp] 2003/10/17/(Fri) 21:17
佐藤先生のご意見を伺ううちに、県の委員会での議論を思い出してしまいました。
森林政策、木材の流通に関する委員会ですが、私が投げかけた問題は
『さて、この委員会のメンバーの中に森林に日々関係した仕事を何人の方が成されているか?』 私は現実に起きている問題を生活実感として感じる事が大事では? また、現場の声を現場で聴く事こそが大事では??
と各委員さん皆さんに問いかけました。

誰のための政策か?もう一度精査していただきたいと.....。

林業の中で木材生産のサイクルは50年位と考えれば、どうしても長期の視点で政策の立案をせざるを得ません。  それには、政策を安定し機動的に持続させる面積と人が必要に成ると考えます。 ここで言う面積が前文におけるポイントです。
又、継続的な森林管理をして頂く人の配置も重要です。
これ無しには、出来ないのが日本の人工林です。 
これ等の事を考えれば、森から生まれる副産物の木を利用した家作りは間接的に森林を維持していく人達への応援になります。
しかし、やはりこの事だけで山守り人の生活や事業意欲の持続を計ろうとすれば、どうしても日々目まぐるしく変化する経済活動と密接な関係を持たざるを得ず、木の成長速度との矛盾にぶつかります。

現にあれ程叫ばれた枝打ち林業の結果は如何だったでしょうか?
一生懸命枝打ちをした結果の木が市場で持てはやされているでしょうか?
残念ですがNO!と言わざるを得ません。 世間では、むしろ節がある木が良いと言われているのが現実で、価格差も枝打ちの負荷価値?を反映しているとは思えません。残念ですが枝打ちの目的はなんだっけ?と考えさせられます。 やはり、生産する側にも理念と目的がハッキリしていなかったんでしょう。  
循環生産できる林業の面積は私が思うに毎年10町歩の生産として60年サイクルで乗して600町歩....こんなもんじゃないでしょうか?せめてこれ位の面積があれば経済林と環境林をミックスした政策が展開できる気がしてなりません。

もちろん、この森林面積を持続させていく人の循環や技術の創造も必要と成ります。 ここで言う雇用形態はハードとソフトに分離してソフトは常に長期の視点を持ち、ハードは短期の視点で現場の感じを政策に反映して行くのが大事に成ります。 ここに意欲的に林業に取り組もうとする人の力と創造性が出番と考えるわけです。

先日、国連難民政策のTOPを務められた緒方貞子氏がJAICAのTOPへの就任挨拶の中でこんな事を申されていました。
『私は、今までの仕事を通じて大事なものが何かを知っています。それは現場の声に耳を澄ます事です。 現場の声には創造性があります』
あの老齢の女性がとビックリしました。

先生、私の希望で以前役員会を共販所でした事が有りますね....。
あの時、皆さんに感じて欲しかったのは現実の木がどんなものが主に流通しているのかを現場で見て欲しかったのです。求めるものと現実の違いを。

国が苦し紛れに始めた分収育林制度に 今、有名大企業が関心を寄せ始めています。これ等の企業が健全な森林環境の保全に努力をしてくれれば万歳ですが、経済理念のみで山に係わり始めたら...?

やはり、次の世代への広い意味での財産継承として山や森は捕らえるべきと個人的には思います。

Re: ここんところが......

2003年10月12日 17時01分16秒 | <九州連絡会議(旧コメント)>
お名前: 佐藤宣子 [global-ip.usuki.gr.jp] 2003/10/12/(Sun) 05:30
 吉弘さん、ご意見ありがとうございます。
 資産デフレの中で今のうちに面積拡大を、という所有者が存在するのは私も注目しています。また、林地の団地化によって意欲ある林業家を応援するというのも大賛成です。特に、大面積の(100ha以上というのも最近では多い)皆伐を行うような所有者(不在村の場合が多い)の私権に対する制限はきっちりすべきです。
 ただ、農業でも同様ですが、それだけでは日本の農地や森林は守れないと思っています。本ネットワークの役割にも係わるのですが、パイ自体の拡大や山元が成り立つ適正な価格へ繋がるような取り組みが必要であり、意欲をなくしつつある林業家に少しでもやる気がおこるような……。どちらが大事かという問題ではないのでしょうが。

 先般の第二回森林フォーラムでは、顔の見える家作りを経験された4人のお施主さんから、どのようにして家作りに到ったのか、山への応援と注文、そして消費者としての覚悟を語っていただきました。それぞれ独特の語り口で、山をとても勇気付ける内容でした。

 その場限りにするのはあまりにももったいない内容でしたので、きちんとした報告集を作ったらどうかと思っています。
 
 吉弘さんは「顔の見える、近くの山の木で家をつくる」といった運動はどのように位置付けられていますか?また、2人の議論ではつまらないので、この掲示板を見た方、ご意見をお寄せ下さいね。

ここんところが......

2003年10月08日 17時03分14秒 | <九州連絡会議(旧コメント)>
お名前: 吉弘 辰一 [p96-dnb03tenjmi.fukuoka.ocn.ne.jp] 2003/10/8/(Wed) 21:58
佐藤先生、総会 お疲れ様でした
当日は、別な用事で参加できませんでした。ごめんなさい

メルマガの御批評を有難うございます。
ただ、ちょこっと前文を読み返していただけたらご理解頂けると思います。
大団地化の前に意欲的な林業人と書き込んでおります。 税の使われ方として本来有るべき姿は投下される資金が最後には納税者の福利を生む事ではと思います。 ならば 林業補助に有っても将来に福利を産むような使われ方が正論では無いでしょうか?  勿論この福利は国民全体への福利です。

もし 意欲的な林業人や組織が、その活路を広げるために面積や事業の拡大などの方向を目指すのであれば、それを応援するシステム整備の必要性を説いて入る訳です。 現にそれらの声も聞こえますが所有権の障害で進んでいないようです。 ウルグアイラウンドでの農業交渉の後に生まれた穂場整備事業には全国規模では膨大な税金が投入されました。
これには、私権の制約を緩める手立ての補助制度が出来たからでしょう。

この考えを林業にも適用できれば良いと思ってますが.....。
農業は平成16年度からは減反政策が専業農家を主体とした農業形態に変化します。 今までは兼業農家にも一律の補助政策が成されていましたが、今後は政策にリンクして貰えそうな専業農家が出番と成ります。
これは、農業自体に対する純粋さ?を政策が選別し直していると考えられませんか? 予算の少ない中での補助の効率性を考えたからでしょう....。

私が思う大団地化とは林業に意欲的な人を応援する考えです。 もちろん
中小の林家であれ意欲的な林業人は同様です。 問題は意欲の無い不在者が施策のストッパーに成らない手立てを求めているわけです。
まして、林地がこれ程安くなった時代は税の投下資金は少なくて済むわけですから効率的な気がしますが.....?   
いま、一部の意欲的な林家は面積の拡大を静かに行なっている事をご存知でしょうか?  これらを加速する事が将来の安定した林業に成る気がして成りません。  林業政策の一スパンは50年です。
じっくりと考えてみたいものです。