石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

真にセクシーな音楽

2011-10-07 18:11:01 | テレビ番組制作

<夜想曲>

 ハッキリ言って、私はワイセンベルク氏のファンです。初めて彼に会ったのは1980年、私がTBSの番組「オーケストラがやって来た」のアシスタントプロデューサーをつとめていた時でした。

 同番組の400回記念のゲストとして彼を迎えるべく、成田空港の貴賓室であわただしく打合せしました。番組収録は習志野文化ホールで、新日フィルとの共演でショパンの「ピアノ協奏曲第1番」を演奏してもらいました。

 休憩時間に、食堂で海老フライをパクつく巨匠の気さくな一面に初めて触れました。それ以上に、この日、アンコールで演奏された「夜想曲、嬰ハ短調、遺作」を聴いたことが、私にとっては“事件”でした。

 大げさを承知で言えば、こんな音楽がこの地上に存在しうるのか、という驚きでした。悲劇的に流せば簡単にそれらしく出来上がる曲です。しかし安易に流れることを拒否して、力強く、無邪気な透明な音楽に彫り上げていく彫刻家のノミの輝やきを1つ1つの音に感じたのです。

 この1曲を、もう一度聴きたい。その私欲で私はパリに出掛け、マネージャーのグロッツ氏と交渉し、契約にこぎつけ、13人の撮影・録音スタッフとその機材と共にパリを再訪したのです。1986年5月末のことでした。

<エトランジェ>

 マロニエの白く花咲く5月のパリは、春の名ごりと夏の予感で、もの狂おしい思いに人を誘います。5月のセーヌ川にむかって窓が開かれたワイセンベルク氏のアパルトマンのキッチンに、1トン近い収録機材が運び込まれました。さながら小さな美術館を思わせる居間の床にケーブルが何本も走り、ふだんは巨匠のひとり暮しの家が突如、撮影・録音スタジオに変貌しました。

 氏の自宅は、このビデオでは「夜想曲、変ホ長調」「エチュード、ホ長調」「プレリュード、ホ短調」の演奏場所として映像に登場します。

 かつてショパンもまた、このパリで異邦人の暮しをしていました。エトランジェの独り住い。―ニューヨークで、ローマで、東京で、ワイセンベルク氏は、コンサートの緊張と喝采の旅を終えると、パリの、この自宅に帰ってきます。つかの間の休息と静寂が、新しい旅立ちの身づくろいの時に重なる。帰るところが、また旅立つ場所でもあるエトランジェの宿命。

<知と情>

 演奏場所は他に2カ所。サル・ガボー・コンサートホールとブーリエンヌ館という19世紀初めに建てられた家です。

 「ソナタ第3番」「葬送」「夜想曲、遺作」が演奏されたのがサル・ガボーです。典雅なホールを借り切っての収録も、機材のトラブルによる中断や、演奏家が乗れずに初めからやり直したりでホールの貸時間が過ぎ、夜のコンサートに来た客が外に並び始めました。音楽に酔いたくても酔えない辛いひとときでした。

 あるいは、ワイセンベルク氏の音楽は「酔う」ためのものではなく、より「さめる」ための音楽かもしれません。「さめる」とは、感性をクリアーにしてくれる、という意味です。

 この人は、凡庸な演奏家が思い入れをこめて歌うところで、むしろ悲しみに似た抑制をもって音楽を確かめ、人が機械的に弾き流すところで、楽しそうに歌をうたう。―知性のプリズムに情熱の光が乱反射しているふしぎな世界。ああ、セクシーな音楽だな、おとなになるってステキなことなんだ、と教えてくれる。―私がワイセンベルク・ファンであるゆえんです。

プロデューサー 石井信平


「私のショパン/アレクシス・ワイセンベルク」

総合演出: 実相寺昭雄
プロデューサー: 石井信平