石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

岡本敏子著 「岡本太郎がいる」

2009-11-01 08:47:54 | 本・書評
ここに二つの同じ書評があります。一つは実際に日経新聞の「描かれたエルダー」に掲載されたもの。もうひとつは掲載しなかったバージョン。

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 亭主が家に「いる」だけでうとましい、定年退職離婚ばやりの昨今だ。そんな時世に『岡本太郎が、いる』(新潮社)という大胆な書名の本がある。著者は太郎の「秘書」として五十年連れ添った岡本敏子。

 太郎の多彩で傍若無人な表現の一切を支えたのが敏子だった。今、若い人の間で熱く読まれている『岡本太郎の本』(全五巻・みすず書房)にみる彼の著述群は、すべて敏子の手による口述筆記から生まれた。

 秘書はやがて「養女」に立場を変えた。こんな男女関係があり得るのだ。彼女は「太郎巫女」として彼の表現の一切を受け止め、讃えた。「夫婦」などという固定した枠に閉じこめない、新しい関係。思えば、これだって太郎の創造であり、作品だったのだ。

 太郎と敏子、晩年の会話。「オレが岡本太郎でなくなったら、自殺するよ」。「その時は私が殺してあげますよ、大丈夫」。ここに、しっかりと通い合う意志は、なしくずしに、なぁなぁと、しがらみに流されゆく普通の「老後」とは違う。いや太郎から老後を奪い取って、表現者の栄光を与え続けたのが敏子だった。つまり最後まで秘書であり、死後も精力的に太郎の記念館と美術館のプロデュースを続けている。今も彼の秘書であることを至福に生きている。いや太郎に生かされている、とためらわずに言う。

 パーキンソン病で闘病の後、太郎は四年前に84歳で亡くなった。彼女は悲しむ「遺族」であることを拒否した。並の葬式ではなく、草月会館に「岡本太郎と語る広場」を作り、出席者は彼の表現をたどり、最後に梵鐘「歓喜」を叩いてその場を去るというカッコいいイベントを演出した。

 太郎の名言「老いるとは、衰えることではない。年とともにますますひらき、ひらききったところでドウと倒れるのが死なんだ」。こう言い切り、こう生き切れたのは、秘書敏子あってのことでしょ、太郎さん。

 『岡本太郎が、いる』という書名は、今も彼が「いる」実感で仕事を続ける秘書の心境だ。同時に彼が「いない」ことの哀しみがまっすぐに伝わってくる。(信)


石井信平 2000年10月