最近、年度初めということもあり、仕事に忙殺されています…。
午前中は会議、午後からクラブ活動(テニス)。それが終わって始めて自分の仕事
ができるのですが…その頃にはもう18時…。
自分の心がドライになっていく今日この頃…。
そのような中、CAFEでの会話の響き合いや桜の美しい写真、マチス・ピカソの絵
などを見聞きしていると、心の洗濯ができるようで…なにかホッとした気分にな
ります。
それはさておき…相田みつをさんの詩の1つに次のようなものがあります。
あんなに世話を してやったのに ろくなあいさつもない
あんなに親切にしてあげたのにあんなに一所懸命つくしたのに
のに・・・・・・ のに・・・・・・ のに・・・・・・
<のに>がでたときはぐち
こっちに<のに>がつくとむこうは「恩に着せやがって-」と思う
庭の水仙が咲き始めました
水仙は人に見せようと思って咲くわけじゃないんだなあ
ただ咲くだけ ただひたすら・・・・・・
人が見ようが見まいがそんなことおかまいなし
ただ いのちいっぱいに自分の花を咲かすだけ 自分の花を-
花はただ咲くんです
それをとやかく言うのは人間 ただ ただ ただ-
それで全部 それでおしまい それっきり
人間のように<のに>なんてぐちはひとつも言わない
だから純粋で美しいんです。
人間関係が気まずくなるのは、多くが言葉尻に「のに」をつけたり、また「ぐ
ち」がでる時です。
”私はあなたのためにこんなに尽くしたのに・・・”という場合など、相手は
置いておいて、自分の思いが先行した状態で何かをし、このくらいのことをし
たのだから感謝されていいのでは…と思うことは多々あります。
そして、そんな自分の行為に対して何か見返りを求めるとき「なんか損した気
分…」なんて愚痴が思わず出る、そんなことはありませんか。
逆に行為を受けたほうも「私は何も求めていないのに、恩に着せがましい…。
そんな見返りを求めるぐらいならしてくれないほうがましだ」なんてことを思う
のでしょうし、そのことで2人の関係の間には深い溝ができてしまいかねません。
ですから自分の行為に対して相手から「のに」や「ぐち」の出ないように注意は
払わなくてはならないんですね。
ただその前提はありつつも、庭の水仙のただそこに咲く姿のように、今の自分を
精一杯生きることが求められているのでしょう…。
仕事でもなんでも、喜びをもってすること・・・やること自体に自分自身の喜びが感
じられれば、相手に見返りを求めなくても済みますからね。
こんなことを書いているのは、自分の仕事による渇きを少しでも潤そうとしてい
るのでしょうか…。
午前中は会議、午後からクラブ活動(テニス)。それが終わって始めて自分の仕事
ができるのですが…その頃にはもう18時…。
自分の心がドライになっていく今日この頃…。
そのような中、CAFEでの会話の響き合いや桜の美しい写真、マチス・ピカソの絵
などを見聞きしていると、心の洗濯ができるようで…なにかホッとした気分にな
ります。
それはさておき…相田みつをさんの詩の1つに次のようなものがあります。
あんなに世話を してやったのに ろくなあいさつもない
あんなに親切にしてあげたのにあんなに一所懸命つくしたのに
のに・・・・・・ のに・・・・・・ のに・・・・・・
<のに>がでたときはぐち
こっちに<のに>がつくとむこうは「恩に着せやがって-」と思う
庭の水仙が咲き始めました
水仙は人に見せようと思って咲くわけじゃないんだなあ
ただ咲くだけ ただひたすら・・・・・・
人が見ようが見まいがそんなことおかまいなし
ただ いのちいっぱいに自分の花を咲かすだけ 自分の花を-
花はただ咲くんです
それをとやかく言うのは人間 ただ ただ ただ-
それで全部 それでおしまい それっきり
人間のように<のに>なんてぐちはひとつも言わない
だから純粋で美しいんです。
人間関係が気まずくなるのは、多くが言葉尻に「のに」をつけたり、また「ぐ
ち」がでる時です。
”私はあなたのためにこんなに尽くしたのに・・・”という場合など、相手は
置いておいて、自分の思いが先行した状態で何かをし、このくらいのことをし
たのだから感謝されていいのでは…と思うことは多々あります。
そして、そんな自分の行為に対して何か見返りを求めるとき「なんか損した気
分…」なんて愚痴が思わず出る、そんなことはありませんか。
逆に行為を受けたほうも「私は何も求めていないのに、恩に着せがましい…。
そんな見返りを求めるぐらいならしてくれないほうがましだ」なんてことを思う
のでしょうし、そのことで2人の関係の間には深い溝ができてしまいかねません。
ですから自分の行為に対して相手から「のに」や「ぐち」の出ないように注意は
払わなくてはならないんですね。
ただその前提はありつつも、庭の水仙のただそこに咲く姿のように、今の自分を
精一杯生きることが求められているのでしょう…。
仕事でもなんでも、喜びをもってすること・・・やること自体に自分自身の喜びが感
じられれば、相手に見返りを求めなくても済みますからね。
こんなことを書いているのは、自分の仕事による渇きを少しでも潤そうとしてい
るのでしょうか…。
親・兄弟のような血縁関係にある人よりも、私は弟の奥さんとか、友人、仕事関係の人に、この「のに」を特に注意しています。
先日、息子が東京の大学に入学するので、上京してきた小学校時代からの親友に付き合って、初めて男子寮を訪れました。そこの玄関には、あいだみつおさんの日めくりがかかっていました。
そのあとその友人の息子が見せてくれた、携帯の待ちうけが、あいだみつおさんの文字の動画でした。文字が転んだり起きたりして、可愛かったです。あんな赤ちゃんだったのに、素直ないい男の子に育ったな~と安心しました。
その詩についての佐々木正美先生のお話が載っている
「育てたように子は育つ」と「なやみはつきねんだなあ」という本が
手元にあります。
何かの時にふとその本を開いて、そのことばに触れることがあります…
不思議に…やさしくなれる…魔法の言葉たちのようですね…
で受け止めてくれている安心感がありますよね。
”のに”は何かしら仕事をしていて報われない感を強
くしたときなど、ふと漏らすことがありますが、教育
職についていると、おなさらそのような思いに駆られることもあります。
でもその思いを持つことで、生徒に偏見の目をもつ…なんてことになることが一番危険なんですね。
ですから私も畑作業と同じで、やるべきことを丹精込
めてやり、あとはのびのびと育つのを見守る…そのよ
うに考えるようにしています。
息子さん、純朴な方なんでしょうね…。菫さんの母としての愛情がコメントの端々から伝わってきましたよ
(笑)
人生の辛さなどもこの詩集を読んでいると安らぐので
是非読みなさい…」と言われて、今でもたまにそのこ
とを思い出しながら、手に取るんですよ…。
そのときそのときに感じた何かが、相田みつをさんの
詩とシンクロすることがよくありますし…また、相田
さんの詩の書体にもすごく温かさと優しさが伝わってくるんですよね。
ほんとに”魔法の言葉たち”だと思います…。
詩のよさは、その人その人が感じたクオリアを、巧みで端的な言語表現で共有を図るところにある
んでしょうね…。