青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

恐れ(恐怖)の克服 -後-

2008年07月19日 | 人生設計

人は普通、「ただ生きている」という生き方をしている。それは「基礎」の無い、上辺だけの生き方ともいえる。そして「他の人や物」に依存しがちになる。
それに対して「生かされている」という生き方をする時、「生かしてくれている」という「基礎」となるものを知り、それを寄る辺としている。この「寄る辺」を知るならば、他の人や物に依存しようとする気になることは無くなる。
仕事をする時も、「ただ生きている」という時と「生かされている」という時とでは、仕事の仕方が変わるだろう。それは勉学する時も、家事をする時も、子供を養育する時も、親子の会話も夫婦の会話も職場での会話も、更には政治の在り方にまでも「ただ生きている」というのと「生かされている」というのとでは、態度が異なってくるといえるだろう。
「生かされている」という生き方、在り方の中には、「俺が、私が」という思い上がりも、自惚れも持ちようがない。謙虚さしか、持ちようがない。
「ただ生きている」という時には、不平不満も持ったし、不服不足の思いも持ち、そうしたことで辛く悲しくて泣いた事もあり、それがために報復とか復習しようなどとしている。そして「負けまい」と数値評価に追い立てられ、それが恐れとなっただろう。
だが「生かされている」という事や「生かしてもらっている」という気持ちになれば、全てを委ねたままで自立して自主性にして独立して立てば良いことになる。
そこには安心と、安らぎしかない。
何を、恐れることがあるだろう。

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