昭和天皇と福島第1原発所長の吉田所長には、昭和天皇実録や原発事故調の概要を見てみると、よく似た似通いを感ずる。
昭和天皇は大日本帝国の君主にして、陸海軍の総帥であり元帥であった。
君主として元帥として昭和天皇は、ご自身の判断次第では国の運命を左右することを、よく心得られていられた。
一方の吉田所長も、東日本大震災によって、また大津波によって、東京電力福島第1原発が損傷を受け、全電源喪失という最中に暴走を始めた原子炉を収束させるべく、全責任を双肩に負って立ち向かっている。
それはお二人とも、孤闘の立場で立ち向かっている点で似通っている。
昭和天皇は、戦争が拡大するのを好まなかった。
満州事変が長引き、また中国侵攻や、更には国威連盟脱退も嘆かれていられる。のみならず、日米開戦などは反対の立場であったが、軍部中心の内閣の総意で決められたことだからと勅令を強要されて、いやいやながら同意せざるを得られなかった。
しかし全国各地への空襲被害や、広島と長崎への原爆投下を知らされ、ついにポツダム宣言受託を反対を押し切り決断され、終戦の意思を固められていられる。
だが軍部にはこれを阻止しようと、玉音放送レコード盤が放送局に送られまいと宮城を包囲したりしていた。それを昭和天皇の意思を汲む人たちの手によって放送局に運ばれ、千石に玉音放送が流され終戦の日を迎えている。
終戦後昭和天皇は、戦争を止められなかったことを国民に詫びるため、全国行脚を続けられた。
また戦没者を祀られた靖国神社にも参拝されて詣でられている。
しかし政府などがA級戦犯を合祀したために、2度と靖国神社参拝をなされなくなり、こうした合祀を行った人たちを「親の心、子知らず」と蔑まされていられる。
昭和天皇にこのように「親の心、子知らず」と言わしめたものが、今の首相安倍晋三の祖父、岸信介などである。
現天皇平成天皇も、先帝昭和天皇の遺志を受け継がれて、参拝なされていられない。
高市早苗や稲田明美などの国会議員が、毎年のように靖国神社に参拝しているが、天皇陛下に、まるで「お前には参拝する資格はない」と突き放しているようなもので、泉下の英霊たちの「天皇陛下のために散ろう」として散って行った人々の心や気持ちを卑しめていると言っていい。
本当に英霊を慰霊し尊崇するなら、天皇陛下に心おきなく参拝していただけるように、A級戦犯の合祀を消滅してしまうことが、今の我々の務めではないだろうか。
国の君主や首相が選挙で選ばれたからといって、それで国の政をいいようにすべきを許すものではない。
何となれば、本当の国の主は、国民だからである。
国民が、昭和天皇や吉田所長のように、国の行く末を担っている。