青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

精神的美田

2010年03月13日 | 人生設計
我々は、その生命の営みの上において、何らかの結果を出している。それは生活の上においてでもあるし、家庭生活の上においてでもあり、また社会生活などの上においても、なにがしかの結果を出している。
この結果は、主に「物的結果」になっている。
「物的結果」とは、「物」でもあり、また「金銭」でもあり、更には「文化的」なものでもある。「文化的」なものの中には、「芸術」や「スポーツ」、「文物」といったものもある。

我々は、一生の内において、こうしたものを築いていき、そしてそれを次代へと受け継がせていく。
いわゆる「跡継ぎ」させる、「世襲」とか「相続」とも言われるものである。
しかしこうしたことは、諺にも「子孫に美田を残すなかれ」というように、ロクなことはない。
現に今日、首相の母親が、首相に裏政治献金などを行うようなことをしている。
これは、我々が「生きる意義」というものを、「物的美田」を残すことにあくせくしていることに原因がある。

ここで我々は、「生きる意義」というものに、真摯に眼を向けていく必要がある。

「生きる意義」は、「子孫に美田」を残すためにあるものではない。
では何のために「生きる意義」があるかというなれば、それを結果論として言うなれば、「子孫に精神的美田」を残すためであると言わなければならない。
この「精神的美田」を残す方法を、「教育」とは言わない。
「精神的美田」を残すためには、宗教を身に着けざるを得ない。
そしてこの「宗教的な精神的美田」を残すことに培われた方法により、自分自身を「生きる意義」を見出すことに導き、その自身が先頭に立つことで子孫を引っ張って先導することにより、「精神的美田」が整えられる。

ただそれは、受け継ぐ者も、それを自覚しないことには、この「精神的美田」は、何の意味も、意義も持たなくなる。




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