青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

亡者の迷い

2008年09月14日 | 人生設計

私達人間は、一体何を願うのだろう。
「混乱」なのだろうか、それとも「平安」なのだろうか・・・・・。
一般的には「平安」を願っている。それなのに、この乱れようは何故なのだろうか。

今日、政権党の総裁選挙の論議や、事故米や汚染米が堂々と流通している社会情勢を見る時、私達が「平安」を願いながら、その「平安」の在り方を取り違えている事に気付かざるを得ない。
私達人間は、実体がないものなのに、それを有るかのように追い求めている。

その大元は「幸福」というものにある。
私達は、与えられた、あるがままのもので生きるしかない。しかし人は「より上に、豊かに、楽しく」というように評価付けて、高望みを追い求めている。そして選り好みして、取り合いして、ごまかしたりして「より上に、豊かに、楽しく」なろうとする。

それは「金銭」に、とつながる。
「金銭、金」は、単なる「紙や金属」に過ぎない。それを実体があるかのように思っている。
それによって経済混乱や金融危機、マネーゲーム的なことが行われる。

これは肉体にしてもそうだ。
私達は「与えられたまま肉体」を持っている。それなのに、何かと道具や資源などに頼ろうとしている。
障害者などは、例えば手が無ければ口や足を手の代わりにしている。今は、いい器具が出来てはいても、器具に頼るようでは人間として生きられない事を、彼等は良く知っている事だろう。
即ち、「与えられたまま」のみがあるのであって、器具や機械には「実体」が無いのである。

それに引き換え、いい教育を受けた者ほど、器具などに頼ろうとしている。亡者になっている。
亡者は、そして更に亡者の迷いを深めていく。

私達が教育を受け、学業に励み、教養を身に付けてきたのは、このように亡者になるためだったのだろうか。

青い鳥は、ブログ「青い鳥の世界へ」から、貴方たちにそれを問う。

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